6-5. 求婚者の決意⑤
「確かに、都合よくリュクス様に理想のご令嬢が現れるとは、限りませんね」
パトラが注いでくれたお茶をひとくち飲み、ルイーゼは小さく息を吐いた。
「けれど、少しだけ肩の荷が下りたように思います。これからしばらくは、聖女の修行、それにお母様の病を防ぐことに専念できましょう」
【あれほどお元気そうなリーリエ様が、もうじき倒れられるとは…… 信じがたいな】
「わたくしも正直なところ、確信がもてておりません、ザクス兄様」
ルイーゼの前の人生で来年にあたる年に母、聖女リーリエがかかった病は、まだ兆候すら見えていない。
取りあえず検査を増やしてもらったが、今のところ健康そのもの ―― と、先日の講義の折にも言っていた。
それでもルイーゼに、油断するつもりは全くなかった。
―――― 原因は思わぬところにあるかもしれないし、誰かが何かを仕掛けてくる可能性だってあるのだから。
「もし病が、誰かの罠や呪いなのだとすれば…… まず疑わしいのはアッディーラでしょうね」
【魔族は常に我が国を狙っている、と考えたほうが良いからな】
「アッディーラといえば……」
パトラが心配そうに顔をしかめた。
「明日の、王妃殿下のお茶会、本当に行かれるのですか?」
5日も前に来た招待状のことである。
―――― 内容は 『カシュティールを非公式訪問しているアッディーラの姫、エルヴィラをもてなすためにプライベートでお茶会を開く』 というものだった。
エルヴィラ皇女と年齢の合う話し相手として、ルイーゼが選ばれたのだ。
なお、リュクス王太子も同席する予定だという ―― この時点で、できることなら遠慮したくはあるのだが。
「王妃殿下がご招待下さったものを、お断りなどできないでしょう?」
「でも、アッディーラのエルヴィラ皇女って、お嬢様を処刑に追いやる予定の、あの魔物姫ではございませんか……!」
「間違えないで、パトラ。それは前の人生です。わたくしはまだ処刑されていませんし、当然、エルヴィラ様とはまだ、何の因縁もございませんのよ」
「せめて、そこの悪霊だけでもお連れくださいませ」
「いけません。雷や地揺れで、王妃殿下に何かあってはなりませんから」
「ですけれど……」
「エルヴィラ様はこの度、カシュティールに初のご来訪です。まだどう転ぶか分からない時に、可能性をせばめては、いけません」
このお茶会に呼ばれるのは、ルイーゼの1度目の人生では無かったことだった。
―――― 正式な婚約発表の時期が1年遅れただけで、未来はもう、変わってきている……
ならば、出会ってもいないうちから、敵対することはない。
「用心しておけば、よろしいでしょう?」
自らに言い聞かせるように、ルイーゼはこぶしをそっと握りしめた。
【つまりは、行くんだな?】
「ええ」
【なら、これをつけていってくれないか、ルイーゼ。火の神殿の護符だ。蜘蛛糸を無効化する】
ザクスベルトが手にしていたのは、剣の形に磨かれた赤瑪瑙がついたペンダントだった。
―――― 魔族の姫エルヴィラには魔力は無いが、アッディーラの特殊な蜘蛛糸を自在に操る能力がある。
魔力にも、剣にも強い蜘蛛糸の唯一の弱点が、神の炎なのだ。
「ザクス兄様…… わざわざ、とってきてくださいましたの?」
【ちゃんと、お布施は置いてきたぞ?】
ルイーゼは思わず、くすくすと笑った。
―――― 温かいものが、胸の奥にじんわり広がっていくようだ。
(いつも、このような感じになれればよろしいのですが……)
残念ながら、今のルイーゼが精神的ひきこもりを解除した状態でザクスベルトに近寄れば、間違いなく変人になれる。
【つけてあげよう】
ザクスベルトが、すっとルイーゼの背後に回った。
(しまった、のです……!)
ついウッカリ油断してしまっていたことに、今さらながら気づいたルイーゼ。
右手で胸をおさえ、ぎゅっと目をつむった。
首に触れた彼の指に生前のような温もりはなく、ひやりとした冷たさが残るだけ……
―――― なのに、心臓が、痛むほどに締め付けられてしまうのは……
(これ以上は無理です……!)
ルイーゼは慌てて、思考を停止させたのだった。