35-3. エピローグ~20年後の再会~③
1年に1度、王城の舞踏会で想い出の曲が流れる間だけ、国王や聖女としての責務を離れ、庭園で月を観る ――――
20年前にそばにいた悪霊は、もはや気配のひとかけらもなく、満月が澄んだ光を、夜空のすみずみまで届けていた。
その光景は、かつて悪霊の影響で常に荒れ模様だった頃とは全く違っていたが、それでも。
デビュタントで彼と踊った ―― あずまやに近いこの地は、ルイーゼにとっては常に、懐かしい場所なのだ。
「ザクス兄様……」
ぽつり、とルイーゼは呟いた。
例年よりもさらに感傷的になってしまっているのは、舞踏会に王太后が招いた客人が、おそろしく彼によく似ていたせいだ。
月の光を紡いだような髪に、忠犬のように人懐こい藤色の瞳。
明るい笑顔に、人を惹き付けずにはいられない声まで ―――― ねだられて招待したといっていたが、王太后もまた、あの姿に亡き息子を重ねているに違いない。
ザクスベルトとは別人だと分かっていても、見ればつい、本人を前にしたような気分になってしまう。
そして、少し惨めになる。
―――― 年を取りすぎた。
どうしても、そう、感じてしまう。
(気をつけなければ……。わたくしには、思い出だけでじゅうぶん)
ルイーゼは、肌身離さず持っている懐中時計を取り出した。
蓋をひらけば、深い瑠璃の空にもう1つの月が浮かんでいる。
「美しい月夜ですね、ザクス兄様……」
「こんなものより、ルイーゼのほうがきれいだぞ」
「ザクス……」
不意に背後から聞こえたのは、懐かしい声。
―――― 一瞬、彼だと思ってしまった。
違うのは、わかっているはずなのに。
「ザクスフリート様。悪ふざけが、過ぎましてよ?」
振り返り、たしなめるルイーゼに返されたのは、困ったような微笑み。
「待たせて、すまなかった。転生してから育つまでに、普通に時間がかかってしまって……」
「おやめくださいませ」
ルイーゼは若者を、なるべく穏やかにさとした。
―――― もしそうならどれほど良いか。
そう、望んでしまう心が恥ずかしい。
「…… これ以上は、わたくしも、本当に怒ってしまいますよ」
「信じてくれないのか…… 君も、時を戻ったことがあるのに?」
ルイーゼは息を、飲んだ。
―――― それを知るのは、この世にはもう、ルイーゼとあと2人 ―― 昔馴染みの侍女と、遠くアッディーラの友と ―― しか、いないはずだ。
「パトラにお聞きになりましたの? 用意周到でいらっしゃいますこと」
「ルイーゼ…… 兄さんは、君をそんな疑い深い子に育てた覚えはありません」
「育てられた、覚えも、ございませんもの……」
そんなはずはない。
そう思っても、懐かしい言い回しに、つい、信じてしまいそうになる。
声が震え、涙が自然と出てきてしまうのを、ルイーゼはうつむいて隠した。
「…… 本当に、ザクス兄様?」
「本当だよ、ルイーゼ」
「嘘でしたら、承知いたしませんことよ?」
「証拠に、ふたりしか知らない思い出を、望むだけ語ってあげるよ…… だが、その前に、一曲お願いできませんか、お姫様?」
手を差し出す彼に、柔らかな月の光が降り注ぐ。
「これからは何度でも、一生、君に言い続けるよ、ルイーゼ」
大きなてのひらに、ためらいがちに手をおけば、ぐっと引き寄せられ、抱きしめられた。
生きている者しか持ち得ない温もりに包まれて、思わず目を閉じたルイーゼの耳に、そっと囁かれる。
「美しい月夜だ」
その言葉は、ふたりしか知らない約束 ――――
カシュティール国王の遅い結婚が発表されたのは、それから間もなくのことだった。
夫となったナグウォルの第4王子は20歳そこそこ。
あまりの年の差に、口性悪い連中は財産地位狙いと騒いだが、実際には周囲が恥ずかしくなるほどに仲むつまじい夫婦だった。
―――― 後年、彼らの元には時折、炎の髪と瞳に、雪のような肌を持つ麗人が訪ねてきて、昔話に花を咲かせていた……
と、国王の侍女がのこした日記には、しるされている。
それが、魔族も人間も平等に暮らす国アッディーラの女帝が、魔力の代わりに優しさと公平さを備えた金の髪に青空の色の瞳の皇帝に譲位した、その後の姿だったか否かは ――――
この物語をここまで読んでくださった、あなたのご想像に、お任せしたい。
(終)