国一番の執事は、辺境の地で赤い薔薇を愛でる・・・
ユニフォーミティ王国は、通称『医学と植物の国』と呼ばれている。
四季があり、土地も肥沃なので、多種多様な植物の栽培に適している。貿易をせずとも自給自足出来るくらいに農産物や観賞用の草花を栽培しているが、メインは薬や健康食品、ハーブの為の植物だ。そしてこれらをもとに医学や薬学が進んでいる。
そしてユニフォーミティ王国と東大山脈を挟んで東側に位置するのが、ストリームライン共和国だ。通称『科学と工業の国』と呼ばれている。
この隣国ストリームライン共和国との境にある辺境の地を治めているのは、フィリア辺境伯である。
フィリア辺境伯のユーゴは大変優秀な人物で、しかも人格者だった。彼は領土の子供達に身分関係なく学問を奨励して手厚く保護をした。そして当時国一番と評判だった教師を招き、多くの優秀な人物を輩出した。
その結果、国境の辺境地だった事もあって、世界各国からも留学生が集まるようになり、いつしかフィリア領の中心のリンドンの町は『学問の町』、そしてユーゴは『学問の父』と呼ばれるようになった。
しかしその優秀な領主の傍には、国一番と名高い執事がいつも寄り添っていた。
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三十年程前、ユーゴの子供の頃のフィリア家は借金だらけで、非常に貧しかった。その借金を完済しただけでなく領地をここまで復興させたのは、一人の若い執事であった。
彼は今、国中の人々から、フィリア辺境伯家に執事のエドモント有りとまで言われている。
これはエドモント=トーマス=バームが、何故フィリア辺境伯の執事になったのか、どのようにして借金を完済したのか、というお話です。
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エドモントは子爵家の出身で、元々王都に住んでいた。
彼は、王族や名高い貴族にも請われていたにもかかわらず、それらを全てお断りをし、何故か自ら望んで辺境伯爵の執事になった。
エドモントは、現在の国の長老方と称される偉い人達とは顔見知りである。
というより、初等学院から大学までずっと一緒であった。それ故、その苦労といったら並大抵ではなかった。
彼がなまじ優秀であったために、幼い頃からずっと、高位貴族の出来の悪い御子息達の面倒を見させられたからである。
その上、彼の成果は全て彼らによって奪われた。
高位貴族の御子息達は絶えず誰が彼を支配下に置けるかと争っていた。
しかし、エドモントはこれ以上人に利用される人生はまっぴらだったので、飛び級を繰り返し、十八歳という最年少記録で大学を卒業すると、世界一周の旅に出ると言って、数多の有力な就職先を蹴って、さっさと王都を出て行った。
そして、その後紆余曲折があって、彼はフィリア辺境伯家の執事となったのである。
愚かな貴族の為に、ユニフォーミティ王国は貴重な人材を失くしたのだが、傾きかけていたフィリア家にとっては、涙が出る程有難い事であった。
当の本人がどう思っているかは定かではないが。
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フィリア家はユーゴの祖父の時代に膨大な借金を作った。
それは大災害の折り、領民の為に私財を投じただけでなく、近隣の領主から借り入れをしたためである。それ以来、長い間重い負債に苦しめられてきた。
しかし三十年程前、幸運にもエドモントという大変優秀な男が執事になってくれた事で、その驚くような手腕によって、その当時破裂寸前まで膨らんでいた借金が、十年もしないうちに赤字から黒字に変わっていた。
初めてフィリア家を訪れた時、若干二十歳だったエドモントは、ユーゴの父である辺境伯に向かってこう言ったそうだ。
「南東街道に接し、隣国とは目と鼻の先の距離に位置したフィリアは交通や流通の要なんですよ。
その上資源にも人にも恵まれているのに、何故今までまともな貿易をしてこなかったのですか? ご領主様は馬鹿なのですか?
私なら十年で借金を返済できますよ。」
と。さすが歯に衣着せぬ物言いのエドモント。そして、それに腹を立てる事もなく鷹揚な態度で受け入れた前当主、本当に天晴れであった。
確かにフィリア辺境伯の領土はかなりの田舎、僻地ではあるが、豊かな資源に恵まれている。
辺り一面の畑には多種多様のハーブが栽培されているし、ストリームラインとの国境を成す東大山脈には、スギやヒノキ、ナラ、ブナ、ケヤキ、サクラ、トチ、カエデなどの針葉樹、広葉樹が幅広くはえているのだ。
しかもこれらの樹木はユニフォーミティ側にしかない。反対側は気候が違うので、シラカバやモミノキ、ヒイラギ、ナナカマドくらいしかはえていないのだ。それらの木々では建築資材にはなりにくく、クラフトなどのインテリアや趣味の利用しかない。
大学を出てから世界中を旅行をしていたエドモントは、諸国の事情をよく知っていた。
何があって、何が足りないのか。そして何を必要としているのか。その事を考えれば、隣国のみならず、他の国にだって、フィリアにはいくらでも売り込める資源がある。
都に残っていたら、まだ若くて、しかも子爵家の出の自分が、どんな有意義な提案をしたところで、到底上の者に取り上げてはもらえないだろう。
もし、万が一関心を持たれたとしても、また誰かの手柄にされてしまうだけだ。そんなことは学生時代だけで十分だ、とエドモントは思っていた。
たとえ自分の生み出した利益が自分の懐に入らずとも、それが主のためになり、且つ自分の実績として残るなら、その方がましだ。
それに、フィリア家の借金を返済できたら、思い人のシャーリーも喜んでくれるだろう。彼女は優秀な教え子のユーゴをいずれ、王都へ留学させたいと願っているから。
そしてフィリア家の執事になったエドモントは、まず、南東街道沿いのフィリア家の避暑地用の別荘の中に、新しく貿易と林業のための事務所を構えた。
そして、林業組合の親方達と植林と伐採の緻密な計画を立て、年間の伐採量とそれによって作れる木材の目安を出した。
次に、エドモントはストリームラインの木材加工用のマシーンを製造している工場へ行って、自ら交渉した。
そのマシーンを安く提供してくれたら、そちらの関連の建築関係者に、優先且つ特別価格で木材を融通しますよと。
ストリームライン共和国は寒冷地で寒い。しかし、地下熱利用のヒートポンプが国中の地下に敷き詰められているので、建物の中は一年中春の陽気だ。
とは言え、ほとんどの建物が石造りなので、床暖房にするために、石の土台の上に木の板をのせている。
ところが裕福な家以外の一般的な家庭では、フローリングと呼べるような床板はとても張れない。ただ粗末な薄い板を何枚か重ねて置いるだけだった。木材が非常に高価だったからである。
エドモントの提案にマシーンメーカーは二つ返事で乗ってきた。しかも木材加工場も造ってくれると言ってくれたが、それは丁重にお断りした。
そんなことをしてもらったら、他の国との貿易がしにくくなる。儲けが出たら次は正当な価格でマシーンを購入するつもりだった。加工木材を欲しているのは、ストリームラインだけではないのだから。
マシーンを破格の値段で購入出来たエドモントは、早速東大山脈の麓の街道近くに木材加工場を建築した。もちろん、マシーンで加工した木材を使って。
ユニフォミティー王国の建物といえば石造りや煉瓦のものが多い。しかし、自前の材料があるのに、わざわざよその領土から買う必要はない。そもそもこれ以上借金を作るなんてとんでもない。
木材加工場が出来て製品を輸出出来るようになると、次々と注文が入った。しかし、エドモントは製品を全部を商品として出荷するような事はしなかった。
南東街道沿いに自前の木材で、旅行者や商人達のための休憩所やレストラン、土産物屋を建てたのだ。
そこの目玉は多種多様のハーブを使った健康食やデザート、お茶などだ。長旅の疲れがとれるし、土産物としても嵩張らなくて喜ばれるだろう。
それまでは、南東街道においてのフィリア領は、通行者にとってはただの通過点に過ぎなかった。
それは他の街道沿いに、有名な温泉地や風光明媚な観光地を有する宿場町がいくつも点在していたため、今更参入しても遅いと皆思っていたからである。フィリア領は美しいが、ただ単調にハーブ畑が広がっているだけだったのだ。
ところが、珍しい木造の建物は人々の目を引き、次第に旅行者が足を止めるようになった。
そして、そのお客との会話から、旅の途中で怪我をしたり、体調が悪くなった時に困った、という話を聞き、取り敢えず急いで薬屋を開いた。その後、診療所を開業すると、旅行者や運送業者に大変喜ばれ、フィリア領リンドンの町は、南東街道において、次第に重要な地となっていた。
今ではこの街道は通称『エドモント街道』と呼ばれている。本人が嫌がっているので、地図にその名の記載はないが。
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ある時王都からやって来た客人が、屋敷の主であるユーゴ=フィリア辺境伯にこう尋ねた。
「フィリア家では一体どんな方法でエドモント氏を執事に迎え入れる事ができたのですか? その秘策を教えて頂けないでしょうか? 今後の参考のために」
すると辺境伯はこう答えた。
「我が家は勧誘なんてしませんよ。いくら辺境伯とはいえ、借金だらけで傾いていた家だったんですよ。国一番の秀才だった若者に来てもらおうだなんて、うちの父はそんな図々しいお願いなんかはできなかったと思いますよ」
「それではどうやって彼を執事にされたんですか?」
「彼が自ら売り込みに来たそうですよ。自分を執事にしろ。自分が執事になったら十年で借金を返済してみせると」
「まさかそんな馬鹿な・・・!
どうしてそんか自分に得にもならない申し出をしたのですか?」
「エドモントさんは世界中を放浪した後、ふと我が領土のとある喫茶店に立ち寄りましてね、偶然に一人の女性を見かけて、一瞬で彼女に恋をしたんですよ。それで彼女の願いを叶えたくて我が家の執事になってくれたんです。
全くシャーリーさんは、我が家にとって幸運の女神ですよ」
辺境伯はその整った精悍な顔を綻ばせながら言った。
「あのう、そのシャーリーさんという方はどなたなんですか?」
「シャーリーさんはエドモントさんの奥方ですよ。シャーリー=バーム夫人。
彼女は私の子供の頃の家庭教師だったんですよ。彼女はとても美しくて、頭が良くて、優しくて、そして何より仕事熱心でした。教え子の私をどうにか王都の学園へ留学させようとして下さっていたのですが、当時はご存知でしょうが、我が家は借金まみれで、留学なんて夢のまた夢のような話でした。
エドモントさんはシャーリーさんのそんな無謀な望みを叶える為だけに、我が家の執事になる事を希望したんですよ。
信じられますか? その時は二人はまだ付き合ってもいなかったんですよ。それなのに・・・
まあそのおかげで、私は王都へ留学がする事が出来て、大学まで卒業し、この今があるのですから、二人には一生頭が上がりません」
またもや辺境伯は微笑んだ。今度は少し大袈裟に。
客人はその話を聞いて呆気に取られた。
「・・・・・」
希有の秀才、エドモント=トーマス=バーム子爵が、何故没落フィリア辺境伯爵家の執事になったのか、それは王都の七不思議の一つであった。
次期伯爵の将来性を見越していたからだ、と言うのが最も信憑性の高い噂だったのだが、どうやら違っていたようである。
国で一番優秀だった男は、辺境の地で、ただ一輪の赤い薔薇をひたすら愛でていたい。その一途な思いで執事になったのだった。
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