④
「腕は、どこっ!」
・・・分かり合えない者同士は、往々にして同じやり取りを何度でも繰り返すものだ。何故なら分かり合わないのだから、一歩も前に進まない。進まない以上は、そこから動かないということで、どこにも行けず、出会う度に同じことを繰り返す、ということなのだ。
たとえば、最初の出会いから昨日の出来事に至るまで、二度も返せ、渡さないというやり取りがあったにも関わらず、再び目を充血させてハルに向かって少女が腕の変換を求めて叫ぶ、この様などが典型的な例だろう。
また、ハルが少女の雄叫びを聞いて、敵意剥き出しの目つきで少女を睨みながらその前に立ちはだかる姿なども、同様の例になる。
何度でも繰り返すのかもしれないその姿に、一体どう声をかければ良いのか分からずにいる僕を余所に、分かり合えない二人の応酬は、再び分かり合えない結末に向けて繰り返し始めたのだった。
「どこなのっ、ねぇ、腕はどこ? 言ったでしょう? 私の、親友の腕よ! ねぇっ! あの男はきっと、私の親友を殺したのと同じように、残っている腕も始末する気なのよ! だから探しているの! だから早くっ、早く腕を隠さないと・・・!」
「アンタが真白の心配なんかしなくても、真白は俺が守るからいいんだよ」
「よくないのよっ、全然、よくなんて・・・!」
「なんで?」
「なんでって・・・、何回も言っているでしょう! 貴方こそ、なんで分からないの! 私の親友の、残された部位なのよっ? 私が心配するのは当然・・・」
「違うだろ」
「・・・は?」
「アンタ、また嘘ばっかり言うんだな」
「嘘? 嘘って、何を・・・」
「アンタが心配しているのは、真白じゃないだろ」
「・・・昨日のこと、言っているの? あれは・・・、ちょっと、いきなりだったから、動揺しただけ。いきなり、あの子の腕があったから・・・、あの子が殺されるところ思い出したっていうか・・・、だから、訳が分からなくなっちゃっただけよ!」
繰り返していく会話は、最終的には昨日のあの場面へ及ぶ。少女の声は終始冷静さを失っていたが、それだけではなく、言葉を重ねれば重ねるほど、何かの違和感を生み出していた。特に昨日のあの態度に対する釈明は、完全にとってつけたようにしか感じられずに。
たぶん、またハルの言葉の方が正しいんだろうな、というかこういうことだけは客観的に語るんだな、どうして普段も、もうちょっとどうにかならないんだろうな等々、思考が暴走気味に色々な場所を走り始めていたが、僕にはそれぐらいしか出来ることがなかった。
何故ならハルの、何故か一部だけは客観的で鋭くて賢い部分が、一体何を続けて語るつもりなのかが見えていなかったからだ。そして、そのハルが語る正しさに対して、この少女がどういう反応がするのかも想像出来ずに。
少女は、少し足を開き気味にして立っている。まるで、今にも崩れ落ちそうになっている身体をその細い両足に力を入れて、必死でその場に踏み留まっているかのようだ。でも、その足すらも震えがちになっていて、中身の入っていない右の袖が、風にでも晒されているかのように尤も良く揺れていた。
「真白じゃない」
「・・・な、なによっ」
「アンタが心配してるのは、真白じゃなくてアンタ自身だろ。危ないのは、真白じゃなくてアンタなんだ。だからそんなにびくびくしてるんだろ」
「・・・」
「分かってるんだよ、アンタの態度見てりゃ。その態度はな、愛する人を心配してる態度じゃなくて、自分のことばっかり心配している奴の態度だからな!」
人差し指を少女に向け、断罪するように言いきるハルの姿は、結構格好良かった。いや、結構どころか、客観的に見て、かなり格好良かったと思う。
鋭く強い眼差しで少女を睨みつけ、力強い態度で指を突き刺し、同じく力強い声で疑問符を一切付けることなく言いきったその態度も台詞も、何かの主人公が現実にそのまま現れたようだった。
・・・これが、この台詞が、この台詞が指している愛する人が、もし全身揃った人間を示してのことだったなら、どれだけ良かったかと思う。
あくまで、この場合のハルが指している愛する人というのは、真白なのだ。あの、腕だけの存在なのだ。腕だけの、というか、ハルにとっては腕が全てで、他の部分、僕達が一般的に本体と呼んでいる部分は要らん部位なので、ハルが愛する人と評す場合、もうそれはちゃんとした人型を取っている存在ではないのだ。
この事実が、気が遠くなるほど哀しい。さっきの台詞が、今も取ったままのポーズが格好良いだけに、余計哀しい。客観的に見て、僕より明るく社交性があり、顔だってそれほど悪くなくて、頭だって学校の平均点より上くらいは普通に取れるレベルなのに、どうしてコイツはこうなのか。どうして全体が揃ったものを、愛する人にしてやれないのか。
本当は、これらの疑問をハルに改めてぶつけたかった。ぶつけたとして、ハルの心に何も響かないと承知の上で、それでもぶつけたかった。でも、今は出来ない。僕の日本人的な空気を読む能力が、今、そんな個人的な感情にまみれた問いを発して、この場の空気を壊してはいけない、と訴えてきていたからだ。
格好良くハルが決めた台詞の所為で、顔が完全に引き攣り、唇を戦慄かせて、今にも何か、物凄い状態に陥りそうな少女がいるこの場では駄目だと。
しかしハルは、少女の様子など考慮しない。僕の胸の内だって、勿論、考慮しない。ただ、悪を倒す主人公のように、自分が言うと決めている台詞を最後まで突きつけるだけなのだ。ハルの、愛する人・・・、腕の、為に。
「っていうかさ、アンタがそれだけあの男にビビるってことはさ・・・、その腕も、あの男なんだろ」
あの男に何かやられたから、『ない』んだろ。
「腕がやられたみたいに、自分がアイツに何かやられるのが怖いだけだろ」
「・・・ぁ、うっ」
「あの男が何かやるなら、アンタなんだよ。真白は全然、関係ないじゃん」
「かっ、関係・・・、」
「アンタがどうなろうと、俺と真白と、あとパパさん・・・、と、あとはリュウも関係ないんだから、もう俺達に近寄るなよ」
言いたいことは全て言いきったらしく、突きつけていた指はゆっくりと下ろされていった。
その指の動きを何となく追いながら、今の最終宣言の一番最後に自分の名前を付け加えられたことについて、何で最後なんだと不満を抱くべきか、腕だけじゃなくて僕のことも忘れずにいてくれたと喜ぶべきか、判断に迷っている自分が頭の片隅にいることを発見しつつ、まだ、ハルのその宣言より前に発せられた台詞の意味がきちんと理解出来ていなかった。
でも、理解出来ていなくても、あぁ、拙い、とは感じたのだ。たぶん、ハルの突きつけた台詞に歯の根が合わなくなってしまい、歯をがちがちと鳴らしている少女の姿が目の前にあったからだろう。そして残されている左手を持ち上げ、髪の毛を引き千切らんばかりに引っ張っていたからだろう。
「・・・あぁっー!」
叫び声は、昨日と同じで知性を持った人間のものとは思えなかった。両足が地面から離れるほど飛び上がり、肩どころか全身に震えが走るほど驚くような、声。
勿論上げたのは目の前の少女で、身体をくの字に曲げ、引っ張っていた髪の毛を鷲掴みにし、地面に向かって叫び声を上げ続けているのだ。
威嚇のような、声。でも、その姿は何か、とても怖ろしいモノから我が身を守っているようにも見える。襲い来るモノから身体を丸めて隠れているように。大声で叫んで、その何かがもたらす恐怖から逃れようとしているようにも見える。
ただ、それが攻撃的な行動であろうと、防御という行動であろうと、彼女がまともじゃない状態に陥ってしまっていることだけは確かだった。そしてその姿を見て、声を聞くことによって、ようやくハルが放った先ほどの言葉に理解が及ぶ。
おそらく・・・、いや、間違いなく、目の前に状況が訪れた原因たる、ハルの言葉に。
──あの男に何かやられたから、『ない』んだろ。
つまり、この子は被害者なのか・・・、とようやく理解した。真白を・・・、というか、真白の本体を殺した奴なのかもしれないが、同時に、この子が腕をつけていない原因も、あの男なのだ。ハルがそれを指摘して、この子がこれだけの恐慌をきたしているのだから、それは間違いないことなのだ、きっと。
少女は、とうとうその場に蹲ってしまった。でも、地面に顔が近づいても尚、叫び続けてる。叫ぶこと以外に、自分を保つ術がないのだと言わんばかりに叫び続ける姿は、精神に異常をきたしているように見えて恐怖を誘うが、同時に、叫ばずにはいられないほどの恐怖を覚えている姿に哀れみを感じずにはいられない。
・・・と、思うのだが、原因を作った存在に半ば反射的に視線を向けると、そこではハルが物凄い冷めた目で地面に蹲る少女を眺めていた。ちょっと状況的に引くくらいのその冷めた目は、はっきりと物語っている。『なに、悲劇の主人公ぶってるんだよ』と。
あ、こりゃ、駄目だ、と思った。思うしかなかった。コイツは、酷いことをされて怖がっているのだろう女の子に対して、同情を覚えるという感情の動きが起きない人種なのだ。
・・・人種? いや、違うか。別にハルが、他人に同調出来ない冷酷非情な人間というわけじゃない。ただ、感情を動かす対象が決まっている人種というだけで。
自分の恋、もしくは愛──、つまり、腕に対してしか感情を動かさない、という人種なだけで。
オマエは本当に人類か、つーか、せめて対象は人間にしろ・・・、等々、脳内をまるで走馬燈のようにそんな思いが駆け抜けたが、勿論、僕に死ぬ予定はない。むしろ、予定になくてもひと思いにお願いします、と言いたくなるような心境の中、目の前の少女はやがて叫び声を弱めていく。
たぶん、喉が限界を迎えたのだろう。小さくなる声は、息絶える寸前のように見えて、哀れみを超えて本気で心配になり始めた。
このまま、本当に死んでしまうのではないかという、心配。
「なぁ、そろそろさぁ・・・」
「待て」
「え? なんで?」
「ってか、この状況下で、なんでその流れになるんだよ」
「・・・え? いや、意味がいまいち、分からないんだけど」
「・・・あのさ、目の前で、しゃがみ込んでいる女の子がいるんだけど?」
「うん、俺が倒した。愛の為に」
「・・・僕は、オマエがいつか、何かの正義の為に倒される日がくるんじゃないかと、期待のあまりドキドキしているよ」
「なんでっ! ってか、俺が倒されるのを期待ってなにっ? よく分からないけどっ、俺が倒されちゃうなら、心配でドキドキじゃないのっ?」
「僕は正義の存在を支持する」
「つーかっ、俺、悪じゃないんだけど!」
「悪は皆、そう言うんだよ。片付けが出来ない奴が、自分にはどこに何があるか分かってるんだって主張しているのと同じ。これでも片付いてるんですって主張しているのとも同じ。あと、自分には分かり易いように配置されているんだっていう主張とも同じだな」
「おいっ!」
ハルの、全く状況を考慮しない声が掛けられた途端、最後まで言いきらせることなく切れ目のない攻撃で訴えられる全てを叩き伏せてやった。自分の言動を一般的な人間の行動と比較出来ないハルは、僕の攻撃に最後まで理解を示さずに騒いでいる。
しかしハルが一般人に理解を示すまで付き合っていて話が進まないし、その間にも目の前で息絶えそうな少女が本当に息絶えてしまう可能性がある。
それでは、困るのだ。困ることを、思い出したのだ。
僕は、この子を探していた。何故なら聞きたいことが多々あって、それを聞かないことには前に進むことも、後ろに全力で逃げることも出来ないからなのだ。
どちらを選ぶべきか、どちらも選ばずに現状維持で、とりあえず静観すべきなのか、その判断がつかないから、情報を求めていたのだと、ようやく少し冷静になれた脳が、思い出してくれたのだ。
少女は、沈黙している。蹲り、身を縮めた状態で全身を震わせながら、歯と歯が上手く噛み合わず、ぶつかり合う音だけを響かせている。まるで、悲鳴を上げる心臓の音のように。
「・・・ねぇ、大丈夫?」
「へーき、へーき」
「ハルには聞いてないから」
「・・・つーか、もう帰ろうってぇー」
「・・・あぁっ?」
「・・・すんません」
蹲る少女にゆっくりと近づき、二歩分だけ距離を保ったまま、なるべく穏やかに聞こえる声をかけた。膝に手を置いて、少しだけ上半身を折り曲げて声を掛けるその姿は、僕には貴女に敵意はありません、貴女の声に耳を傾ける意思があります、という気持ちを示していた。
同時に、空けたままの二歩は、この少女が恐怖と混乱のあまり、何か、僕に危害を与えてしまうような行為に踏み出した場合にすぐさま逃げられるように、という意図があった。
しかしそういう繊細な状況を考慮した僕の行動に、酷く軽い声が邪魔に入る。勿論、相手はハルで・・・、諫める声は、僕の心境を如実に表したドスの利いたものになっていた。
自分でもこんな声が出せたのかと軽く驚くほどの声だったのだが、ハルはもっと驚いたらしい。珍しく素直に謝罪してきたくらいだから。
でも、ハルのその珍しい態度が、その態度を引き出させたことが自信に繋がったようで、いざという時の逃げ道として空けてあった距離を詰める一歩を踏み出せた。つまり、少女に更に近づいて、膝に置いていた手のうち、片方、右手を離して少女の残された左腕が繋がった肩を軽く叩く。
指先だけで触れる程度のそれに、それでも少女は驚いたようだった。全身を一度、跳ねさせた後、伏せていた顔を弾かれたように上げて、僕を見て。
「あ、の・・・、少し、話しませんか? あっちの、ベンチにでも座って・・・」
「えー?」
「ハルは黙る」
「・・・はい」
「あのですね、なんか、たぶん、今のままだと埓が明かないっていうか、話が進まないっていうか、どこに向かって進めればいいのか分からないっていうか・・・、とにかく、堂々巡りだと思うんです。だから一度、腹を割って全部話してくれませんか? 人殺しとか物騒な話まで出されたら、ちゃんと全部話してもらわないと、こっちとしてもどうしたらいいのか分からないから・・・」
薄化粧が、涙で少しだけ崩れていた。少女はそんな自分の顔の状態なんて気づいていないらしく、見開いた目で僕を見上げてきている。
そんな少女を、化粧なんてしない方があどけない感じでいいのになんて場違いな感想を抱きながら見下ろしつつ、途中、挟まれたハルの余計な声をバッサリ切りつつ、出来るだけ優しい、穏やかな声を心がけて少女に誘いかけた。
正直、結構な人見知りの自分が、最初に会った時の怖ろしい印象が多少和らいだとはいえ、親しくも何ともない少女相手にここまできちんと話しかけられるとは思わなかった。
人間、やらなくてはいけないと追いつめられれば、それなりに何でも出来るものらしい。そしてやらなくてはいけないからこそ必死で頑張ったことというのは、それなりの結果がついてくるようで。
少女は、何度か忙しなく瞬きを繰り返していた。目の前に突然現れた現実に、どうにか自分の認識を馴染ませようとしているかのような仕草で。そしてその仕草をじっと見守っている僕の前で、ゆっくりと、髪を鷲掴みにしていた左手から力を抜き、髪を離して手の甲で顔を濡らす涙を拭ったのだ。何かの、仕切り直しの仕草。
その仕草を目にした時にはもう、自分の提案が受け入れられたことが分かっていた。だから、肩から少しだけ抜けていく力の存在をはっきりと感じていて。
「・・・わ、かった」
了承の返事と共に、力なく立ち上がろうとする少女の姿に、残っていた力の全てが抜けそうになるほど、いっそうの安堵を覚えていた。




