8-1. 公爵邸①
軽やかで優美な白の調度で統一された離宮を 『王女』 とするならば、王城を守るような位置に建つアインシュタット公爵家の館は 『重騎士』 と呼ぶのが相応しい。
住む、というよりは防御を優先した要塞のような造りだ。
窓が小さく昼でも暗い廊下は、慣れればどうということはないが、パトラは久々に、侍女として着任早々の圧迫感を思い出していた。
なぜなら……
背後から、ついてきているからだ。
悪霊と、魔物姫が。
悪霊はパトラには視えないし聞こえないが、近くにいると肌が粟立つような感覚がある。
そして、小さな窓から見える空はにわかにかき曇り、稲妻が走っている。
―――― 悪霊の災いを呼び寄せる力とやらが、ルイーゼお嬢様の部屋から出たとたんに働いているのだろう。
一方の魔物姫はといえば、ルイーゼお嬢様が処刑される原因を作るはずの女…… それに相応しく、今も敵意を周囲に振り撒き、アッディーラの民にしかあり得ない赤い瞳をギラギラと光らせている。
念のために悪霊が監視についてくれているわけだが、それでも正直なところ、めちゃくちゃ怖い。
―――― 「お客様でしてよ、よろしくね」 と気軽に命じられ、 「かしこまりました」 と頭を下げた瞬間から、本当はこう聞きたくてたまらなかった。
(どうして最近、変なモノばかり拾ってこられるんですか、お嬢様!)
その答えは一択 「ですから、わたくしが処刑されない未来のためでしてよ」 に違いないのだが、内心では叫ばずにいられない、パトラである。
―――― しかし、さすがはお嬢様付きの優秀な侍女。
表面は平静を装い、姿勢正しくしっかりとした足取りで魔物姫を案内しているのだ。
パトラは、ある部屋の前で立ち止まると、大きくドアを開けた。
「どうぞ、エルヴィラ姫様。お嬢様より、こちらの寝室をお使いくださいとのこと…… 我がカシュティール家でも最上の、女主人のお部屋でございます」
「なにそれ。意味わかんないし」
建物全体の重厚な雰囲気と裏腹に、その部屋は離宮と同じく、明るく柔らかな雰囲気に満ちていた。
植物を模した彫刻で彩られた、曲線的なラインの白の調度。
中庭に面したバルコニーの窓からは、広々とした空がのぞいている。晴れていたらさぞ、気持ちのよい景色が見られることだろう。
「お嬢様の、エルヴィラ姫様へのお心遣いでございます。お嬢様にとっては大切な思い出の残る、お母様のお部屋ですから……」
「…………」
ぴくり、とエルヴィラが一瞬止まった。反応があったのだ。
(さすが、新生・お嬢様です……)
時を遡って覚醒したルイーゼの読みは的確だった。
あらかじめ調べておいた過去から推測した、エルヴィラが反応しそうなネタその1…… それが、 『わたくしも母親がいないの』 である。
パトラはエルヴィラのためにお茶を淹れつつ、ルイーゼに命じられた通りの言葉を淡々と告げた。
「お嬢様は、お小さい頃にお母様が出て行かれてから、ずっと、この広い館で、おひとりぼっちでいらっしゃいました。
お父様とも、腹違いの弟君とも、お会いするのは年に数度だけ…… 寂しくなると、この部屋でお母様をしのび、お心を慰められていたのでございます」
……あれ? 本当のことしか話してないのに、こういう言い方すると、いかにも悲惨。
「なっ、なによ! 思い出があるだけいいじゃない! あたしなんか、母の顔も知らないんだからね!
惨めぶって同情させようったって、そうはいかないんだから……!」
「そのようなことは…… つい、余計なことを喋りすぎてしまいました。申し訳ないことでございます」
「…… ふんっ。もういい。ひとりにしてちょうだい。そこの悪霊ももちろん、どっか行ってよね!」
「後程、お嬢様がお部屋にうかがうと申しております」
「わかったわよ……!」
―――― 部屋を退出したパトラと悪霊が、やりとりの一部始終をルイーゼに報告したところ……
このお嬢様は、専属の侍女でさえ初めて見るようなドヤ顔を披露した。
「ほら、ね。『こなくていい』 が 『わかった』 になりましたでしょう?」