幕間~魔物姫~③
前半、流血表現があります。
苦手な方は、後半よりお読みください。
何が起こったのか、エルヴィラにはわからなかった。
胸の強烈な痛みはすぐになくなったが、違和感は残っている…… そして、温かいものがじんわりとドレスを濡らしていく感触。
(な、に……?)
開いた目に映ったのは、左の乳房の下に生えた短剣の柄だった。
「リュクス、様……?」
リュクスはエルヴィラの手に優しく手を添え、その柄を握らせた。
「公爵令嬢が亡くなった夜。彼女ととっても仲良しだった君は、悲しみのあまり、魔族の唯一の弱点である心臓を、自ら突いて亡くなってしまうんだ」
エルヴィラの足がよろめき、身体が床に崩れ落ちた。その赤い瞳からは、涙が次々とこぼれてゆく。
―――― 結局、最後までリュクスから愛してはもらえない。
それが、わかったのだ。
(あたしは、だれからも、あいされずに、しぬの?)
「そんなことを、すれば、アッディーラが……」
ごぼり、と口の中に鉄サビのにおいがあふれた。血だ。
「どちらにしろ、いずれはカシュティールを乗っ取る気だったんだろう?
ならば、聖女がまだかろうじて結界を紡ぐ力のある今の方が、まだ良いというものだよね?
もっとも、お前が何も起こさなければ、もう少しは生かしておくつもりだったが…… お前は、一番してはならないことをしてしまったんだからね」
「あ……」
全身が重くしびれ、感覚が、なくなっていく…… けれど、苦しい。苦しいことだけが、わかる。
次第にかすんでいくエルヴィラの意識が最後に見たのは、愛しい人の凄絶な笑みだった。
「最後に教えてやろう。僕が魔族と手を結んだのは、兄上を廃嫡してルイーゼを手に入れるためだ。お前など、要らないオマケだったんだよ。何を勘違いしたのか、知らないけど……」
―――― 婚礼の夜。
もはや聞く者のいなくなった広い寝室には、孤独な王太子の嗚咽が、いつまでも響いていた。
「ルイーゼ…… 僕の、ルイーゼ……」
※※※※
「なぁにが、僕のルイーゼ、よっ! 腹立つぅ!」
叫び声と共に、エルヴィラは目をぱっちりと開けた。
うーん、と寝台の中で伸びをする。
「妻になったばかりの女をしれっと殺しときながら、別の女の名前呼んで泣くとか!
そんなにルイーゼが好きなら、どんなに圧かけられても、あたしとの婚約なんか断ればいいじゃない!
国滅ぼす覚悟で、僕のルイーゼとやらを取りなさいっての、もう!」
それができないのがリュクスという人なのである。柔弱、とでもいうべきか。
優しく誠実なのももちろん彼の一面だが、他面、強いものには弱いのだ。
そしてそのストレスは、怒りを向けても問題ないと判断された、さらに弱い者に向かう ―― あのケースでは、その対象がエルヴィラだった。
厄介なのは、彼に悪気はほとんど無いところである。
―――― 国際政治が絡む局面で、ひとりの令嬢を助けられないのは (一応、めちゃくちゃ悩みはしたが結局のところ) 『仕方がない』 のだし、エルヴィラをズドンしたのは私憤とはいえ 『正義のため』 だ。
つまり、常に正しい (と本人が考える) 理由があるのである。
―――― しかしエルヴィラは無論、憧れの王子の本性までは知らず、叫んだ。
「だから、勘違いするんじゃないっ! ホント腹立つぅぅぅ!」
腹が立つことを除けば、清々しい朝だ。
窓から差し込む朝日は眩しく、青空はリュクス王太子の瞳のよう…… じゃなくて、とにかく、生まれてからずっと閉じ込められてきた魔王城の地下とは比べ物にならないほど、爽やかだった。
(前の人生では、あんな終わり方したけど…… やっぱり好きだわ、この国)
―――― 死んだはずなのに、カシュティールを初めて訪問した際の自分に戻っている。
その理由は分からないが、昨日、はっと気づけばエルヴィラは、2年前のまだ強固だったカシュティールの結界に足を踏み入れるところだったのだ。
2年前と同じく、宿泊所として王家の離宮に案内され、生まれて初めて専属のメイドをつけてもらった時までは、死ぬ前に見る走馬灯にしては、ずいぶんと長い…… などと思っていた。
けれども、今朝こうして目が覚めても同じ寝室にいる、ということは、エルヴィラは、本当に時間を遡ったのだろう。
(……なにか、やり直しても良い、って言われた気がする!)
エルヴィラは重たい窓を自らの手で開け、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
―――― 前の人生での訪問よりも、今回は滞在期間を伸ばそう。いや、もうアッディーラには帰らなくても良いかもしれない。
そして、できるだけリュクスのそばに居るのだ。
今度の人生こそは、ルイーゼなんかより、ずっとずっと、好きになってもらおう。
―――― そしたらきっと、ルイーゼを殺しても、怒られない。
エルヴィラは、邪魔者なくリュクス王子に愛される未来を想像して、にこにこしながら呼び鈴に手を伸ばした。
まずはメイドを呼んで、めいいっぱい、おめかししよう。
―――― 今日これからの、カシュティール王妃のお茶会では絶対に、リュクス王子にキレイだと思ってもらわなければ。