Epilogue
「そういえば、そもそも目的があったはずなのに、なんで真白って、オマエに着いてきてくれたのかな?」
いつもの非日常なのに日常になってしまった日々は、あっさりと戻ってくる。
滅多に家にいないハルの両親も含めて、結構な騒ぎになったはずなのだが、気がつけばあっさりと日常回帰していた。日常という時間が持つ力は、他のどんなモノでも太刀打ちできないほどの力があるらしい。どれだけのインパクトのある非日常も、全て蹴り散らすほどの力が。
戻ってきた日常が、未だにハルの変態性が治らず、且つ、どさくさに紛れてハルが連れ帰ってはいけない存在を二本とも連れ帰ったままである事実に思うところはかなりあったが、しかし一度派手な非日常を味わってしまえば、なんだか軽犯罪の一つや二つ、どうでもいい気がしてきていた。
もしバレたとしても、この程度なら『ご免なさい』で済むのだろう、なんて思ってしまっているから、全然気にならなくなったのだ。
・・・だってあれだけのことをしていても、正当防衛が認められた。男は死にはしなかったけど結構な傷を負っていたのに、それでも少女はある意味、許された。だったらハルが腕を拾って持って帰ったことや、それを警察に届けていない程度のこと、どうとでもなるだろうと思ってしまうのだ。
ある意味、安堵のようなものを感じているのかもしれない。それでふと緩んだ心の隙間から零れた疑問は、本当に今更すぎるほど今更な問いだった。今日も元気に自分の部屋で真白に頬ずりしているハルを前に、今日もハルの部屋にいる自分に多少の情けなさを感じながらも口にしてしまった疑問。
ハルは頬を真白につけたまま決して外さずに、数秒、怪訝そうな顔をしたまま瞬きを繰り返して・・・、それからようやく僕の問いを咀嚼しましたみたいな表情を浮かべた後、頷きながら酷くあっさり、僕の問いに対する答えをもたらしてくれた。
「俺達が運命の恋人同士だったからだろ?」
「・・・あぁ、そう」
「あとは・・・、何でもするから一緒に来てほしいとか、そういうこと言ったからかな?」
「そっちだよっ!」
最初の答えは使い物にならなかったが、次いで齎された答えは、完璧に僕が求めていた答えそのものだった。部位である腕が人の言葉をどこまで理解するのかは分からないが、それでもたぶん、ある程度は理解しているだろうし、ましてや向けられる言葉に必死さが滲んでいれば、言葉の意味以上に何か感じるものがあるだろう。
きっと真白はハルが何でもすると言ったから着いて来たのだ。本体が最期に残していった思いを叶える為に、何でもすると言ってくれたハルに協力してほしかったのだろう。
実際にハルがしようとしたことは、真白にそんな穢れたことはさせられんとか何とか言いつつ行われる妨害行為ばかりだったのだが、それでも結果的にはある意味、協力する形にはなったので、まぁ、口にしたことは嘘にはならなかったのだろう。
あの男は撃退されたし、とりあえず、あの少女も逮捕はされていないのだし。
・・・溜息が、零れた。これだけの騒動がそんな他愛もない台詞から始まっているのだとしたら、悪夢なんて皆、始まりは他愛もない一言なんじゃないかと邪推したくなる。勿論、今回のこの騒動の本当の始まりは、ハルの一言ではないのだろうけれど。
もう一つ、洩れた溜息。気を許せば幾つでも重なってしまう溜息をこれ以上重ねない為に、意識を努めて逸らそうとして・・・、自然と視線を動かした結果、今まで視界には入っていたけれど、その視界の中心ではなかった存在を中心に据えることになる。
真白に頬ずりしているハルと、ハルに頬ずりされている真白。その一人と一本のすぐ傍に、見守るように控えているもう一本の腕。
ハルの見立て通り、本当に真白の実のお父さんの部位だった、パパさん。
「パパさんも・・・、なんか、凄い話だったよな・・・」
「あぁ、あの話な・・・」
目の前で起きた事件があまりにあまりなことだったので自分で抱いた疑問をすっかり忘れ果てていたのだが、忘れてしまった頃に分かるのが真実というものらしく、警察署で自然とパパさんの誕生秘話を聞く羽目になった。
・・・羽目になった? そう、羽目になった、だ。つまり聞いてしまった話は聞かなければよかったと思うような内容だったということで、もう疑問を抱いたことすら忘れていたのにどうしてこのタイミングで話を聞いてしまったのだろうと、嘆きを感じずにはいられなかった。
話を聞きながら力の限り引いていた僕を余所に、ハルは全力で感激し、涙を流していたけど。
・・・で、鼻水まで垂れ流しながら全力の感動を表現しているハルの様子に、話をしてくれていた婦警さんが、僕と同じくらいの距離までハルから全力で心の距離を取っていたけれど。
しかしそうして全力で引く羽目になった婦警さんの話を要約すれば、こういうことだった。
──パパさんと真白の本体は実の親子で、父一人、子一人の父子家庭、しかも猛烈に娘を溺愛していたらしい。
まぁ、そうだろうな、とは思った。残された部位であるパパさんの様子を見れば、もう他の答えは存在しないのではないかと思うくらい、自然な答えだと思う。
で、その溺愛しまくっていた娘が死んでしまい、絶望して・・・、自殺、してしまったらしいのだ。
残酷な言い方をしてしまうと、これもまぁ、そうだろうな、と思ってしまうくらい自然な答えである気がした。パパさんがこれだけうろついているのに本体が迎えに来ないということは、真白同様、パパさんの本体も生きていないだろうという予想は簡単につくし、親子がタイミングを合わせて死ぬなんて、どちらかが自ら選んで死を迎えたとしか思えないから。
だから正直に言えばここまでの話はある程度、予想の範囲内だった。予想を本格的に外れたのは、ここから先だ。
父親は、パパさんの本体は・・・、死んだ娘の腕を見て、これは自分の娘の腕じゃないと看破したらしい。
・・・ハル並みの人間がどうしてこうも至るところにいるのか、こんなことで日本の未来は大丈夫なのか、まるで政治家の演説みたいなことをつい、思ってしまう。それくらい、父親が周囲に洩らしたらしいその話の内容は、僕にとっては衝撃的なものだった。
いくら溺愛しているからって、部位に特別興味がある人種でもなかったらしいのに、どうして見ただけで違うと分かるのか。しかもつけていたのは、同じ年頃の少女の腕なのに。
父親の愛って一体・・・、と思わなくもないが、もっと思うところがあるのは、それから先の父親の行動だった。正直、無言で実行して欲しかったと思うのだが、何かの配慮なのか、遺書まで用意してその意図を説明して下さっているので、誤解のしようも無いのが悲しい。そんな配慮や気遣い、全く必要ないのだが。
──どこかで娘の腕は生きているのかもしれない・・・、だから、私も私の腕を残します。
意味が分からん、と思う。
ただ遺書によると、娘の本体についている腕は娘の腕ではないので、娘は死んでしまったけど、娘の腕は生きているのかもしれない。娘が死んだ以上、自分は生きてはいけないが、娘の腕がどこかで生きているのなら自分の腕だけでも、どうか娘と共に末永く生きていってほしい・・・、との願いから、自分の腕を離しておきます、ということだったらしい。
パパさんはだからその本体である父親の願いを継承し、娘の腕、つまり真白を探していて、見つけてから片時も離れなかったのも、勿論、本体の望みだったかららしい。
意味が分からん、と思う。
いや、その父親の中では筋が通っているのかもしれないが、僕としては意味が分からないと言いたくなってしまうくらい、正直、気味が悪い愛情表現だった。そうまでしないと愛が示せないのかと首を捻ってしまうし、思わず目も背けてしまいそうになる。
最愛の娘を亡くし、錯乱していたんじゃないかと思うが・・・、というか、いっそ、そうであってくれと思わずにはいられないが。
しかしそう思うのはこの場においていつも通り僕だけらしく、ハルはパパさんの事情を思い出して呟く僕に対して、感極まった声を出すのだ。
「美しい・・・、愛の話だったな」
「・・・そうか?」
真白から頬は一切離さず、敬愛に充ち満ちた目をパパさんに向けるそのハルの心情は、僕には一生涯分からないだろう。全く分かりたいと思っていないので、全然構わないが。
ただ、分からない愛ばかりに囲まれる自分の人生に改めて憂いを感じ、先ほど止めようとしていた溜息をまた零していると、ハルがふと我に返ったように恍惚とした声を普段の声に戻して、ずっと真白にくっつけていた頬も離して、僕を見ながらまともにお話します体勢で口を開いたのだ。軽く、肩を竦めるような仕草を見せながら。
「っていうかさ、リュウはいっつも本体とかに向けるのが普通の愛だ、みたいな感じだけど、そっちの方が俺はどうかと思うよ」
「なんで? 普通だろ、それが」
「いや、だってさ、全体を好きになろうっていうのがそもそもの間違いなんだよ。こんな複雑な生き物の全部に同じ感情を持つなんて、絶対無理でしょ。でも一部だけなら、永遠も誓えるって」
「・・・まぁ、そう言われちゃうとそうかもしれないけど」
整えた体勢通りまともな発言をされて、思わず返答に詰まった。まぁ、確かに、一人の人間の全てを好きになる、というのは難しいだろう。誰にだって・・・、どれだけ親しくしている人にだって、嫌いな部分はあるものだ。好きと嫌い、両方の感情があって、好きの部分が多い人を好きな人、と規定して親しくしていくしかないのが人間だろう。
それが人間の複雑さだろうし、人間の、他の動物にはない価値だとも思うけれど、嫌いだと思う部分を持ちたくない、完全に好きになりたい、と思うなら、好きな部分を抽出するしかなくなってしまう。ハルやあの男のように、部位、という形で。
溜息が、また一つ。
僕はあまり受け入れたくない愛だとは思いながらも、これだけ立て続けにそういう愛の形を見せられると、そういうモノもあるのだともう受け入れるしかないのかな、とも思えてくる。いや、いっそうそう思って諦めてしまった方が下手に悩まずに済むのかもしれない、とも思って。
開いた口は、諦めによって言葉を紡ぐ。やけっぱち、という形に近い言葉を。
「僕にはいまいち受け入れられない感じけど・・・、まぁ、一理ある気がしないでもないから・・・、とりあえず、僕が死んだら、腕、あげるよ」
「え? それは微妙・・・」
「なんでだよっ!」
諦めとやけっぱちで紡いだ提案は、何故か快く受け取ってはもらえなかった。
聞こえたその言葉通りの微妙な反応に力の限りの突っ込みを入れると、ハルは心底困ったような表情で、真っ直ぐに僕を見つめて・・・、とても、とても真面目な声で、とても、とても、質の悪い台詞を吐いてくださったのだ。
「いや、だって友達が腕だけって嫌っしょ。多少、嫌いな部分があったとしても、腕だけじゃない方がいいよ。淋しいじゃん、腕だけじゃ」
深く、深く、何度も頷きながら吐かれるその台詞は、ハルにとって心の底からの真剣な、なんの打算もない台詞で、だからこそ本当に、本当に質が悪い言葉でしかない。何度も今まで吐かれている、質の悪い台詞の数々、その中においてもダントツトップを走るレベルの質の悪さだ。
それが証拠に、僕にはもう、前も向けないほどのダメージが加えられている。このまま、床に沈み込んでしまうのではないかと思えるほどの、ダメージが。
「リュウ?」と、顔を深く俯けて返事一つしない僕の耳に、ハルの怪訝そうな声が入り込んでくる。当然、返事なんてしない。するわけがない。だって、出来ない。声なんて、出ない。顔なんて、上げられない。この顔を、見せるわけにはいかない。あんな質の悪い言葉にダメージを受けている、この顔は。
真っ赤に染めている上に、だらしなく緩んでいるこんな顔だけは。
・・・本当に、どうかしている。
どこもかしこも変態ばかり溢れていて、本当に、どうかしている世の中だ。
でも本当に、本当にどうかしているのは、もしかすると・・・、
その変態な親友から偶に齎される一言にノックアウトされる、僕なのかもしれない。




