5-3 . 母聖女③
リュクス王太子とルイーゼの婚約期間で穏やかなのは、最初の半年間だけだ。
その後、急速にカシュティールを覆う対魔族用の結界が弱まってしまい、そのほころびを突くように、アッディーラの侵略が始まる。
最初のうちは、神殿所属の対魔族専門部隊である聖騎士団がなんとか抑えていたものの、やがてジリジリと押されるようになり、ルイーゼが17歳になる頃には、ユィター領 ―― 母方の実家であるツヴェック家が治めている辺境の地 ―― が、陥落寸前となる。
ここで、当のアッディーラから講和の申し出があるのだ。
―――― 条件は、カシュティールが所有している魔族の地の一部返還と、王家同士の婚姻。
それは、負け戦で被るだろう損害と比べると、非常な好条件であった。
カシュティール側としては、とびつかざるを得ない。
その陰で、王太子とルイーゼの婚約は自然解消…… のはずが、カシュティールに嫁ぐ予定だったアッディーラの末姫に知られてしまう。
腹を立てたアッディーラの皇女は、自身の婚約発表の席でルイーゼを公に婚約破棄することを求めた。
それだけでは飽きたらず、婚約破棄の場で人知れず特殊な蜘蛛糸を使ってルイーゼを操り、ルイーゼが発狂して末姫の首をしめたように見せかけたのだ。
そして、その場で捕まり投獄されたルイーゼは……
大勢の面前での事件であったこと、そして、カシュティールとアッディーラの力関係からの判断 ―― アッディーラを刺激してはならない、ということだ ―― から真相の解明は行われず、アインシュタット公爵家からも見放され、毒に内臓を灼かれながら、孤独の中で死んでいった。
―――― こうして1度目の人生の最期を振り返ってみると、今更ながら、すっごい悲惨である。
「…… そして、気づきましたら、現在に逆戻りして、ザクス兄様やほかの幽霊たちが視えるようになっておりましたの…… え、ちょっと、パトラ!?」
「お嬢様ぁぁあっ! …… なんて、なんて酷い目に! 最後までおそばに居なかった私を、殴ってやりとうございますっ」
「いえ、本当に殴らなくても、けっこうですから……! 昔の、ではなく、未来? の、お話ですし」
えぐえぐ泣きながら壁に頭を打ち付ける忠実な侍女を、ルイーゼは必死で止めた。
このままでは、聖女のプライベートルームで惨劇が起きてしまう。
―――― その一方で、リーリエは。
パトラよりも、かなり冷静だった。
「あの男…… 家名可愛さで実の娘を切る、っていうの。結婚してみれば意外とクズだったとは思ってたけれど、許せないわ……!」
―――― いや、冷静に、斜め上方向で怒っていた。
このふたりの態度、ルイーゼとしては、非常に疑問である。
―――― なぜ、パトラもリーリエも、ルイーゼの言うことを全く疑っていないのか?
普通に考えれば、突拍子もない部類の話だろうに……。
「あの…… もう少し、『信じられない』 ですとか 『あなた頭がおかしいのじゃなくて!?』 といいましたようなお返事、というのは……」
「お嬢様が! 嘘や冗談で! そんなことおっしゃるはずが! ないでしょうっ! 見くびらないでくださいませ!」
パトラには、泣きながら怒られた。
「あのね、ルイーゼ? 仮にあなたが頭がおかしいのだとしても、それを今、検証したところで何のトクになるのかしら?」
リーリエには、冷静にツッコまれた。
「時を遡る…… わたくしもあまり詳しくはないけれど、時の神殿の秘儀であったように思いますよ。
あなたが処刑された瞬間に、誰かが時の神殿で秘儀を行えば、あり得ないことではないわ」
「いったい、どなたが?」
「さあね? わたくしにはわからないけれども…… もしかしたら、ルイーゼ。
あなたは、あなたが思っていたほどには、ひとりぼっちではなかったかもしれなくてよ?」
聖女は、軽やかに微笑んだ。