8月13日②
「充さんも上手ね~」
「香澄ほどではない」
「母さんも動じてない……私ですか? 私が間違っているんですか……?」
にこやかに笑い合う香澄さんと父さんを見て白乃が頭を抱えている。
白乃もこの家に来て三か月近く経つんだから、そろそろ慣れて欲しいところだ。
そうこうしているうちにピンが再配置され、白乃の番となる。
「……次は私ですか」
「頑張れ、白乃」
「はい。――行きます!」
白乃は決然とした眼差しでボールを構え、
『ガーター!(※一投目)』
『ガーター!(※二投目)』
「………………ボウリングなんて嫌いです」
「す、拗ねるな白乃。まだ一回目だ。諦めるには早い」
白乃の投げたボールは妙な回転がかかったのか、連続で左右の溝に吸い込まれていった。白乃の運動音痴はここにも適用されるらしい。
「あまり落ち込むな白乃。失敗くらい誰にでもある」
「千里さん……」
「ガーターを二連続で出したから何だというんだ。そんなのよくあることで」
「千里くーん、次は千里くんの番よー?」
「ああ、すみません。投げておきますね(ブンッ)、ともかく白乃、何度も投げれば自然とコツは掴めるもので『ストラーイク!』、諦めるのはもう少し頑張ってからでも」
「…………片手間にストライクを出しながら言われても全然説得力ないんですが……」
駄目だ。この方面からでは白乃を元気づけることはできないらしい。
「とりあえずボウリングのコツでも覚えてみるか?」
「やり方があるんですか?」
「ああ。といっても、そんなに難しい話じゃないんだが」
話をしている間に香澄さん、父さんが投げ終えて白乃の番が回ってくる。
緊張した顔でボールを持って歩いてくる白乃の横に立ち、俺はレーンの手前のほうを指さした。
「まず、狙いだな。白乃は投げるときはどこを見てる?」
「どこって、普通にピンですけど」
「それだと遠すぎるんだ。レーンの手前に三角形の小さな印が並んでいるのが見えるか?」
「……あ、本当です。何かありますね」
ボウリングのレーンには手前四分の一あたりに小さな三角形のマークが七つ並んでいる。あの『スパット』を使って狙いを調整するのが実は重要だったりする。
「あれの右から二つ目を狙って投げてみてくれ」
「は、はい」
頷く白乃。
……ううむ。まだ緊張しているような感じがするな。
俺は、ぽん、と白乃の両肩に手を置いた。
「え、ちょっ、千里さん?」
びくりと白乃の体がこわばる。
「肩に力が入りすぎだ。力は抜いたほうがボールはまっすぐ転がるぞ」
「そ、そうですか。そうですね」
「深呼吸だ、深呼吸」
「は、はいっ」
白乃は(なぜか顔を真っ赤にして)、言われた通りに深呼吸を繰り返す。
「……? 白乃、だんだん肩に入る力が増しているぞ」
「……っ、こんな姿勢で落ち着けるわけないじゃないですか!」
「す、すまん」
噛みつくように言われたので慌てて手を離す。
何か俺は白乃の気に障るようなことをしたんだろうか。
「(まったく、両肩に手を置いて見つめられるとか、どうやって冷静になれっていうんですか……!)」
白乃は俺に背を向けて何やら呟いていたが、残念ながら俺には聞き取れない。
「あら、あらあら、白乃ちゃんと千里くんってばちょっと見ないうちに凄く仲良しになったのねえ」
「……千里とは普通に接することができるのだな。いや、別に怖がられることには慣れているので気にはしていないが」
後ろからそんなコメントが聞こえてくる。
口では気にしていないと言いながら、父さんが少し落ち込んでいるのが印象的だった。
さて、白乃の投球である。
「……行きます!」
白乃が投げたボールはゆっくり、ゆっくりとピンに向かって転がっていき――ぱたぱたっ、と見事七本のピンを倒した。
ストライクとまではいかないが、さっきとは雲泥の差だ。
「……や、やりました! やりましたよ千里さん!」
「ああ。上手くいったな」
「千里さんのお陰です! ありがとうございます!」
頬を上気させて嬉しそうに言ってくる白乃。
ここまで白乃が素直に喜びを表現するのは珍しい。運動が苦手な白乃にとって、この手の遊びをうまくできるのは感動的なのかもしれない。
続いて白乃の二投目は追加で一本のピンを倒し、この回の白乃のスコアは八本。
スペアやストライクが取れたわけではないが、白乃は満足げだった。
「ボウリングって楽しいですねっ」
「そうだな」
「千里さん、さっきのやり方は自分で調べたんですか?」
「……、いや、人から聞いた」
白乃の質問に俺は一瞬だけ詰まり、それを飲み下してそう言った。
不自然にはならなかったと思う。
幸い白乃は特に疑問を抱かなかったようで頷いていた。
「そうですか。では、その人にも感謝しなくてはいけませんね」
「……そうだな」
さて、白乃の次は俺が投げる番だ。
一旦会話を中断し、俺はボールを持ってレーンの前に立つ。
俺はふと思い出していた。
『あーもう、あんた下手くそねー! いい? ボウリングってのはピンじゃなくて手前の印を見るの! そんで力抜いて投げときゃ簡単に点数が取れるのよ!』
よく響く、いつだって楽しそうな声。
(……母さんもボウリングが好きだったな)
かつて不器用な俺にボウリングのコツを教えてくれた母親のことを思い返す。
大雑把な性格の人だったが、人に何かを教えるのはうまかった気がする。
「……、」
そんなことを考えながら投げたせいか、ストライクを逃してしまった。白乃より少ない七本の戦果で俺の番は終わる。
「あら、千里くん調子崩しちゃったかしら」
「最初の二回がうまくいっただけですよ。いつもこんなものです」
「そう? それじゃあ引き離しちゃうわよーっ」
香澄さんとそんなことを話しながら、俺は奥の座席へと戻ってくる。
すると隣の席の白乃がじっと俺を見ていることに気付いた。
「……」
「どうした、白乃」
「あの、千里さん。もしかして……その、」
言いづらそうに白乃は口を開きかけて、言葉を探すように視線をさまよわせる。
けれど言うべきことが見つからなかったように俯いた。
「……いえ、何でもないです」
「そうか」
白乃は何か言いたげだったが、結局黙り込んでしまった。
俺もそれ以上は聞かず、白乃の投球順が回ってくるまで少し居心地の悪い沈黙が続いた。
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