8月5日➃
「…………ははーん?」
白乃の様子を見て、イヴさんが何かに気付いたようでにやりと笑った。
「確かに白乃の言うこともわかる。確かにあたしと千里じゃ体格差があり過ぎる。うん、それはよくない。構図撮るならキャラに合わせるのがいいよな」
「……?」
「つーわけで、押し倒される役は白乃に任せた! あたしは撮影やるよ」
「えっ」
ふむ。
確かに漫画を見る限り、キャラクターの対格差に合わせるならイヴさんより白乃のほうが適任な気はするな。
「な、何というかそれはそれであの、その」
「そうかー白乃は嫌かーそんならやっぱりあたしがやるしかねーかなー」
「……私がやります」
白乃が腹をくくったように頷いた。そんなにイヴさんの漫画に貢献したいのか。
気持ちはわかるぞ白乃。この人の漫画は面白いからな。
「そんじゃ頼むぞ二人とも。あたしは適当に写真撮ってるから」
「……はい」
「わかりました」
ローテーブルをどけてスペースを確保する。白乃は絨毯の上に数秒座り込んでから、ゆっくりとその身を横たえる。
「……ど、どうぞ」
「……ああ」
白乃の許可が出たので俺も漫画のキャラクターと同じ姿勢を取る。
四つん這いになって両手をそれぞれ白乃の肩を挟むような位置に持っていく。
…………。
何というか、これは……。
「あ、あんまりじろじろ見ないでください」
「す、すまん」
思っていたより距離が近く感じる。女子特有の甘い香りや緊張でこわばった肩、呼吸によるわずかな動き――あまりに多くの情報量が伝わってきて思考がまとまらない。
白乃はさっきから視線をどこに置いていいかわからないようで、俺と目を合わせては外し、合わせては外しと落ち着きがない。
「……っ」
最終的に白乃は目を閉じてしまった。
……押し倒された状態でそうされると、何かを期待されているような気分になるな。
いや、白乃がそんなことを考えていないことはわかっているんだが。……ううむ。
「……ほうほうほうほう。なるほどなるほど。白乃はともかく千里もそういう……なるほどなあ」
「……イヴさん。まだ終わりませんか?」
スマホを構えたままイヴさんが何やらぶつぶつ言っている。
このままだと俺も白乃も色々ともたない。
「んー……あれだな。この構図も悪くねえんだけど……白乃、ちょっとポーズ変えてもいいか?」
「……少しくらいなら」
「ちょっと腕を千里に回してみてくれるか? こう、抱き着く感じで」
「抱きっ……?」
イヴさんの注文に白乃は表情をこわばらせた。
「む、無理です。今でもかなり限界というかっ」
「や、まあ、白乃が嫌なら諦めるけど」
「嫌、というわけでは……ないんですが」
ちらりと白乃が窺うように俺を見た。恥じらうような視線だ。けれど、そこには嫌悪感や忌避感のような気配はない……と、思いたい。
「……千里さんは」
「俺は……構わない。白乃が嫌でなければだが」
「…………、じゃあ、少しだけ」
白乃の華奢な腕がゆっくり伸びてきて、俺の首の後ろで緩く組まれる。
当然ただ押し倒されていただけの態勢よりも距離が近づく。
それもかなりの近さだ。お互いの吐息が絡まるような距離感に否応なく心臓が跳ねる。
(……まずい)
思っていた数倍、この態勢は破壊力が強い。
さっきまでは白乃は俺の体の下で寝ていただけだったが、俺の首の後ろに腕を回すと積極性が加味されているような感じがする。
相手からの好意をより強く感じる姿勢なのだ。
やっているのが白乃のような超のつく美少女ならなおさらだ。
誰が見てもそう思うほどの美人が、手を伸ばしてこちらを求めてくる。緊張で目を潤ませ、浅く息を吐きながら。
これは……まずい。
自制心の蓋が緩みそうだ。
――どのくらい耐えただろうか。
「よーしこんなもんかな。お疲れ、もう解いていいぞー」
「…………はい……」
「終わりましたか……」
イヴさんの終了宣言によって姿勢を戻し、俺と白乃は同時に息を吐いた。
時間にして五分も経っていないだろうが、何だかどっと疲れた。
本当に危なかった。
あと数分もあの態勢のままだったら本気で白乃を抱き締めていたかもしれない。最近どうも理性が弱くなっていないか? 気を引き締めねば……。
「ところで二人とも、ものは相談なんだけどよ」
イヴさんが唐突に言ってくる。
相談? 一体なんだろうか。
「ほら、あたしって一人暮らしじゃん? だから二人の絡みの構図って自分じゃ再現できねーっつーか……この際『添い寝』とか『お姫様抱っこ』とか、他の写真も撮らせてくれたりとか――」
「「もう勘弁してください」」
俺と白乃は声を合わせて即答した。
これ以上被写体をやったら俺も白乃もどうなるかわからない。
▽
「いやー、今日は来てくれてサンキューな。お陰で助かったぜ」
夕方。
約束の時間だということで、俺と白乃はイヴさんの仕事場を後にしようとしていた。
「本当に帰って大丈夫ですか? まだ作業は残っていますが」
「大丈夫だ。アルも起きたしな。後は二人で何とかするよ」
イヴさんの言う通り、先ほど気絶していた信濃も起きて作業に参加している。
やつならイヴさんの手伝いは慣れているし、問題はないだろう。
「そんでこれバイト代な。こっちが千里でこっちが白乃」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
茶封筒に入ったバイト代を受け取る。中を確認すると、高校生が五時間弱で稼いだとは思えないような額が入っていた。相変わらず気前のいい人である。
遠慮するのも失礼なので、ありがたく受け取っておく。
「それじゃあ俺たちはこれで――」
「あ、待った。白乃ちょっと耳貸せ耳」
「はい?」
白乃を呼び、イヴさんは内緒話でもするように声をひそめて何事か話した。
『……乃。お前……里が好き……だろ?』
『……な、何の話で……』
断片的に聞こえてくるが何の話をしているのかはさっぱりわからない。
だんだん白乃の顔が赤くなっているのが気になるところだ。
やがて内緒話を終え、イヴさんはぐっと親指を立てて白乃に言った。
「応援してるぜ! 何か悩みがあったら相談に来な!」
「…………ありがとうございます」
「二人とも何の話をしていたんだ?」
「千里さんは知らなくていいことです」
「そーだなー。千里は知らなくていいな」
何の脈絡もなく省かれていた。いや、まあ、二人がそう言うならいいが。
ともあれ、そんなやり取りを最後に俺と白乃は家路につくのだった。
× × ×
――神谷千里と神谷白乃が去ったあと。
見た目幼女な女子大生、信濃イヴのスマホに着信を知らせる振動が響いた。
「あん? 誰だよ一体この忙しい時に」
イヴはスマホの着信表示を見て意外そうな顔をする。
「……おいおい、懐かしい名前だな。ほい、通話っと。もしもし?」
『――――――、』
「ああ、うん。久しぶりだな。どしたー」
『――』
「ふんふん」
『――――――、――――』
「……何かあったのか?」
『――……』
「ああ、いいよ別に。わかった。そんじゃ待ってるわ」
通話終了。
一連の流れを見ていた弟のアルフレッドがイヴに尋ねた。
「電話、誰からだったの?」
「お前も知ってるやつ」
「……?」
「心配しなくてもすぐに会えるよ。……こりゃ面白くなってきたな」
イヴが机に置いたスマホには通話履歴が表示されている。
その画面の一番上――最新の通話相手を示す場所には、『東由奈子』という文字列が並んでいた。
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