第九十二話 記憶の欠片
「これからの方針ですが、容態が安定してきたようですので、まず呼吸器を外します。ですがまだ食事などは難しいので、点滴は続けて下さい。それと…申し上げにくいのですが、貴方の状況についてです。右腕は幸い問題ありません。両足と左腕は複雑骨折で、六ヶ月程度で完治すると思いますが、今は折れた骨を支木で固定していますので、あまり動かないようにして下さい。動く際はナースコールで呼んで下さい。スタッフが補助致します。」
主治医である直居靖子が説明してくれる。
「…はぁ。」
俺は覇気のない相槌を打つ。それを彼女は人生を儚んだものと思ったようで、優しげな微笑みと共に俺に語りかけた。
「そう悲観しないで下さい。もう安全域には達しています。後はこの状況と向き合っていくだけです。…難しいとは思いますし、すぐに受け入れられるような事では無いのは理解しています。私達も出来る限りのサポートをしていきますので、ゆっくり、やっていきましょう。」
彼女は努めて俺が傷つかないように説明を続けた。そうですね、と言って俺は頷く。彼女はその反応に満足したのか、では、と言って部屋を後にした。そうして病室には俺だけが残された。
「はぁーーーーーーー。」
深く溜息を吐く。吐けるようになっただけ本当にマシなのだろう。あの時ーーーあの夜は本当に死にそうなくらい痛くて仕方なかった。息も出来ない程に。
だが困った。困ってしまった。何故俺は此処に…何故あのバカ政治家の姿で居るのか。幾らなんでも元からこの姿だった、「お前は最初から無駄金費太郎だった」という事はあるはずがない。もしそうだったとすれば、俺が他者の視点からこいつのスピーチを聞いた記憶が残っているわけがない。
となれば、何か理由があってこうなったのだ。
そう、この元の世界にいる事にも何かの理由があるはずだ。
俺は一人になったこの時間を利用して、何とか経緯を思い出す事にした。
思い出せ。
頑張って。
死ぬほど頑張って思い出せ。
何が起きた。あの時、国会議事堂に来る前。
それを必死に捻り出そうと唸り続け、やがて一つの記憶の断片が浮かんできた。
ああ、そうだ、あれは…。
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あれは水の聖域の出来事が終わってから三年後、選挙二日前という時だった。
あの後、俺は魔界行脚と内政に勤しんだ。結果、候補者の中でも支持率は安定してトップという所まで持ってくる事が出来た。移動手段を全国に配置したアレはかなり好評だったらしい。目に見えた成果が出来た事で、支持が上がったという所はある。
ライバルが少なかったというのもある。アエイローの言う通り、他にも候補者はいっぱい出てきた。ジュゼの説明してくれたドラキア、リンビィ、ゴーブ、その他諸々。だがどれもどうしても泡沫候補という印象を拭い去る事は出来なかった。「心を入れ替えた魔王」以上のそれが出てこなかった。これにより、俺の三期目は何とかなりそうだという目が出てきたところであった。
不安だったのは、氷の聖域と雷の聖域の神々に支持を取り付ける事が出来なかった事だ。そもそも聖域の場所すら分からない。恐らく氷の聖域はフロスティ山脈のどこかだろうとは思われたが、そこに行くには道が険しすぎて無理であったし、後者についてはティアに聞いても当てが無いらしい。どういうことなのかと訝しんだが、結局他のことで手一杯で支持を乞う事は出来ず仕舞いであった。
それとデアーラの件である。これについては神々からも説明してもらった。魔界の問題は魔界で処理すべきという考えの元、迎撃プランを組み立てた。魔力の滝、あの魔界へ繋がる穴をもう少し広げて、そこを寄せ餌として敵を呼び寄せ、自然界側で迎撃する。
最初は予想通り、「何故わざわざ魔界で対処するのか」という意見も多かったが、神々の説得などもあり、少しずつ理解が得られるようにはなっていった。それに、デアーラを食料にするなどの案や、倒した数が多かった者になけなしの報酬を払うというお触れも手伝って(ジュゼは涙目だったが)、何とかまとまりつつあるという所であった。
それでも反対者は少なからず居る。
明日、選挙演説の時間を使って、魔界システムの変更も含めた全般の政策を全魔界住人に説明する事になる。そこが最後の勝負となるだろう。俺はそれに備えて台本を音読していた。
「えー、つまりですね、我々魔界の住人が一丸となって…。」
その時、ジリリリリリリリという音が執務室に響き渡った。
俺と、その場に居たジュゼ、ティア、サリア、トンスケが全員ギョッとした目でその音源の方を見た。
それは自然界直通の魔通であった。
俺は周りの奴ら全員と目配せをする。「取らないとダメ?」という目で。嫌な予感がした。取りたくない、本能がそう叫んでいたのを思い出す。
だが全員がこういう目で見ていた。「いいから早く取れ。」…取らざるを得ない。俺はゆっくりと受話器を持ち上げて、「もしもし」と言った。
瞬間、通話の相手ーーーエスカージャ殿が叫んだ。
『大変だ!!何かが天から降ってーーー。』
瞬間、魔通の受話器と外から同時に凄まじい音が響き渡った。まるで天井が崩れるような凄まじい轟音。
『そちらに何かが落ちていった!!気をつけてくれ!!』
『ええ、今丁度…音がしたところです。失礼!!』
俺はそういって受話器を乱暴に置き、その場に居た全員に叫んだ。
「見に行くぞ!!」
全員が頷き駆け出した。
トンスケには兵士を連れてくるよう指示をした。彼は頷き別れる。俺達は急いで城の外に出た。
城の外、城下街を見た瞬間、その散々たる状況がすぐに目に入った。
巨大な、デアーラのような姿の何かが居た。デアーラではない。かつて宇宙で見たその姿とは似ているが異なる。三つ目で手足が口、翼を生やしたその異形の姿は変わらない。だが更に、全身から触手のようなものが生え、うねうねと動き回っている。良く見るとその触手は、城下街に住む人々を一人ずつ捕まえてその触手の先に備えた口で…。
なんて事を。しているんだ。
音の正体は、これが魔界の天井を突き破ってきた事によるものらしい。城下町には天井の破片が降り注いで、幾つかの家が潰されていた。
言うまでも無く被害は甚大である。死人、怪我人の数はすぐには数えられない。トンスケを経由して兵士達に怪我人の収容を指示していると、そのデアーラのようなものが声を上げた。俺の方を、その三つ目でじっと見ながら。
「フヒェヒェ、ヒェヒェヒェ!!久しぶりだなぁ、魔王よぉ!!」
聞き覚えのある声であった。
「見るが良い!!私が!!この勇者が!!成敗しに参ったぞ!!」
それは間違えようもなく、自称勇者であり、俺の最大の不安要素、ユート・デスピリアの声であった。




