5-1 . 母聖女①
逃亡奴隷が助けを求める先。
犯罪者が逃げ込む場所。
来訪者に会いたくない者の取りあえずの言い訳。
―――― それが、神殿。
というわけで、朝からルイーゼたちが向かっていたのも、まさしくそこ ―― つまりは、王都の中心に位置する、中央神殿だった ――――
(もしかしたら、お会いいただけないかもしれませんね……)
馬車の中から言葉少なく、雷鳴轟く往来を見つめるルイーゼ。
本日は侍女パトラのほかに悪霊も同伴しているためか、天気は荒れ模様だ。あ、浮遊霊。
(もし、お母様ご自身から、邪魔者扱いされてしまったら…… )
考えるだけで心臓が縮み上がるような感覚は、ルイーゼの前の人生では、味わったことのないものだった。
母のリーリエは、ルイーゼが幼い頃に当時の聖女から後継に指名されて以来、1年のほとんどを神殿の中で祈りを捧げて国の結界を紡ぐことに費やしている。
―――― 国を覆う結界は、魔力のある者を通さない…… 魔族と境を接しているカシュティールの防御には、重要かつ、必要不可欠なものなのだ。
強い神力でその結界を紡ぐのが聖女であり、指名されてしまえば、たとえどれほど離れがたい人がいようと、役目を優先させなければならない。
そのため、前の人生では、ルイーゼは母親に数えるほどしか会っていなかった。
邪魔になるから会いに行ってはならない、と言われて、忠実にそれを守っていたのである。
(大丈夫。お母様は、お会いした時はいつも、優しかったはず……
それに、どのような気持ちだって、何もないよりはよほど、いいでしょう?)
ルイーゼは己に言い聞かせた。
―――― もしここで、母に拒絶されたら、悲しみや怒りといった感情も味わうことになるのだろう。
けれども、どんな感情も、前世で味わいつくした虚無よりは、マシなはずだ。
心が生きているからこそ、感情がうまれる。
感情には、色がある。
それが、世界を美しくみせる。
前の人生は、ルイーゼにとってはどうでもいいものしかなかったが、今度の人生には、どうでもいいものなど、何ひとつない。
「聖女様、お久しう存じます」
「あら、ルイーゼ。お母様とは、呼んでくれないの?」
ビクビクしていただけに、母親の歓迎ぶりは、ルイーゼにとってはほっとするような、拍子抜けなような、微妙な気分だった。
「先触れがあった時から、わたくしったら、そわそわしすぎて何も手につかなかったのよ? 来てくれて嬉しいわ、ルイーゼ」
「わたくしも…… お会いできて、嬉しうございます。 …… お母様」
母からは、嫌われていたわけではなかった。
そう思ったとたんに、少しだけ涙がにじんだ。
「パトラもお元気そうね。それにザクスベルト様、ようこそいらっしゃいました…… と申し上げたいのですけれど、果たしてこの神殿の結界を通れるのかしら?」
【余裕だが、何か?】
「あら。悪霊にはなっても悪意は無いのね。けっこうなこと」
さすがは聖女、話が早い。
ザクスベルトの姿が視えたばかりか、彼が悪霊になっていることまで、一瞬で見抜いたのだ。
一方で、侍女のパトラはさっと青ざめて、後ずさった。
「そそそそそこに、ザクスベルト王子のああああ悪霊が……?」
「ええ。ですが悪霊といっても、雷を落として求婚の邪魔をする程度ですから、大丈夫よ」
ニコニコしながらサラリと言うリーリエに、今度はルイーゼがひきつった。バレている。
「お母様…… どうして、それを」
「あら、普段は家族に会えないんですもの。せめて情報の収集くらいはしておくわよ」
どうやらリーリエは、お見合いが落雷で潰されたことを、あらかじめ聞いていたようだ。
そしてここでザクスベルトの悪霊に会い、その原因に納得がいったのだろう。
「それで、ルイーゼ? あなたに悪霊が憑いているわけとか、あなたが悪霊が視えるわけとか、あなたのお顔がイラクサでかぶれているわけ……
お茶でもしながら教えてくれる、ということかしら?」
「ええ。それにわたくしも、できましたら、教えていただきたいことがございますの」
「もちろん、わたくしで教えられることならね?
そうそう、公爵家や王家には 『ルイーゼは魔族の呪いを解くためにお篭り中』 とでもお伝えしておきましょうね」
聖女は、片目を素早くつぶってみせると、軽やかに身をひるがえし、神殿の中に入っていった。
2021/08/02 誤字訂正しました!報告下さった方、どうもありがとうございます!