幕間~魔物姫~②
カシュティールの王太子との再会と婚約…… 喜びと期待に溢れていたエルヴィラの心に嫉妬が居座るようになるまでに、長い時間はかからなかった。
リュクス王太子は以前と同じく優しく礼儀正しかったが、ただ、それだけ。
彼の心を別の女性が占めていることは、すぐに、わかった。
―――― ふたりきりでも、どこか遠くを見てぼんやりしている時がある。
「どうしたの?」 と聞けば、必ず 「ちょっと思い出したことがあって…… 別になんでもないんだ」 とはぐらかされる。
演技ならば、もっと完璧にしてくれれば良いのに、とエルヴィラは思った。
―――― おそらく、完璧に演技するだけの愛情すら、王太子はエルヴィラに持っていなかったのだ。
その都度エルヴィラは、リュクスから 「お前とは政略」 と宣言されている気がした。寂しく、悲しかった。
そして、嫉妬した。
―――― 王太子の元婚約者、アインシュタット公爵令嬢・アンナ・マリア・ルイーゼ。
(あの女が、消えればいいんだわ)
エルヴィラには魔力はないが、魔力を使わずに特殊な蜘蛛糸で物を操る、操糸術の心得はあった。
皆の面前で公爵令嬢を操り、エルヴィラ自身の首を絞めさせれば、誰もあの女を救うことはできない……。
―――― こうして、エルヴィラにとっては婚約発表の、ルイーゼにとっては婚約破棄の場において、悲劇は起こされたのだった。
その後、ルイーゼは20日間牢の中に拘束され、エルヴィラと王太子の結婚式の日の余興として、毒杯を飲んで死んだ。
(勝った)
真夜中、初めての夫婦の寝室でリュクスを待ちながら、エルヴィラは声をあげて笑った。
(これでリュクス様はあたしのものだわ。あの女さえいなければ、リュクス様は私を愛してくれるはず……)
エルヴィラは幸せだった。
生まれて初めて愛されるのだ。ただひとり、愛した人に。――――
だが、待ちわびていた夫が寝室に入って最初に発したのは、悲痛な声だった。
「アインシュタット公爵令嬢の最期は、彼女らしく、誇り高いものだったそうだ。僕は、あのひとを見守ることさえ、できなかった……」
その女は貴方の妻を殺そうとしたのよ? むしろザマァ見ろ、では?
エルヴィラは喉まで出かかった言葉をのみ込み、うつむいた。
―――― 魔族の一般的な考えは、弱肉強食。弱いほうが、罠にかかるほうが、殺されるほうが悪いのだ。
―――― だが、人間たちはしばしば、違う。
彼らも魔族と同じく、強さや力といったものが大好きだが、一方では、思いやりや優しさというものを大切にしているところもあるのだ。
だからこそ、エルヴィラは、このカシュティール王国に惹かれた。
リュクスのことを、好きになった。
―――― おそらくはリュクスも、そういったものが好きだろう。だから、大して好きでもないエルヴィラにも、礼儀正しく、優しくしてくれたのだ。
そして、亡くなった公爵令嬢のことを今、嘆いているのも、その優しさゆえだろう。
―――― 彼女にまだ未練がある、というわけでは決してないはず、とエルヴィラは考えた。
(死んでしまった者なんて、どうしようもないもの。今はリュクス様も、生きてるあたしのほうを、愛してくれているはずだわ)
死者に用はない、と信じ込んでいる辺りが、立派な魔族思考である。
しかしエルヴィラは、魔族であると同時に、恋する乙女でもあった。ゆえに、恋のためには打算的にもなる。
(でもきっと、リュクス様に合わせたほうが、もっと愛されるよね!)
エルヴィラは、悲しげな声を絞り出した。
「あの方は、お気の毒だったわ……」
「お前が殺させたのに、かい?」
「え…… あたしは、そんなつもりは…… 確かにあたしが原因かもしれないとはいっても…… ひどい、リュクス様」
両手で顔を覆い、肩を震わせてみせるエルヴィラに注がれたリュクスの眼差しは、氷よりも冷たかった。
「操糸術というんだね。油断したよ。魔族とはいえ魔力の無い、安全な姫だと思っていたのに…… とんだ隠し駒だ」
「なんのことか、わからないわ」
「アッディーラ優位の講和だからといって、何も真実を調べさせなかったと思うのならば、随分とナメてくれたものだね…… だが、まぁいい。こっちに来て」
なんだ、とエルヴィラは思った。
一瞬は焦ったが、やはり今のカシュティールではアッディーラに対抗できない。
たとえリュクスが真実を知ったところで、エルヴィラとの結婚は変えようがなかったのだ。
「エルヴィラ」
「リュクス様……」
愛しい人の体温を近くに感じ、エルヴィラは目を閉じた。
唇に、彼の吐息が触れるだけで、喜びに身体が震えそうだ。
(これからこの方と夫婦になる…… 大丈夫、今は動揺されていても、きっと、すぐにあたしを愛してくれるようになるわ)
彼の唇の温もりを、わずかに感じたのと同じ、瞬間。エルヴィラは胸の下に痛みを覚えた。