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恋が変態  作者: 東東
【一章】純情の変態(或いは、変態の準縄と言うべきか?)
2/29

 ──憧れは、いつもショーケースの中に在った。


 勿論、他の場所で憧れるような人を見つけたことがないというわけじゃない。ただ、他の場所で見つける場合、明らかに余分なモノがついているし、何より、憧れるその人達は他の人のモノで、俺のモノになりそうになかった。

 だから、俺だけの人になってくれる可能性がある憧れの対象は、ショーケースの中にしかなかったのだ。

 ・・・尤も、非常に残念なことに、俺のモノになってくれる可能性のある、ショーケースの中の憧れの人々は、しがない一般家庭の中学生が自由に使えるお金、つまり小遣い程度で手に入るような安価な存在ではなかったので、存在する可能性が実現する目処は一切立たないのだけれど。


「大人になりたい・・・」


 今日も今日とて、一番の憧れの人がショーケースから持ち出され、大枚によって奪われてしまった事実を知らされてしまい、嫌でも肩は落ちるは気は滅入るは、足の力が抜けるは思考がぼんやりと薄暗い方向を向くはで、結構な状態に陥ってしまっていた。

 我が子の親友が愛して止まない存在だから売らないであげよう、という人情は商売に一切挟まない主義らしい親友の非情な父親は、俺が泣き伏すのを承知していただろうに、あっさり彼女を売り払ってしまったのだ。

 そうして俺の憧れの人達を売り払う度に、俺がどれだけ悲嘆に暮れるか、もう何度もその姿を目にしているはずなのに、店で泣き崩れる俺を慰める息子の姿も目にしているはずなのに、しらっと売ってしまう。

 大人って、ホントに冷たい、汚い、惨い・・・、けど、その大人になって自力で金を稼げるようにならない限り、いつまでも俺は憧れる人達が自分のモノにはならず、他の誰かのモノになるという悲劇に繰り返し襲われなくてはいけなくなる。

 分かっているからこそ、力ない足取りで泣くだけ泣いて後にした店からの帰り道、酷いと責め立てている大人への願望を口にしてしまうのだ。

 まだ、十四才。高校くらいは卒業しないと碌な職業に就けないだろうから、少なくともあと数年は子供をしなくてはいけないから・・・、先はあまりに遠く、奪われるモノはあまりに多い。


「・・・駄目だ、もう、ちょっと・・・、駄目だ」


 店から自宅まで、そこまでの距離があるわけじゃない。なんせ、相手は保育園から今に至るまでつるんでいる幼馴染み兼、親友、つまり学校も同じ場所に通えるようなご近所さんの家を兼ねた店なのだ。自転車すら不要なくらいの近さで、歩いて十分程度の場所。

 しかし今は、この力が抜けきり、このまま砂と化して流れる風に浚われるんじゃないかと思えるほどの心身状態では、その十分があまりに遠く、辛い。立ち上がれなくなる可能性があったとしても、一度、休憩を取るしかないほどに、辛い。

 たとえ立ち上がれなくなるのだとしても、このまま歩き続けるなら行き倒れるしかないという予想の元、進むべき道から逸れて向かった先は、俺の自宅と親友の家、兼、店舗の丁度中間辺りに位置するちっぽけな公園だった。

 大人三人が座れる程度の大きさのベンチが二つ設置されている他は、滑る距離が短そうな滑り台と、青いシートを掛けられた、遊べない砂場、それに撤去されたゴミ箱の跡地だけが存在する、どう考えても子供が遊ぶという存在意義が失われているとしか思えない公園で、他に存在意義を見出すとしたら、人生に疲れ果てたナイーブな中学生がぼろぼろの心と身体を一時休める為だとしか思えない場所だった。

 その、唯一見出すことが出来そうな存在意義を有効活用すべく公園内に足を踏み入れると、予想するまでもなく分かりきっていることに、俺以外、誰もいなかった。夕日がそろそろ遠退いた時間帯にこんな場所に来る物好きはいないし、傷ついたナイーブな中学生という哀れな存在も、きっと俺しかいないのだろう。

 もう一歩も歩けないとばかりに崩れ落ちる先は、当然、設置されている二つのベンチのうち、入り口に近い方のベンチのど真ん中。公園の奥に向かって視線と足を腕を投げ出すようにして座りながら、腹の底からの溜息を、やっぱり投げ出すように吐き出す。


「どうしてなんだろうなぁ・・・、どうしてなんだろう・・・」


 吐き出しきって、空っぽになった腹の中から零れるのは、主語もない・・・、いや、主語が絞りきれない呟きだった。

 どうして俺はまだ中学生なのかとか、どうして中学生はこんなにも不自由なんだろうとか、どうして俺の憧れる人は誰も俺のモノになってくれないのだろうとか、どうして我が子の親友である俺に少しくらい融通を利かせてくれないのだろうとか、どうして俺ほど深く愛せる自信がある人間はいないのに誰一人として愛させてくれないのだろうとか、絞りきれなかった諸々は、止めどもなく胸の中で積み重なっていく。

 まだたった十四年の人生、物心がつくようになってからカウントするならもっと短い期間ではあるけれど、それでも俺ほど強い愛を胸に生きている人間はそうはいないと自負出来るのに、その愛は常に奪われ続けてしまうのだ。

 勿論、何度奪われたところで、諦めるなんて選択肢が生まれるわけじゃない。俺の愛は、どれほど奪われても枯渇しないほど、潤沢に溢れかえっているのだ。

 ・・・ただ、だからといって奪われ続ける愛に心が何のダメージも受けないわけじゃない。愛は、俺の愛は、際限なく生まれ、潤沢に満ち、溢れ続けてはいるのだが、どの愛も、一つ一つ違う愛なのだ。代わりのない、どれもが大切な・・・、


 唯一の愛、

 至上の愛、

 恒久の愛、


 ──俺の、愛、


「うぅ・・・、あぁ、もう・・・、もぉお・・・!」


 雄叫びが、口から勝手に迸っていた。今まで失った愛や、ついさっき失った愛、それにまだ続く子供の日々の中で奪われ続けるのだろう愛を思うと、自然と口からは雄叫びが、鼻からは鼻水が、目からは涙が垂れ流され、足は上下に暴れ、身体はベンチの背に乗り上げるように反り、両手は髪の毛を引き千切らんばかりに頭を搔き毟ってしまう。

 ここにもし、俺以外の誰かがいたとしたら、きっとあまりの哀れさに人生の全てをかけて力になりますと誓ってくれるに違いないほどの悲痛なその言動に、しかし当然、かかる声はない。俺以外、誰もいないのだから、仕方なかった。仕方ない・・・、その、はずだったのに。


 ・・・────、──、・・・、


 音が、した。

 髪の間に両手を突っ込んで仰け反った体勢のまま、一時的に、生命活動に関するもの以外の動きの全てが止まった。そう、止まったのだ。止めた、ではなく、止まった。あれだけ悲嘆に暮れて懊悩を撒き散らしていたにも関わらず、妙にはっきりと耳に入ってきた音に、俺が指令を出すより先に、身体の方が勝手に動きを止めてしまったのだ。

 俺以外の一体誰の指令を受けているのかは知らないが、たとえば聞こえてきた音が道端に捨てられていたコンビニの袋が吹き飛ばされた音だとか、砂場に掛けられたシートが捲れる音だとか、木々のざわめきとか、そんな自然現象的なモノならばここまでの活動停止を引き起こさなかっただろう。むしろ、耳にすら入らなかったに違いない。

 でも、聞こえてしまった音は、予感をさせるものだったのだ。何かの意思を、感じさせるモノ。しかも、聞こえてきたのは・・・、今、俺が足やら溜息やらの諸々を投げ出している方向からだった。仰向いたままでも、視線の先に赤く染まった僅かな雲しか見えない状態でも聞こえた方角には妙に自信があって、間違えている気がひと欠片もしないのだ。

 公園の奥、ここに入ってきたばかりの時に誰もいないと断じた先から意思を予感させる音なんて、するわけがないのに。

 首が、酷く唐突に感じるほど突然、限界を訴え出した。大して素晴らしいモノが見えるわけでもない空を眺め続ける為に仰け反り続けることに、疲れを感じているらしい。同じ理由で、背中も限界を呟き出してる。たぶん、もうそろそろ腰も同じ訴えを洩らし出すだろう。


 ──・・・、・・・・・・、・・・──、


 喩えるならば、何かの意図で踏まれるステップの音か。公園内に敷かれた砂をステップによって引き摺るようなその音に、覚悟を決めたのも身体に再び指令を出したのも、俺ではなかった。さっき、動きを停止させられたの同じパターンで今度は動き出した身体は、その動きを再開するように指示した何かの意思によって一息に、正面に世界を呼び戻す。

 つまり、仰け反っていた身体の反り具合を反動として、頭を地面に振り下ろすような勢いで顔を前方に戻し、更に勢いづいた身体を放り投げるようにベンチから立ち上がったのだ。

 正義のヒーローが、無辜の民の危機に颯爽と空から舞い降りるような、勢いのある着地。実際には、無辜の民は俺自身だし、迫っているモノが何かも分からないのだが。

 急激な視界の転回で脳と視界が結びつかず、視線がどこに向かっているのか、また、その先に何が見えているのか等、全く把握出来なかった。ただひたすらに、何か、俺の認識していなかった存在がその先に在るという確信的な予想だけが意識の中で先行していて、心音だけがやたらと煩く、口の中が異常に渇いて気持ちの悪い味を広げていることだけしか分からなかった。分からなかった、けれど・・・、


 どうでもいいことしか分からないその時間が、一体どのくらい続いたのだろう?

 続いた時間の中で、一体何度、瞬きを繰り返したのだろう?


 ・・・血が、沸騰した。たぶん、沸騰したその血の中に全ては在って、全身に、伝えていたのだ。


 聞こえてくるのは、沸騰したまま全身を廻る血液の流れと、その血液を送り出す心臓の叫び、ただ、それだけ。聞こえているかもしれない周りの雑音は消え失せ、視界も、どうでもいい景色の全てが消え失せている。

 そして、何も考えられない。いや、たった一つしか考えられない。他に必要なモノが、一切なくなってしまったから、出来なくなった。

 でも、いい。べつに、いい。

 もしも一つだけ、どうでもよくないことがあるとするなら、どうして気づけなかったのかという、その一点に尽きるだろう。

 どうして俺は、気づけなかったのか。他の誰でもなく、俺だけは気づくべきだったのに。たとえ植え込みの影に隠れていたり、滑り台の裏に隠れていたりしたのだとしても、俺だけはこの公園へ一歩足を踏み入れた時点で、気づかなくてはいけなかったのに。

 絶望が、きっと俺の意識を塞いでいた。だから気づくべき存在に気づけずに、こうして視界に収まるまで、何も感じ取れなかったのだ。

 絶望に浸りきって全てを放り投げてしまっていた、自分の弱さが恥ずかしい。こんな弱い男のままじゃ、駄目なんだ。今まではそれでもどうにかなったのかもしれない。でも、これからは・・・、許されない。許しては、ならない。


 これからの俺は、強く在るべき理由があるのだから。


 気がつけば、身体はまたもや俺の指令を聞く前に、ゆっくりと動き出していた。前方の存在に向かって進む身体に連れて行かれながら、ふと、視界が僅かずつ不鮮明になっていくのに気づく。

 緩やかにぼやけていく視界。理由なんて考えるまでもなくて、それほどまでに求めていたのだという事実に、いっそう溢れる涙が多くなっていく。全身に、さざ波のように震えが広がっていって。


 ・・・無理もない、無理もないんだ。これは、どうしようもないんだ。


 一歩、一歩、涙を流し、身体を震わせながらも、着実に足は前進を続けていく。大して広くもない公園、踏み出す一歩がたとえ小さかったとしても、絶えず踏み出し続ければ当然の結果として、やがてはそこに辿り着く。

 公園の奥、砂場と滑り台を超えた先、出入り口から反対側の正面に位置する植え込みの、手前。よく分からない緑の草ばかりで、花の一つも咲いていない場所に・・・、その存在は、この世でただ一つの花のように咲いていた。輝かしい姿を、現してくれていたのだ。俺の、すぐ目の前で。


 ──俺の、愛、


 声が、なかなか出なかった。全身の震えはもう堪え難いほどになっていて、両足は制御を完全に失い、その場に崩れ落ちるようにして両膝を着いてしまう。でも、そのおかげで視線は下がり、愛は、俺の愛は、本当にすぐ目の前になる。精一杯、手を伸ばし、指を伸ばせば届く距離、その指先が、触れるほどの距離。


 愛、俺の、愛。


 美しかった、本当に、本当に・・・、手が届かなかった全ての愛を冷静に思い返してみても、今、目の前にいる愛の美しさには届かないし、これほどの愛らしさも存在しない。届かなかったからそう思うのではなく、どれだけ思い返してみても、目の前の愛が誰よりも美しく、愛らしい事実は変えがたかった。それほどに、全てが、そこに。

 だから、口にするべき言葉はもう決まり切っていた。


「・・・好き、です」


 愛しています、と告げるべきだったのかもしれない。でも、決まっていた言葉は「好き」だった。愛するには、まだ互いのことを知らないからかもしれない。きっと、落ちるのは『恋』で、育むのが『愛』だから、今、俺が落ちた『恋』が叶って、やがて『愛』に変わる。変わる・・・、まで、変わってからも、ずっと一緒にいて欲しい。

 その為に、両手を伸ばす。指を伸ばす。万感の思いを込めて伸ばす。どうか、この手にと願って、手を伸ばす。


 だって──、『恋』に、落ちてしまったから。


「一目惚れ、なんです。突然なんだよって思われるかもしれないけど・・・、俺、マジなんです。だから、お願いです、お願いだから・・・、お願い、だから・・・、俺と・・・、俺と、一緒に・・・、来て、下さい・・・」


 無様なほどに、掠れる声、

 哀れなほどに、震える指、

 惨めなほどに、溢れる涙、


「・・・俺、貴女の為なら、何でも・・・、何でも、するからっ!」


 死ぬしかない、と思った。

 もし拒絶されたら、選ばれなかったら死ぬしかないのだと、そうまで思い詰めて、祈るように告げた台詞に、何かの合図のようにその時、強い風が吹いた。今まで消えていた辺り一帯のありとあらゆる雑音が耳に押し込められて、そして・・・、決して瞑るつもりのなかった目が、目の前に散った砂から我が身を守る為に、反射的にその誓いを破る。

 一瞬の、遮断。

 すぐに世界を再び取り戻すべく、瞼を押し上げようとしたのだが、実際には全身を小刻みに一度、震わせるだけで、すぐに遮断された世界を取り戻すことは出来なかった。無理もないことではあったけれど。なんせ、世界は遮断されてしまったほんの数秒で、その姿を決定的に変えてしまったのだから。

 もう、取り返しがつかないほど・・・、いや、取り返しなんて絶対させないと誓うほど、変わってしまったのだ。変わって、くれたのだ。伸ばしていた、右手、その指先に触れる、丸みを帯びた、冷たく薄い・・・、熱によって。


「・・・あぁっ!」


 間違いない。

 間違いようがない。


 ──この『恋』の為に、これまでの全てが在ったんだ。

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