8-4. 公爵邸④
ルイーゼがエルヴィラに言った、『神殿での用事』 は、嘘ではなかった。
中央神殿は聖女のプライベートルーム ――――
そこで、母である聖女リーリエから、聖女の後継としての基本的な素養に関する講義を受けているのだ。
「ルイーゼ。最近、きちんと睡眠はとっていますか?」
座学の講義を受けに来た娘を見て、リーリエは心配そうに顔を曇らせた。
「はい、お母様」
【というのは嘘だ、聖女様】
澄ましてうなずくルイーゼの背後で訂正をかけるのは、悪霊こと亡きザクスベルト王子。
【ここ数日、ほとんど寝てないから】
「いえ、きちんと休んでおります。精神の集中と解放の訓練をしながら……」
「そこは、普通に寝てちょうだい」
「けれど、努力しませんと…… 苦手ですもの」
ルイーゼの目の下には、はっきりクマができている。
―――― 聖女を継ぐための訓練は、数日前から基本的な神力の使い方へと移っていた。
その基礎の基礎が、呼吸。
人外の力を身に呼び込むためのもので、そこは魔法でも、カシュティール式の武道でも同じである。
次いで必要なのが、その呼吸を用いた精神の集中と解放。
いわゆるゾーンに入った状態を意識的に作り出すのである。
ルイーゼはこれが苦手だった。
集中はいける。しかし、解放とは……
正直なところ、まだよくわかっていない。
「努力でなんとかなるのでしたら、努力しませんと…… 決めたのですから」
「そうねぇ…… 睡眠不足でもたまに導かれることはあるわ、確かに。
でもね? 重要なのは、意識的にコントロールできるようになることなのよ?
いつも睡眠不足では、無理よね?」
「はい……」
「そもそも訓練なら、お昼にすればいいじゃない?」
聖女は色々と忙しい。毎日講義を施すのは、無理だった。その分、ルイーゼの自習の時間は十分あるはずなのだ。
「実は…… お昼は、アッディーラの姫を訓練しているのです」
「アッディーラの? 魔物姫?」
「ええ。とっても可愛らしい方でございます」
「お気をつけてね? 前の人生は、あの方のせいで失ったようなものなのでしょう?」
リーリエも、パトラやザクスベルトと同じ心配をするが、それは違う。
ルイーゼにとって1度目の人生は、気づいた時にはすでに失われていたも同然なのだ。
婚約破棄の場で蜘蛛糸に操られたことは、単なるきっかけに、すぎない ――――
「大丈夫です、お母様。それに今、少し計画していることも、ございますの。聞いていただけます……?」
ルイーゼは、以前ではあり得ないほどの熱を黒い瞳に浮かべ、計画を語りだした。
※※※※
一方、その頃。
アインシュタット公爵家の館では ――――
「すごいです、エルヴィラ様! 本を落とさず歩けるようになりましたね!」
「ふんっ、あたしにかかれば、こんなものよ!」
「本当に、よく頑張られましたよ、エルヴィラ様。食事マナーもすぐに覚えられましたし……」
「ふんっ、お上品ぶるだけなんて、簡単よっ」
パトラに手放しで誉められて、そっぽを向いたとたん。
ばさばさばさっ…… と、エルヴィラの頭上の本が落ちた。
基礎がなっていなければ何事も見苦しい、と課されていた歩行訓練 ―― 本を頭の上に乗せて歩くアレである ―― を、エルヴィラは、わずか半月で完璧にクリアした。
本5冊を頭上に積んでも、まっすぐに首を伸ばして颯爽と歩けるまでになったのだ。
その間エルヴィラは、文句ひとつ言わずに厳しい訓練に耐えた…… 表向きは。
もちろん内心では 『この鬼! このレッサーデーモン!』 と悲鳴を上げていたのだが、不満を漏らすことはなかった。
健気なのではない。
世話にはなっていても、気は許していない、という意識のあらわれである。
不満を言うことは、弱味を見せることだ ―― 敵認定している令嬢に、そんなことできるものではない。
だが、その辺のことは、パトラにもルイーゼにも、時々エルヴィラの話し相手になってくれる悪霊にも、あまり通じてはいなかった。
彼らは厳しい反面、やたらと誉めてくれも、するのだ ―― その都度、エルヴィラは、なんともいえないむずがゆい気持ちを味わってしまう。
(けど、絶対に油断なんかしないんだから……!)
赤い瞳をギラギラさせて、ともすれば彼らを信用しそうになる自分を叱咤する、エルヴィラ。
(何でも持っている公爵令嬢とその一派なんて、絶対に、敵よ! 敵だったら、敵なのよ!)
「さぁ、エルヴィラ様。これから、仕立て屋が参りますよ。一番お似合いのドレスを、作ってもらいましょうね」
「ほ、本当に、いいの? そこまでしてもらって……」
「お嬢さまからのご指示ですから、御心配なく!」
きっと頑張られたご褒美ですよ、と片目をつぶってみせる侍女に、ウッカリ抱きついてしまいそうになった、エルヴィラであった。
(あたし…… 本当に大丈夫かしら!?)
―――― かくして、それぞれの思惑を抱えながらも、舞踏会の日がやってきた。
2021/08/13 誤字訂正しました! 報告下さった方、どうもありがとうございます!