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Article B01 : Ark of Volterra - ヴォルテラの箱舟

【Main story 01】


『親愛なる、ジョセフ・クロンカイト殿 ニュースキャスターとしての貴君の活躍と社会貢献に敬意を表して、当家主催のクルーズにご招待申し上げる。最高のもてなしとアトラクションを用意した。ぜひ参加されたい』


 昨日、バチカンを陰で支える一族ヴォルテラ家が所有する超大型豪華客船が、アッパー・ニューヨークベイにその威容を現した。

 そして今日、ヴォルテラ家から私に招待状が届いた。

 レギュラーのニュースショーに穴をあけるわけにはいかないから、丁重に辞退しようと思った……のだが。

 ジュネーブにいるエージェント”レイヴン”からの電子メールで、状況は一変した。


『ヴォルテラ家所有の客船に、シュレーディンガーが乗っているという情報が入ってきました。もちろん、アルバート・シュレーディンガー博士である可能性はゼロですが、確かな筋の情報ですので、でたらめだと切り捨てるわけにもいかないと思います。先生の方で、フォローできませんでしょうか』


 ”レイヴン”の言うとおり、シュレーディンガー博士がその船に搭乗していることはありえない。

 だが、シュレーディンガー博士のNPU(量子理論の多世界解釈)実験に端を発した、通称『エヴェレットの世界』事件をずっと追っていた彼女からの情報は、確度が極めて高い。

 とすると、いったい、どういうことなのか。

 シュレーディンガーがらみとなると、”レイヴン”はじっとしていられないだろう。しかし、彼女はパスポートが再発行されるまで、ジュネーブを動けない。

 ならばやはり、私が行くしかないだろう。


 私は数日分の旅装を整え、鏡に全身を映して身だしなみをチェックした。

 スリーピース・スーツに身を包み、髪をきちんと整えた四十男がにらみ返している。表情が固すぎるようだ。

 ふっとひとつ息をして、私は頬を緩めた。



【Social part 01】


 ヴォルテラの客船は、常識の存在を疑うほど巨大だった。

 ジェラルドRフォード級原子力空母を四隻ならべたほどのサイズで、デッキにはプールどころかサッカー場まですっぽりと収まっている。そりゃ、こんなバカでかい船にもなるだろう。

 これではパナマ運河もスエズ運河も通行できないが、よくこんな船が座礁もせずにアッパー・ニューヨークベイに入ってこられたものだと、私は感心した。


 アッパーデッキのパティオに面したカフェで、私はソイラテを注文した。

 深い艶のある木材のテーブルと、弾力と柔らかさが絶妙な革張りの椅子は、屋外のテラスに並べるのが惜しいほどの工芸品だ。出されたソイラテは、コーヒー豆も、豆乳の豆も、おそらく最高級のオーガニックだろう。その味は、驚くほど素朴でありながら、ため息が出るほど芳醇だった。

 くつろぎすぎてぼうっとしていた私に、声をかけてきた男がいた。


「やあ、ジョセフ。ひさしぶりだね」

「タケル! 元気そうでなによりだ」


 この男、タケルなどという日本風の名前を名乗っているが、本名はジョルジョ・ヴォルテラというれっきとしたイタリア人で、この船のオーナーであるヴォルテラ家の次期当主――と紹介すると本人は嫌がるかもしれないが、事実上そういう立場の男だ。

 それなりに年齢を重ねているが、いつでも滴るような色気を放っている、根っからの貴種ともいうべき人間だ。


「今回は、招待してくれて、ありがとう」

「じつは、その招待状は俺からじゃないんだ。かくいう俺も、この船のゲストでね」

「そうか。それなら、この話も知らないかな?」

「なんだい?」


 友人はそう返事をしながら、一匹の茶トラ猫を抱き上げた。


「この船に、シュレーディンガーが乗っている、というんだ」


 あれ、気のせいか、いま茶トラ猫が顔をしかめたような。

 友人は首を横に振った。


「知らないな。だが猫の前で、その名前はちょっと……」

「ああ、そうか。すまなかったな」


 私は茶トラ猫の頭をなでながら、謝罪した。

 猫は目を細めて、うなぁと鳴いた。



【Main story 02】


 我輩はネコである。


 名前は、なんだか長ったらしいので呼ばれていたが、我輩の頭では覚えられないので、無いことにしておく。


 どこで生まれたかは、この際どうでもいい。

 いま、どこか真っ暗なところで、にゃあにゃあ鳴いていることが問題である。


 我輩をここに閉じ込めたのは、ニンゲンなかでもいちばん厄介な、カガクシャというヤツだった。

 なんとかの箱だとか言っていた。この中でしばらく我慢しておれば、誰かが蓋を開けに来る、そういう話であった。


 だが、待てど暮らせど、誰も来ない。

 そろそろ腹がへってきた。

 ミルクの一皿も入れておかないとは、やはりカガクシャというやつは、あてにならない者のようだ。

 なんとか、ここから出る手だてはないものか。


 おい、誰か。

 吾輩の声が聞こえるなら、助けに来い。



【Main story 03】


 私は、タケルの紹介で、この船のブリッジに案内された。

 関係者以外は立ち入り禁止のそこには、よくわからない航行装置が設置されていて、さながらSF映画やジャパニメーションの宇宙戦艦のようだった。


 私の到着を待っていたかのように、白いひげを満面に蓄えた船長が、しわがれた声で重々しくクルーに命令した。


「抜錨。YAMATO、発進!」


 舵をとっていた航海士が、驚いたように振り向いた。矢印が下を向いた制服に身を包んだ、日本人の若い男だった。


「どうした、シマ」

「オキタ艦長……いえ、船長。あの、船の名前が違うんですが」

「おお、そうだったな。まあ、あれだ。(カン)ちがい、というやつだ」


 クルーたちから忍び笑いが起きたが、私にはどこが笑いのツボなのかよくわからなかった。


 巨大船がゆるやかに動き出す。

 このサイズになると、揺れなんてまったくない。

 その点ではなんの不安もないのだが、もっと重大で深刻な問題がある。船の正面に、自由の女神像が立つリバティ島が迫っているのだ。

 ギャグをとばしているヒマがあるのなら、今そこにある危機を回避してくれ。

 私の心配をよそに、船長は帽子を深くかぶりなおすと、再び重々しく命令を発した。


「ワープ準備。目的地、南ドイツ、ボーデン湖」


 すかさずクルーが応じる。


「周辺の船舶に警報を発令。高次元回廊ワープチャンネル設定開始。ターゲット・ポイント、北緯47度39分、東経9度19分との座標リンク確立。航路上に障害物なし」


 いや、あるだろ。あれ、あれ。

 私は必死で自由の女神像を指差したが、完全にスルーされた。

 いいのか、マジで。世界遺産だぞ、器物損壊で合衆国がバチカンを訴えることになっても、私は知らんぞ。

 船長の命令が下る。


「HADOエンジン始動、ワープ開始!」


 ふと耳元でネコの鳴き声がした。

 周囲を見回したが、どこにもネコなどいない。

 気のせいだったか。

 そう思ったときだった。


 ブリッジに突然、警報が鳴り響いた。

 ほら見ろ、言わんこっちゃない。きっと、どこかにぶつかったんだろう。


「ワープ装置への干渉が発生。高次元回廊にねじれが起きている模様です。船長、すぐにワープを中断しましょう」


 慌てるクルーを、船長は「うろたえるな」と一喝し、「どこからの干渉か、確認せよ」と命令した。


「船内です……船体下部、デッキB3のブロックC、シュレーディンガー・チャンバーのあたりです」

「船内からの干渉なら問題はない。目的地との座標リンクはどうだ?」

「リンクは継続しています」

「よろしい、現状維持だ。総員、ワープアウト時の衝撃に備えっ!」


 果敢で合理的な決断だが、ほかの乗客は大丈夫なのか?

 私は、柱につかまって足を踏ん張った。

 まもなく、エレベータが下降を始めたときのように、ゆらりと船体が揺れて……船はなにごともなかったかのように、ボーデン湖に浮かんでいた。

 どうやら、被害はなかった模様だ。

 だが……。


 自由の女神像が無事かどうか、あとでCNNに確認しておかないと。


 *


 ワープが終了してから、一時間後。

 コンシェルジュから、ノイシュヴァンシュタイン城とヴィ―ス巡礼教会へのオプショナルツアーの案内があったが、私はそれには参加せず、とある場所に向かってデッキを歩いていた。料金の二百ドルを惜しんだわけじゃない。どうせ城や教会の観光時間より、土産物屋で買い物をさせられる時間の方が長いに決まっている。

 それよりも、やるべきことが私にはあるのだ。


 私はやがて、目的の場所に着いた。

 豪華客船とくれば、やはり船首だ。

 だが、私のやるべきことのためには、不足しているものがあった。

 長い髪の美女だ。


 そう思ったとき、背中をつんつんとつつかれた。

 振り返ると、そこには麦わら帽子を被った亜麻色の髪の女性が、艶然と微笑んでいた。

 これは、おあつらえ向きだ。

 いや、待て。

 この顔は、どこかで……。


「ニーナ……ニーナ=ルーシー・ボーアなのか?」

「ええ、ジョセフ。ひさしぶりね」

「ああ」


 デッキに伸びた私たちの影が、重なり合う。

 どちらからともなく、抱きしめあった。二十数年の歳月を埋め合わせるかのように、熱い口づけをかわしながら……。


「……って、私たち、そんな関係だったっけ?」

「そんな関係だったんだよ。本編じゃ、まだ公表してないけど」


 まあいいか、とニーナは納得した。


「それより、ねえ、あれ、やっていいかしら?」


 ニーナは船首を見つめながら、そう言った。

 さすがだ、よくわかっているじゃないか。


「ああ、もちろんだとも」


 船首に立ち両手を広げるニーナを、私は後ろから腰に手を添えて支える。

 そして。


「さあ、目を開けてごらん」

「私、空を飛んで……」


 だが。

 やはり無理があったようだ。

 船は停泊していて、風もない。

 両手を広げたままで、ニーナがぽつりと漏らした。


「まぬけ、ね」


 私は「ああ」と、返事をした。

 同時に。

 お腹の虫が、ぐうと鳴った。

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