5月29日③
学校から出る前、数歩後ろを歩いていた白乃がこんなことを言った。
「……千里さんは、好きな飲み物ありますか」
「なんだ急に。コーヒーが好きだ」
「少し待っていてください」
そう言うと、ぱたぱたと白乃はその場を離脱。それから駐輪場のそばにある自販機に行き、何かを買うとそのまま俺のところに戻ってくる。
ずい、とロング缶のコーヒーが差し出された。
「もらっていいのか? 待て白乃、金を」
「受け取るわけありません。……さっきは助かったので、これで相殺します。いつまでもあなた相手に恩なんて感じていたくありませんから」
「そ、そうか」
冷えて表面を水滴が伝っている缶を受け取ろうとして――ふと気付いた。
差し出している白乃の手は、不自然なほど缶の端を掴んでいる。
「なんですか。いらないんですか」
「いや……」
俺が缶を受け取ると、白乃は一瞬ではあったが、明らかに体をこわばらせた。その反応を見てさすがに俺も違和感を覚えはじめる。まさか、
「……お前がさっきクラスメイトの手を振り払ったのは、相手が男子だったからか?」
俺への態度や、さっきのクラスメイトに対する過剰な反応。何度か聞いた『男嫌い』という発言。それらから察するに、どうもそういう話な気がする。
男子が嫌い。触れられることにすら抵抗がある。もしそうなら、白乃の一連の行動にも納得がいく。
「……、」
白乃は目を見開き、それから警戒した野良猫のように俺を見た。
「……だったら何ですか」
「いや。別に何も」
「え?」
白乃が目を瞬かせた。俺は続ける。
「白乃が男に触れられるのが嫌なら、俺も気をつけた方がいいのかと思っただけだ。……というか、そんな大事なことをなぜ先に言わない」
『男に触れられるのが嫌』なんて大事な話、正直家に来た段階で伝えておいて欲しかった。俺が身内に対して日常的にハグを行うような人間だったらどうするつもりだったんだ。
言うと、白乃はきょとんとした顔で俺を見た。
「……それだけですか?」
「ああ」
「率直な疑問なんですが……」
視線を落としながら、
「不愉快じゃないんですか? いきなり家にやってきた人間が、『触るな』なんて言ったら」
「人には人の事情がある。それくらいは弁えているつもりだ」
「……」
「だから、別に不愉快じゃない」
かくいう俺も人には言えないような部分がないでもない。それを詮索されたくない気持ちもわかるので、特に白乃の男嫌いについて掘り下げる気も責める気もない。
「そう、ですか」
「そうだ」
「……変な人ですね、千里さんは」
「常識的な意見を言っているつもりなんだが……」
なぜそんな評価になるのか解せない。白乃はそれきり口を閉ざし、大人しく俺の後からついてくる。その間ずっと俺たちは無言だったが、なぜか白乃がいつも発してくる排斥的なオーラが薄れていたため、特に居心地が悪いとは思わなかった。
校門を出たあたりで俺はふと思い出した。
「白乃。この後のことなんだが」
「なんですか」
「家の冷蔵庫に食材があまり残ってないので買い出しに行きたい。だが、実際に料理をするのは白乃だ」
「わかりました。では、私が行って夕食に必要なものを買ってきます。スーパーの場所を教えてもらえますか」
当然のように一人で行こうとする白乃に待ったをかける。
「俺も行く」
「来ないでください」
俺が並の男ならここで心がへし折れていただろう。
「醤油と味噌が切れている。買い物袋は重くなるだろう。それに白乃はこのあたりに不慣れだ。道に迷うかもしれない」
「……む」
「ついでにうちの家計費を預かっているのは俺だ」
そこまで言うと、ようやく白乃は小さな吐息を漏らした。
「……わかりました。ですが、少し離れて歩いてくださいね。具体的には三メートルくらい前を」
次回で5月29日は終わりと言いましたがあれは嘘だ。我ながら読みが甘すぎました。……下手したらあと二話くらいかかるかもしれません。
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