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恋が変態  作者: 東東
【四章】不動は変態(或いは、変態は浮動と言うべきか?)
19/29

 ・・・物凄く、面白くなかった。それはもう、壮絶に面白くなかった。


 理由は簡単で、何故かまだ愛しい真白の元に戻れないことと、それだけではなく、別に顔なんてひと欠片も見たくないし、話だって全く聞きたいとは思わない奴が近くに座っていて、その声が耳に勝手に入ってくるからだった。

 嫌っている人間の声ほど耳障りなモノなんてないし、嫌っている人間の話ほど、苛立たしいモノもないと思う。

 俺が愛しい真白を、信頼のおけるパパさんに託して外に出たのは、一時でも、真白と離れる決断をしたのは、べつにこんな、嘘に嘘を重ねて汚らしい存在と成り果てた嘘つき女の汚らしい声と言葉を聞く為ではなく、気がついたら部屋から消え失せていたリュウを探す為だったのに。突然いなくなったから、ちょっと心配して探していただけなのに。

 それなのに、こうして探していた相手が見つかった今も真白の元に戻れず、何故か嘘つき女の話を聞く羽目になっている。

 これは一体どういうことなんだろうかと、真剣に不思議に思う。不思議に、というか不愉快に思っている、というべきか。

 しかしそれでもこの場を立ち去ることは出来ない。ベンチに並んで座るのも嫌だったので、少し離れたベンチに座っているが、視線も嫌々、あの嘘つき女が座っている方向へ向けている。

 何故ならそこに座っているのがあの女だけではなく、リュウも一緒にいるからだ。少しだけ間を空けて並んで座っているリュウが心配だから視線も外せないし、ここから立ち去ることも出来ない。

 表情を強張らせ、引き攣った顔で何とか笑みを捻り出しているその姿を目の当たりにして置き去りにすることは、友としてやはりどうしても出来ないのだ。

 顔色も悪いその姿に、正直、どうしてそこまで無理をしてあの女の話を聞かなくてはいけないのかと、渾身の力を込めて思うのだが・・・、状況が全く掴めないだろうと、リュウは俺以上の渾身の力を込めて訴えるものだから、その訴えをねじ伏せることは出来なかった。

 べつにそこまでして掴まなくてはいけないほど、状況把握が必要だとは思わないのだが。


 だって、真白は今、俺の部屋にいるし、パパさんだって真白についていてくれている。他に必要なことなんて、一体どこにあるのだろうと思うのに。


「少し・・・、落ち着きましたか?」

「・・・はい」

「あの、じゃあ・・・、ちょっと、事情を聞きたいって言うか・・・、ちゃんと言ってもらえますか? なんか、全然分からないんで・・・」


 帰りたい、真白やパパさんに会いたい、パパさんに見守られながら、真白と戯れたい・・・、そんな気持ちで胸を一杯にしていた俺の耳に、酷く遠慮がちなリュウの声が滑り込んできた。

 その声に意識を戻せば、あの引き攣った笑みを顔一杯に広げたリュウが、少しだけ上半身を折り曲げて、女の顔を下から覗き込むような下手に出た体勢で話しかけている。

 そんなに丁寧で下手に出た態度、取ることないのに、とかなり歯痒い思いになったが、しかし声はかけない。何故かリュウはどうしてもあの嘘つき女から本当は何が起きて、これから何が起きようとしているのかを聞き出したいらしく、俺がもういいだろうという正論を吐くと、それだけで見たこともない形相をして睨みつけてくるのだ。

 しかも聞いたことのないような冷たく、刺々しい声で俺のかける声を叩き落として、だ。


 一番親しいはずの友にそんな態度を取られると、結構身に堪えるものだと、今日、初めて知った気がする。


 俺の心が傷ついているんだけど、リュウは気づいてくれないのだろうか・・・? 等と友情の限界を思っている間に、リュウの決死の事情聴取は始まっていたらしく、あまり中身に興味が無い俺の耳にもその声が入り込んでくる。

 リュウが懸命に作った穏やかで優しい声が、必死に手綱を取っている理性によって紡がれる聴取だった。


「あの・・・、なんか、分からないことだらけで何から聞いたらいいのかも、全然分からないんですけど・・・、えっとぉ、今までハルに話していたこととか、訴えていたこと・・・、全部じゃないと思うけど・・・、でも、嘘・・・、もありましたよね? いやっ、勿論、本当のことを言ってくれている部分もあったんでしょうけど! あのっ、でも・・・、嘘を言われちゃったり、なんか、必要な情報を黙っていられたりすると、どれが本当で、本当は今、どういう状況なのかとかが見えなくなっちゃうっていうかっ、それだと困るっていうか、僕らも、どうしたらいいのか分からないし・・・」

「・・・」

「あのっ、さっきも言ったけど、本当に、ちゃんと話してもらいたいし・・・、その方が、話も進んで、お互い、いいと思う。ね? そう思わない?」


 全然、思わない・・・、という一言を、とりあえず喉の奥に押し込めておいた。口から出してしまったら、絶対にリュウがまた、あのリュウらしくない怖ろしい声を出すに決まっていたから。

 今は本当にリュウらしい、下手に出て一生懸命に請う言い方をしているけれど、絶対にくるっと態度が変わるのだ。その光景が目に浮かぶようで、ちょっとだけ胸が痛む。嘘ばかりつく卑怯な女にはあんなに低姿勢で話しかけるのに、友である俺に対して、どうして冷たいのだ、と。

 色んな意味で、納得がいかない。しかしそんな俺の気持ちを余所に、リュウはその間も隣に座る女を説得し続けて・・・、友の必死の努力ではあるのだが、正直、無駄になってしまえばいいのに、と思った。

 でも、人間、必死の努力は案外報われるものらしく、ベンチに座ってから一言、返事をした以外はずっと黙っていた嘘つき女が、とうとうその口を開いたのだ。

 俺が、聞きたくもない声を発し、俺が、全く興味の沸かない話をする為に。


「・・・ほんの少し、親切にしてあげただけなの」


 小さな、ほんの少しの風が吹けば、それだけで聞こえなくなってしまいそうな声。それが、突如、零れるようにその場に落ちる。嘘つき女の顔は下を向いていて、だから口を開く様が見えなければ、たぶん、隣にいるリュウにもその気配を感じることがなかったのだろう。

 突然零れたそれに、リュウが途中だった説得の言葉を止め、中途半端に開いたままの口の形で、静止画像のようになっている様から、それが分かった。

 リュウの、報われた努力の証なのかもしれない。零れ聞こえた声が、何か、長くなるであろう話の最初の台詞であると感じられるから、かもしれない、ではなくて、報われた証で間違いないのだろう。

 一旦、途切れた声。でも、今からその続きが始まり、それがリュウが聞き出そうとしていた話の全てになると、はっきり感じられる。感じられる、けれど・・・。

 俺がその最初の台詞に抱いた感想は、出だしくらい分かり易い台詞に出来ないのかよっ、という、俺としては至極当然なものだけだったが、俺が抱くその感想と同じモノは、嘘つき女は勿論、リュウですら抱いていないようだった。


「全然、知らない男だったの。偶々、道端で擦れ違った程度の、名前も知らないし、どんな人かも分からない男。ただ、見た目がアレだから・・・、その見た目通りの印象は持ったけど、それだけ。具体的なことなんて、一つも知らない。正真正銘の、知らない人。赤の他人。でも、知らない人でも、ちょっとした親切、することくらいあるでしょ? 偶々、そういうタイミングがあっただけ。偶々、そういう気になっただけ。ただ、それだけなの、それだけ、なのに・・・、」


 ──アイツ、何か勘違いしたみたいで、あれ以来、ストーカーみたいになっちゃったの。


「・・・行く先々に、いるようになったの。視線を感じるなって思ったら、脇道の影とか、建物の影とかに隠れるようにして立っている、みたいな。その影から、じっと私を見ている、みたいな。ほんのちょっとよ? 本当に、ほんのちょっとの親切だったのに・・・、あんなに、毎日後をつけられるみたいに、どこにでも見つけるようになるなんて、思っても見なくて・・・」


 声は、また途切れた。どうも声が詰まったらしい。顔は伏せたまま、結果的にリュウの前に提示されることになった背中が、やたらと波打つように震えている。

 慰めの仕草でも、待っているのだろうか? リュウは両手を中途半端に挙げたまま、どこにその手を下ろせばいいのか分からないようにあたふたしている。俺だったら、あの波打つ背中を、渾身の力で殴りつけているのに。

 っていうか、あんな女にちょっと親切にされたくらいで、そんな情熱を傾ける人間っているのかよ、意味分からん。そもそもあの男は、リュウのところの店に通っているってことは、全部くっついている人間にあんまり興味ない奴なんじゃねーの? だから偶々、時々その姿を見かけたのを、行く先々で見たなんて妄想でもしただけなんじゃね? つまり自意識過剰ってやつ。

 色々と、脳内では悪態が生まれては暴れていた。しかしリュウはそんな考えは全く浮かばないらしく、心配そうに顔を伏せたままの嘘つき女を見つめている。どうしてそんなに優しい心を持ち続けられるのか、俺には全く理解不能だ。どうせなら、愛しい人の元に戻らず、友を案じてこの場に残っている友情に厚い俺にその優しさを向けてほしいのだが。

 俺のそんなささやかな要望を余所に、女の途切れていた声は再び聞こえ始めてしまった。・・・だから俺は聞きたくないっつーの。


「あんなに・・・、好かれるなんて、思わなかったの。毎日、毎日、つけてくるくらいになるなんて・・・、芸能人とかなら分かるけど、まさか、私にって・・・」

「けっ、警察、とかには・・・」

「何も、言ってない。だって、何もされてないから、相談しても無駄かなって思って。毎日、私のこと、見ているって分かってたけど、でも、見ているだけなら警察も何も出来ないのかなって思って。嫌がらせされたわけでもなかったし、ただ、好きで見ているだけの人を、犯罪者呼ばわりするのは悪いのかなって、そんな風にも思っちゃって・・・、誰にも、相談出来なかった」


 ・・・好かれた好かれたって、気の所為だろ。オマエなんかを好きになる要素、どこにあるんだよ、という悪態も、とりあえずは飲み込んだ。本当は力一杯投げつけてやりたかったけど、親友の鋭い抗議が脳裏を横切り、飲み込まざるを得なかったのだ。代わりに、胸の内だけで力一杯罵倒していたが。

 ただ、嫌っている人間の独白ほど苛立たしいものはないが、限りなく客観的に見ても、あの女の台詞はどこか自己陶酔が滲んでいるような気がして、嫌っていなくても気分が良くないだろうな、と思わせるものではあった。台詞だけではなく、その上半身を伏せたまま、身体を細かく震わせる仕草からして、他人の同情を買いたい、可哀想だと思って欲しい、という下心が見える気がするのだ。

 たぶん、その格好からしてもそういったものを感じるのだろう。短いスカートに、短い靴下。足が自慢で見せたいのです、化粧も薄化粧で素材の良さを引き立てております、そんな意図が見える格好も、癇に障る。

 何かに真剣に向かい合うならば、格好にそこまで気を使えるわけがないのに、いつ見かけても見た目に気を遣っている女の口から放たれる言葉がどんなものであっても、真剣味を感じることは俺にはどうしても出来ない。

 でも、リュウはそういう女の浅はかな意図が滲んだ全てに、一切気づかない。これが人の良さ、というものか。


「・・・あの日、私、あの子と遊びに行っていたの。ずっとあの男に付きまとわれていて気が滅入っていたから、気が晴れるように遊びに行きたかった。だから、家の傍にいるに違いないあの男の目を誤魔化す為に普段は通らない道を通ってあの子と落ち合って、地元じゃなくて、二駅くらい先に行って・・・、何度も何度も確認したけど、後ろからあの男がついてきている様子はなかったし、駅にもいなかったし・・・、成功したんだって思ったの。あの男の目を誤魔化して遊びに来られたんだって。だから、駅で目的地に向かって歩き出した時にはもう、あの男のことなんて忘れて、いつも以上にはしゃいであの子と遊んでた」

「あの子って・・・、勿論、腕の本体の子ってことだよね?」

「そうよ、私の、親友」


 ・・・真白は本体で、真白から先に嘗てくっついていたであろう部位なんて、本体なんかじゃありません、とか、何回も親友発言するな、俺やリュウと違って、オマエのはただも妄想、思い込みに決まっているんだからなっ、という突っ込みも、またもや飲み込んだ。

 俺が思うに、そろそろ俺の喉は飲み込み続けたモノが詰まって、爆発でもするんじゃないだろうか?


「遊んで・・・、全部忘れて、遊んで・・・、その途中で、腕を持っている人を見かけたのよ。べつに、全然知らない人。でも、その人を見て・・・、ちょとね、思いついたの。腕、外してみようかって。何も理由がないから、部位を外すことってあまりないでしょう? ただ、偶々部位だけの姿を見たから、ちょっと外してみたくなったっていうか・・・、それで、外して・・・、でも、ただ外すだけだとつまらないから、せっかくだから交換して、お互いの部位をつけてみようかって話になったの」

「え? それって・・・」

「そうよ、その時、私の腕をあの子が、あの子の腕を私がつけたの。それでまた、暫く遊んで・・・、なんか、新鮮だったわ。利き手が自分の腕じゃないんだもの。ちゃんと、頭で出した指示通りに動くけど、どこか違うの。お客さんみたいな感じ。指示には従うけど、あくまで私の本来の主は貴女じゃありません、っていう意識みたいなものが、なんとなく、感じられる気がして・・・」


 ・・・言いたいことが詰まった喉とはべつに、ぴくぴくとこめかみの太い血管が震えるのが感じられた。両手も、きつく握り締めたまま微かに震えている。足も、何かを我慢しきれないように地面を爪先で抉り始めていた。

 理由は、はっきりしている。分かりきっている。だから、唇を噛み締めてなんとか堪える。これは・・・、怒り、だ。恋が、愛が叫ぶ、怒りだ。


「でも、その違和感も面白くて、二人でそのまま遊んで・・・、それで、もうそろそろ帰ろうって話になったの。夕方、少し暗くなってきたけど、まだ明るい、みたいな時間ぐらいに。それで、駅まで一緒に向かって・・・、その、途中だった・・・、」


 あの男を、見つけたのは。


「・・・撒いたと、思ってたの。遊んでいる間は見かけなかったし・・・、でも、駅に向かう途中の雑踏に、見つけて・・・、見つけた、けど・・・、あっちは、見つけてなかったみたいなの」

「見つけてない?」

「そう・・・、私のこと、見失っているみたいで・・・、きょろきょろ周りを見ながら、ふらふら歩いていて・・・、たぶん、駅には来るはずだからって、見張っていたんだと思う。見つかるって、思った。だから咄嗟に、あの子を連れて、近くのカフェに入ったの。帰る前に、ちょっと休んでいこうって誘って。カフェの奥で、外から見つからない席で、どうしようか考えようって思って」


 沈黙が、数秒。嘘つき女は、相変わらず顔を上げない。喋りながらも口元を左手で覆い、まだ身体を震わせている。リュウは、固唾を呑んで話の続きを待っているようだ。

 これが、リュウの素直という美点だとは思う。思う、けれど・・・、なんていうか、直感とか、そういったモノがなさ過ぎるんじゃないかと心配にもなる。

 だって、リュウのあの様子は、この話の続きの中で、嘘つき女の身に何か起きたのだろうと心配する気配が漂っているのだ。とんでもないことが起きてしまったのだと、そういう心配を純粋にしている。

 顔を伏せ、口元を覆い、震える声で話しながら、同じだけ身体を震わせている女の様を、見るままに、聞くままに信じているのだろう。俺とは、違って。


 ──アイツに、訪れたんじゃない。

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