8-3. 公爵邸③
「エルヴィラ様は、悪霊がお視えになるのでしょう?」
ルイーゼの返事は、エルヴィラには予想外のものだった。
―――― いったい、何が言いたいのだろう?
「一応、魔族だから」
「わたくし、あの方を想っておりますの……」
とたんに窓の外で、すごい音とともに雷が落ち、 【嘘だろ!】 というツッコミが、ふたりの頭の中に響いた。
―――― 件の悪霊ザクスベルトは、エルヴィラを警戒して、いざとなれば従妹を守ろうと待機中だった。
そこへ、思いがけないルイーゼの告白を聞いて、動揺したのだ。
―――― ザクスベルトからすれば、最近のルイーゼは、生前の頃よりもさらに可愛い。
ここのところ、ふたりは基本的に同じ部屋で一緒に暮らしているわけだが、しばしば 【死んでなければ色々とガマンできなかったかも……】 と思うことだってある、正直。
ちなみに今、彼が色々とガマンしているのは、悪霊であるがゆえの遠慮が8割。
残りの2割は、生前の頃と比べてなんだかよそよそしいルイーゼの態度を誤解しているせいである。
―――― 生前の頃は、ルイーゼは確かに感情をほとんど見せない人形のような令嬢であったが、ザクスベルト自身は彼女に懐かれている自信があった。
しかし、今では逆だ。
イキイキとして感情表現も豊かになってきたにも関わらず、ルイーゼはザクスベルトの前でだけは、なんだか人形じみている ―― つまりは、 『上っ面』 なのである。
そして時折、なにげなく接近した瞬間などに、物凄く緊張されてるような感じもする。
―――― それらは実は、ルイーゼがザクスベルトへの乙女心を自覚しつつあることの影響なのだが……
そんな難しいことは、その真っ直ぐな気性とカリスマとで女性からも男性からもチヤホヤされた経験しかないもと王太子には、わかるわけもなかった。
ルイーゼの態度を 『悪霊であるがゆえに、本能的に怖がられている』 と曲解したザクスベルトは、【俺は保護者、保護者、保護者……】 の呪文を日夜、内心で唱えつつ、恋愛的な流れからは距離をとっていたのだ。
―――― なのに、ここにきて 『実は好き』 的な話を他人にされても。
【嘘だろ】 以外にはツッコミようがないのである。
もし、嘘じゃなければ……
【いや、ダメだろ……!】
頭をぶんぶん振って妄想を追い払う、悪霊王子であった。
一方 ――――
「嘘ではありませんわ」
澄ました顔でうなずく、ルイーゼ。
「ですから、リュクス王太子様との婚約は、本当の本気で絶対に避けたいのです」
「本当の本気で?」
「ええ。わたくし、全力でエルヴィラ様を応援させていただきますわ…… まずは、エルヴィラ様に合うドレスを急いで仕立てさせましょう。礼儀作法とダンスは、わたくしとパトラが」
パトラは没落した子爵家の令嬢で、12歳で両親を事故で亡くして公爵家にルイーゼの侍女として引き取られた。貴族としての基本的な素養は、身に付いているのだ。
「パトラとザクスベルト様は、わたくしが居ない間、エルヴィラ様のお話相手もいたしますから、何かお聞きになりたいことがあれば、いつでも質問なさってくださいませ」
「…………」
エルヴィラは目を丸くして、隣で忙しく口を動かす公爵令嬢を見ていた。どうやら本気らしいのだが、なぜだ。
「…… どうして、そんなに良くしてくれるの? あなた本当に、婚約したくないだけ?」
「ええ」
嘘である。本当はエルヴィラを味方に引き入れ、最終的に母リーリエとルイーゼ自身の命を救う一助とする魂胆だ。
しかし今、ルイーゼがエルヴィラに晒すのは、晒しても問題のないカードだけ ――――
「まずは、エルヴィラ様とリュクス様のおふたりが幸せになりませんことには、わたくしとザクス兄様との幸せは、やって参りませんもの……
あの、わたくし。少し神殿に参りますので、これで失礼いたしますわね」
―――― 後程、彼女は 『使える者はお父様お母様でも弟でも使います。ましてや、ザクス兄様ならば、使っても許してくださるでしょう?』 と語ったりもする。
だが、この場では。
ルイーゼは、頬を染め、逃げるように立ち去ってしまったのだった。
―――― 当面のエルヴィラへの言い訳として利用するつもりで語ったら、急に居たたまれなくなった ―― その心情は、ルイーゼ自身にも上手く説明できるものではなかったが……
ひとまず、冷遇されて育ちすっかりひねくれた魔族の皇女を納得させるには、役立ったのだった。
―――― こうして、後にエルヴィラが 『鬼よりも怖かった』 と語る厳しいレッスンの日々が始まった。