第十九話 邂逅
数日後の朝。幾つかの村を通り、野宿もしながら、漸くラバック山脈の入り口へと辿り着いた。思いの外遠かった。いや本当に遠かった。魔法や車など文明の利器が使えないというのが如何に不便かを思い知った。魔法を文明の利器にカウントするのが個人的には悲しいが。
しかしここは入り口に過ぎない。ここからが本番だ。俺はまず魔力の滝と呼ばれる名所を目指して山脈に足を踏み入れんとした。
その時である。後ろからぜえぜえという息切れの声が聞こえてきた。誰かいるのだろうかと振り向くと、そこには女性がいた。体格から言うと十代後半といった感じだが、その胸はジュゼのそれと同じくらいにその、あの、大きかった。胸に目が行ったのは、サイズがピチピチの鎧を着ているせいでそこが強調されていたためであり、俺のせいでは無い事は強調しておきたい。
「あの、お聞きしたいんですが、魔王がこの辺通りませんでしたか!?」
息を切らし、腰の剣に手を当てながら彼女が尋ねた。腰の剣に手を当てているあたり、何か嫌な予感がしたので、誤魔化すことにした。
「あー、さっきここを通っていったよ。」
「本当ですか!!誤魔化すと許しませんよ!?」
「本当だって。」嘘である。正確には今から通るところだからまぁ些細な嘘だろう。
「分かりました!!ありがとーございます!!」
そういってまた彼女は駆け出そうとした。俺は気になったので尋ねてみた。
「あー、ちなみに聞きたいんだけど、魔王に何か用なの?」
「ええ!!私勇者なので!!魔王を退治しないといけないんです!!では!!」
そう言い残して彼女はパツパツの鎧を揺らしながらまた走っていった。あの感じだと山の途中で体力が尽きて倒れるだろう。
しかし気になる事を言い残していった。勇者?魔王退治?恐ろしい。投票制の魔王が退治されるとか、クーデターか何かだろうか。ファンタジーの世界ならまぁ勇者は居てもおかしくないかもしれないが、この世界だとただのテロリストになってしまう気がする。その辺分かっているのだろうか。
まぁいい。どうせあの分ならまたどこかで会うだろうから、その時聞いてみよう。俺はそう思い直すと、自分のペースで山道を登り始めた。
数十分もすると、先程の彼女が木陰でバタリと倒れて参っていた。
「つ゛か゛れ゛た゛ー。もうだめぇー。」
俺の予想は見事に的中していたようだ。俺は声をかけてみた。
「おや、先程の。」
「結構走ったのに追いつかない…。本当にさっき通ったんですかぁ?」
「ええ。」嘘である。魔王は目の前にいる。
「そういやば、なんで魔王様を退治するんです?」
俺は世間話の体で尋ねてみた。
「私は投票していませんが、あの人一応魔界の選挙で決まったので、そこまで悪人という訳ではないと思うんですが。」
そういうと彼女はキョトンとした顔を見せた。
「そうなんですか?」
「ええ。だからなんで退治するのかなって。」
「えー?うちの村だと諸悪の根源だの何だのって教えられましたよ?」
初耳である。いやこの体の持ち主は俺にとっては諸悪の根源みたいなものだが。
「ウチの国には伝承があってですね。『数十年に一度、太陽のアザを掌に持つ子が産まれる。その者、魔の王を討ち世界に平穏を齎す勇者である』…だったかな。それでホラ。」
そういって彼女は自身の掌をかざして見せた。
「アザ、あるでしょ?」
確かに赤い太陽のようなアザがある。
「これがあるせいでアタシは勇者って持て囃されて、世界を平和にするため、魔王を倒してこいって話になってるんです。」
「…世界、十分平和じゃないですか?」
「いや!!何かきっと悪い企みをしているに決まっているんですよ!!だって魔王ですよ!?魔物の王!!悪いに決まってますよ!!」
ああ、なんか元の世界の価値観に近くてちょっと感動する。そうだよなぁと同意したくなる。だが同意するわけには行かない。何せその悪い魔王は俺なのだ。そんな事があってたまるか。
「んー、まぁ数年前はロクな事してませんでしたが、最近は結構まともになっていると思いますけどねぇ。」
これは本当である。…多分、本当である。
「そう…なんですか?」
「魔物については魔王も困っているみたいですし、そこまで悪い人だとは思わないけどなあ。」
「うー…。アタシが聞いた話と違うぅ…。もしかして、最近の勇者で戻ってきた人居ないって聞いたのはそのせい…?」
彼女は腕を組んでうんうん考え込み始めた。このまま考えていてもらおう。
「まぁ無理せず休んでゆっくり考えてみて下さいな。魔王様が居たら言っておきますから。」
「んー、わかりました…。ありがとーございます…?」
俺は彼女を背にさっさと山道を登っていった。変な伝承もあったものである。自然界とは友好関係を結んでいるとは聞いていたが、自然界全土にはその意識が届いていないのであろうか。だがよく考えるとそれも当然かもしれない。魔王の支配も、魔界全土というわけではない。未開拓領域の住人などは魔王の存在すら知っているかどうか。自然界も同様、いや、魔法が無い分更に全域へ情報を伝達するのは難しそうである。そう考えれば、少なくとも魔界は魔物を産んでいるわけなので、魔王=悪という考えを持つ村があったとしてもおかしくはない。
「そういうところとも交流を結んでいかないとダメかもなぁ。」
俺はポツリと呟きながら、徐々に険しくなる道をせくせくと登っていった。
そんな道をトコトコと歩いて行く内に、ザーという水が流れ落ちるような音が響いてきた。自然と足取りが早くなる。やがてその音は大きくなり、耳を劈く程にまでなって行く。
その音量が頂点に達した瞬間、開けた場所に出た。そこは滝だった。不思議なもので、滝の上の方には水がなく、徐々に広がるように滝が形成されていた。俺は大凡の事を理解した。崖の上から水属性の魔力が流れ落ち、位置エネルギーの変動により水へと変化し、この滝を形成しているのだ。崖の上へ昇る道があったのでそれを通っていくと、その予想は当たっていた。崖の上には巨大な穴があり、周辺には魔力の存在が感じられた。穴の上には魔法陣、寝る時に使った魔力を呼び出すアレが、空中に描かれていた。恐らくこの穴は魔界、特に水の魔力の満ちた場所に繋がっているのだろう。その魔力がこの魔法陣で呼び出され、滝を形成しているとかそんな感じなのだろう。
…でもこの魔法陣誰が描いたんだ?
「ボクだよ」
俺の思考を読むかのように誰かが話しかけてきた。振り返るとそこには男とも女とも判断し辛い童顔の持ち主が一人立っていた。背丈は小学生くらいのそれだろうか。小柄である。その彼?彼女が口を開いた。
「いや研究のために魔力が欲しくてねそしたらちょーど未開拓領域の上だったらしくて魔力がビューーーーー水がブシャアーーーーーでさあ観光名所になっちゃったのよそんでもってそれが怪しいってんでもしかしてボクがいるんじゃないかと考えた魔界の野郎どもが押しかけてきてもうウザい事ウザい事この上ないよね大体記憶いじって帰らせたけどさハハハハハハハ」
うるせぇ。一呼吸でどれだけ喋るつもりだ。ていうかこいつ誰だ。
「誰だとか思ってる?それは心外だねと思ったけどよく考えたらボク名乗らずに呼びつけちゃったから分からなくても当然かゴメンねハハハハハハハ」
「もう少し、ゆっくり、切れ目を作って、話して、くれるかな。」
「それは無理だね時は金なりって言うだろ一気に喋った方が時間が早くて済むこれほど素晴らしいことはないだろうそうは思わないかいいや別に思わなくてもいいんだボクはこう思うってだけだからさ」
「思ったことを垂れ流す方が時間の無駄だろうが!!」
だがこの話し方を聞いて思い出した。電話越しの相手がこんな感じの声で喋り方だった。
「おお漸く思い出してくれたようだね嬉しいよ。じゃ、おふざけはこれくらいにして。」
ふざけてたのかよ。
「どうもどうも。新しい魔王様。ボクは時の賢者、ティア・リピート。遥々こんな所にようこそ。少々お話があって来て貰ったんだ。」
彼?彼女?は小柄なその体を丸め挨拶をした。