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Article B02 : field theory of Joseph - ジョセフの立場

【Social part 02】


「そこは立ち入り禁止ですよ」と甲板員に注意され、私たちはしゅんとしながら船首から離れた。


 振り返ると、デッキに中世風の衣装に身を包んだ子どもたちがいるのが見えた。

 ハイスクールの生徒くらいに見える少年は、愛らしいベビーを腕に抱いている。この子の娘ということはなかろうから、親戚の子でも預かっているのだろう。

 もうひとりは、ジュニア・ハイスクールくらいの男の子で、白い髪と、めずらしい緑色の瞳をもっている。賢そうなまなざしが印象的だ。

 それと、茶色のむくむくした物体は、犬……のぬいぐるみか。

 なぜか、くすくす笑っている。

 もしかしたら、さっきのあれを見られていたのかもしれない。

 まずい、と私は思った。

 あれを目撃されたのだとしたら……。


 良い子はまねをしないようにと、注意しておかないと。

 まあ……説得力はないが。



 空腹を満たすためにダイニングに出向くと、ピアノ三台での生演奏が行われていた。

 スタインウェイ、ベヒシュタイン、それにベーゼンドルファー。いずれも超がつく高級ピアノには、それぞれに若い男の奏者がいて、曲を奏でている。相川慎一にテオドール・ニーチェ、それから結城拓人。三人とも世界的なピアニストだ。ステージの奥にいるヴィオラを抱えた女性は、園城真耶だな。


 なんとも豪華な顔ぶれで、その演奏は素人の私が聞いても、すごいと思えるほど見事なものだった。

 だが選曲は、なんというか、意味がわからない。ベートーヴェンのソナタの第三楽章ばかりを弾いている。『熱情』に『テンペスト』に『悲愴』か。名曲ぞろいだが、いったいなんの意味があるのだろう。



【Main story 04】


 わからないことを考えていても、しかたがない。それより仕事の話だ。


「やはり君の目的も、シュレーディンガーか?」


 私の問いに、ニーナが首をかしげる。


「え、シュレーディンガー? なんのことかしら。私はCERN所長の名代として、参加しただけよ」

「アルバート・シュレーディンガーだよ。NPU研究で君のパートナーだっただろう?」

「誰のことを言っているの、それにNPUってなに?」


 ばかな。ニーナが、シュレーディンガーやNPUを知らないはずが……。

 どういうことだろう、と考え始めたとき、視界の隅を白いものがよぎった。見れば、キャミソールドレスを着た、栗色の長い髪の少女だった。均整がとれたというより、不自然なほどに整いすぎた顔立ちだ。

 彼女はつかつかとステージに上がると、空いていたもう一台の高級ピアノ、ファツィオリの前に座り、いきなり演奏を始めた。

 ベートーヴェンのソナタ『月光』の第三楽章だった。

 だから、どうして第三楽章メドレーから、抜け出さない?


 少女のピアノは、三人のピアニストに比べると明らかに下手だったが、テンポがすさまじく早く、まるで一音一音が刃物の切っ先のような鬼気迫る演奏だった。

 弾き終わると彼女は満足したようで、三人の男性奏者たちとチークキスをしてステージを降りた。

 さっそうと歩いてきた彼女は、私たちのテーブルの横で立ち止まった。


「”合衆国の良心”の異名を持つジャーナリスト、ジョセフ・クロンカイトが、こんなところでなにをしているのかしら」


 なにをしているか、だと?

 そういえば、なにかすることがあったような気がする。さっきまで、ニーナとしゃべっていたことは……いや、そんなことはたいした問題じゃない。それよりも、だ。


「私のことを知っているとは、驚いた。君はいったい、なに者だ?」


 ボケたつもりはなかったが、ニーナが速攻でツッコミを入れてきた。


「ジョセフ、あなた毎晩テレビに出てるじゃない。めちゃくちゃ有名人だから。ああ、私はニーナ=ルーシー・ボーア。CERNの物理学者よ。あなたは?」


 少女は、ふふんと鼻であしらった。


「ここで名乗るのは、本編の進行上ちょっと差支えがあるから……そうね、じゃあ”スクルド”と呼んでもらおうかな」


 ああ、女神さま、か。たしか三姉妹の末っ子だったな。未来を司り、その名は責務を表し、戦乙女ワルキューレの一人でもある。

 本名とは思えないし、聞き覚えのない名前ではないが……まあ、それは気にしないでおこう。


 スクルドをまじえてランチをとった私たちは、ニーナの希望をいれてカジノで遊ぶことにした。

 なにか、心にひっかかるものがあるが……まあ、いいか。



【Social part 03】


 カジノは、メインダイニングからほど近い場所にあった。

 ラスべガスのカジノをそっくりそのまま移設したかのように、本格的なものだった。賭けだけではない。提供される酒や料理も、最高級のものだ。気軽につまんだスナックが、十ドル以上することもある。


 せっかくだから豪遊したいところだが、貧乏ジャーナリストの私では、とても手が出ない。

 ニーナはともかく、スクルドは子どものくせに、派手に遊んでいる。

 スクルドがルーレットでがっぽり稼いでいるのに比べると、ニーナはポーカーでぼろ負けしている。これは明らかに選択ミスだ。考えていることがすぐに顔に出るニーナには、どう考えてもポーカーは向かないだろう。


 ニーナがテーブルを離れると、代わりにターコイズのドレスを着た美しい娘が、怪しげな風体の男を相手にしてポーカーを始めた。

 あの三人は、札つきの悪たちだ。娘はたしか、紅グループの総帥令嬢のはず。娘がカモにされるのではないかと心配したが、それは杞憂だった。どうやらカモにされているのは三人の方で、あのままでは夜までに身ぐるみ剥がされるだろう。

 ほどなく、悪態をつきながら、ニーナが帰ってきた。


「イカサマしてるんじゃないのかしら。この私が、負け続けるとかありえないわ」

「君にポーカーは向かないと思うがな。どうしてもと言うのなら……」


 あの娘を見習ったらいい、と言いかけた私の機先を制して、おお、という大きな声がした。


「ミスター・クロンカイト。こんなところで会えるとは」


 声をかけてきたのは、アメリカンドリームの体現者として知られる、実業家にして大富豪のイタリア系アメリカ人の男だ。


「WWFのパーティ以来でしたね、ミスター・ダンジェロ」

「ところで、そちらの魅力的な女性は?」


 私はニーナを彼に紹介した。


「物理学者とは……。私には縁のない世界だが、あなたの美しさは相対性理論の限界すら軽々と越えそうだ。……おっと」


「マッテオ」と呼びかけた、ブロンドの髪の少女が、ダンジェロ氏の手を掴む。

 フリルを何段も重ねたスカートを穿いた、目の覚めるような美少女だ。


「おお、アンジェリカ。私のかわいいスフォッリアテッラちゃん。どうしたんだい?」


 アンジェリカ……たしか、ダンジェロ氏の姪だったか。母親はマッテオの妹でスーパーモデルのアレッサンドラ、そして父親はサッカー・プレミアムリーグのファンタジスタ、レアンドロ・ダ・シウバという、生まれながらのセレブだ。どうりで、放つオーラが違うと思った。

 アンジェリカは、もう一人の少女と仲良さそうに手をつないでいた。ビスクドールのような印象の美しい少女の白い髪には、ガラスの髪飾りがあった。


「フランシーヌとまた会えたの。これから、甲板長主催の船に纏わる伝説とお茶会があるのだけど、マッテオもいっしょに行かない?」


 見上げるようにそうねだられたマッテオの眉が、これ以上ないというくらいに下がる。


「愛しの天使ちゃんのお誘いとあれば、断る理由もない。では、ミスター・クロンカイト、そしてミズ・ボーア。またパーティでお会いしよう」


 そのとき、壁に貼られたジャパニメーションのポスターに描かれた、フリフリの服を着て弓矢を持ったピンク色の髪の少女の目が、立ち去るアンジェリカの後ろ姿を追って動いた。……ように見えたが、たぶん気のせいだろう。



 カジノで遊びすぎて、いささか疲れたし、喉も乾いていた。

 私たちは、バーに寄っていくことにした。


 ステージではロックバンド『スクランプシャス』の演奏が行われていた。

 バラード中心の選曲だったが、バーにいる客の大半がステージの周りに集結していて、一曲終わるごとに黄色い声が上がる。

 たいへんな人気だ。それにしても、これだけの並み居るアーティストが一堂に会するとは、驚きだ。さすがはヴォルテラ家というべきだろう。


 私たちの近くに、奇抜な身なりの人たちが、席をとっていた。

 カリブの海賊とその手下を思わせる衣装に身を包んだ若い男女や、セクシーなドレスを着た花売り娘風の男、猫耳に猫しっぽを装備した女性というグループだ。

 彼らの楽しげな会話のなかに、誰かがなにかを探している、という言葉が聞き取れた。



【Main story 05】


 探す……そういえば、私もなにかを探していたのではなかったか。

 だめだ。どうにも思い出せない。


 ところで、気のせいか、さっきからズボンのポケットが軽い。ポケットに手をやった私は、財布を落としたことに気づいた。


「また、やってしまった」

「相変わらずね、あなたは」


 この船では、ヴォルテラ家が太っ腹なおかげで、現金はおろかカードすら使うことがない。だから、ずっと財布には触れていなかった。それが失敗だったようだ。

 いったい、どこで落としたのだろう。


「でも……そういうあなたを見ていると、なんだか、あのころのことを思い出すわ」


 ニーナが、ふっと遠い目をした。

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