0-1. プロローグ~婚約破棄と処刑~①
プロローグ2話、処刑シーンです。
苦手な方はご注意ください。
時の神殿から、正午の鐘が鳴り響く ――――
ペルディータ大陸の北、魔族の帝国と境を接するカシュティール国の王城。
その地下牢にて、ひとりの令嬢の人生が、終わろうとしていた。
「アンナ・マリア・ルイーゼ。言い残すことは」
「特にございません」
神官の質問に淡々と応じたのは、年の頃17、8の上等な白のドレスを身にまとった少女。
豊かな黒髪に切れ長の黒い瞳、陶器のように滑らかな肌と珊瑚の唇…… 笑えばさぞ、美しいことだろう。
だが今、その表情は、死んだように静かで平坦であった。
「では、最後の祈りを」
「…… カシュティールの神々よ、国と王と公爵家に永遠の安寧と繁栄を……」
周囲で見守る執行官たちの間に、声にならないざわめきが走った。
―――― 気の毒に。
―――― こんなになってまで、まだ、国や公爵家のために祈るとは。
もとアインシュタット公爵家令嬢、アンナ・マリア・ルイーゼ。
彼女の運命は、カシュティール王国と魔族の帝国アッディーラが長年の争いに終止符を打ち、共に講和を目指した時に、定まった。
講和の証として、アッディーラの末姫とカシュティールの王太子の婚姻が決まり、もともと王太子の婚約者であったルイーゼは、その立場から退くこととなったのだ。
―――― それも、アッディーラの末姫のわがままにより、公式のパーティーで王太子から婚約破棄を宣言されるという屈辱的な形で。
話はそれだけで終わらず、婚約破棄を宣言された直後、集まっていた貴族たちの面前で、ルイーゼは発狂したかのようにアッディーラの末姫の首を絞めようとしてしまう……
彼女が捕えられ、裁判を開かれることもなく処遇が決まったのは、当然の流れといえた。
死罪である。
アインシュタット公爵家は累が及ぶのを恐れて事件後にルイーゼの勘当を発表、牢にいる彼女に面会に来た者は、ルイーゼ付きだった侍女ひとりだけ。
その侍女も、面会したのがバレて罰せられたのか、最後には来なくなってしまった。
だが、それらの事実を全て、ルイーゼは淡々と受け入れた。
嘆くことも怒ることもなく、常に平坦な表情で言葉少ななこの囚人を、ある程度の事情を察していた周囲の者たちは 「心が壊れてしまったのだろう」 と理解し、同情した。
しかし実際のところ、ルイーゼにとっては、自身がどうなろうともどうでも良いことだったのだ。
物心つく前から、全てのことを 『公爵家のため』 あるいは 『国のため』 になるように求められ、決められてきた…… そんな彼女の価値基準に 『自分』 は全く入っていない。
―――― これまでは、役に立つからこそ、公爵家の中で生きることが許されてきた。
けれども、婚約破棄された時点…… いや、カシュティールとアッディーラが講和を目指した時点でルイーゼは 『使えない駒』 になってしまった。
そうなった以上、この身が生きようが死のうが、どうでもいい。
ルイーゼは心底からそう思っていた。
彼女にとっての世界は、どこまでも平坦で色も匂いも音もないものだった。
知覚はしている。だが、それだけだ。
わずかでも、心が動くことは、全くない。
世界はどこまでいっても、ルイーゼを閉じ込める無色透明の檻であるに過ぎず、その檻の中で、全てを諦めて横たわる獣が、彼女であった。
彼女にとって死は、隣の家に行くよりも気軽で、近しいものだったのだ ―――― これまでだって、生きながら、死んでいたようなものなのだから。
「どうぞ、ルイーゼ様」
「ありがとう」
澄みきった鐘の音の中、今頃、王太子とアッディーラの末姫との結婚式が行われていることだろう。
だがそれすら、ルイーゼには何の感情も引き起こさせない。
執行官が恭しく捧げる杯を、もと公爵令嬢は優美な仕草で手に取り、一気にあおった。
2021/7/25 誤字訂正しました!報告下さったかた、どうもありがとうございます!