8月5日②
「それじゃあ今から会いに行く人は漫画家の方なんですか?」
「そうだな。本業はイラストレーターと言っていたが」
「……別の職業に聞こえますが」
「漫画は趣味らしい。同人作家、だそうだ」
イヴさんの仕事場に向かう途中、白乃とそんなやり取りをする。
話している内容は主にイヴさんの素性や仕事内容についてだ。
「それにしても、イラストレーターですか……。そういう人が身近にいるのが驚きです」
白乃は感嘆するようにそんなことを言った。
信濃の姉――イヴさんはプロのイラストレーターだ。
大学に行きながら絵師として活動し、さらに趣味で同人誌を描いては即売会で売りさばいている。
前に信濃経由で知り合ってから、俺はちょくちょくその手伝いをしていたりする。
「急にアシスタントと言われた時には何事かと思いましたよ」
「自分で言っておいてなんだが、よく了承してくれたな」
白乃は俺がイヴさんからのヘルプ要請を伝えたとき、意外にもあっさり応じてくれた。
正直断られるかと思っていたので予想外だ。
「……私の場合、こういう機会でもないと夏休みの間ずっと家にいますからね……」
「ああ……」
夏休みはどこも人が多い。男性恐怖症の白乃にとっては、なかなか外出する予定を作りにくいようだ。
「ところでアシスタントってどんなことをするんですか? 正直、私よくわかっていないんですが」
「そのあたりは心配ない。イヴさんはできない仕事は振ったりしないからな」
「そ、そうですか」
ほっとしたように息を吐く白乃。
振られる仕事は、せいぜい消しゴムかけやベタ(=印の着いた場所をペンで塗りつぶす作業)くらいだ。
アシスタントなんて格好つけて言ってはいるが、実際には手伝い程度である。
と、そんな話をしているうちに目的地に到着した。
「……立派なマンションですね」
「儲かってるらしいからな」
明らかにファミリー向けにしか見えないマンションに入っていく。目的の部屋の前まで行きインターホンを鳴らす。
『はーい?』
「千里です。手伝いに来ました」
『おお千里! 待ってたぜ!』
だだだだーっ、と足音がして勢いよく扉が開く。
「よく来たな! そんじゃ今日はよろしく頼むよ!」
「はい。簡単な手伝いくらいしかできませんが」
「それで十分だ。っと、そっちが電話で言ってた義理の妹か。わざわざ来てくれてサンキューな!」
「は、はい。よろしくお願いします。……千里さん」
「何だ?」
白乃が目の前の人物を見て首を傾げた。
「えっと、こちらは信濃イヴさんの妹さんですか?」
そう、白乃は扉を開けて出てきた、身長百五十センチ未満、金髪ツインテールのあどけない少女のような外見の人物を見てそんなことを――
「いや、この人がイヴさんだ」
「おうよ」
「えっ」
白乃が固まった。
「ほ、本当ですか? 十二歳くらいにしか見えませんよ!?」
「正真正銘、この人がイヴさん本人だ」
白乃が再度尋ねてくる。
無理もない。実際、イヴさんはノーヒントで遭遇したら確実に小学校五、六年生の女児にしか見えないからな。
俺も最初は戸惑ったものだ。
しかしこの人物こそ、信濃の姉である信濃イヴさん(21)である。
イヴさんは肩をすくめた。
「まったく、どいつもこいつもあたしのことを女児だ合法ロリだと――」
「す、すみません。悪気はなかったんですが……」
「おかげで電車も映画も安くなっていつも得してるぜ」
「別に嫌がっているわけではないんですね」
外見を気にしていたら電話の第一声が『お兄ちゃん』だったりはしないだろう。
「とりあえず立ち話も何だし入りなよ」
「「お邪魔します」」
イヴさんに従って部屋に入る。靴を脱ぎ、奥の仕事部屋へ。
イヴさんは歩きながら白乃を振り返った。
「今更だけど自己紹介しとくか。あたしは信濃イヴ。信濃アルフレッドの姉だ。よろしく」
「神谷白乃です。千里さんの義理の妹です」
「ああ、そのへんはアル――弟から聞いてるよ。白乃って呼んでいい?」
「はい。私は何と呼べばいいですか?」
「何でもいいよ。イヴさんでも姐さんでも『魔法少女イヴちゃん☆』でも」
「……イヴさんでお願いします」
そんなやり取りをしながら仕事部屋に入る。
部屋は綺麗に整頓されている。
デスクが二つ壁際に置かれ、部屋の真ん中には原稿用紙の散らばるローテーブルと座椅子が二組設置されている。
そんな部屋の隅に、見覚えのある男が転がっていた。
「あれ……千里……? それに白乃ちゃんも……」
アルフレッドのほうの信濃だ。
電話では聞かされていたが、どうやらこの男は俺たちより早くイヴさんに捕まっていたらしい。
「久しぶりだな、信濃」
「こんにちは」
「二人も……手伝いに……?」
「そうだ」
「そう、頑張って……ボクは少し、休んでから……」
ばたり。
そこまで言って信濃は床に突っ伏してピクリとも動かなくなった。
「……あの、信濃先輩は大丈夫なんでしょうか?」
白乃の言葉にイヴさんが肩をすくめた。
「平気平気。ちょっと五十時間ぶっ続けで作業させただけだから」
「それは全然『ちょっと』ではない気がします」
「そうか? あたしは五日寝てねえけどぴんぴんしてるぜ?」
「い、五日……」
驚愕する白乃。俺は驚かない。この人のバイタリティは人間離れしているのを知っているからだ。
それよりも――
「……睡眠時間を削って描いているということは、締め切りが近いんですか?」
「…………大丈夫だ。まだ間に合う」
「どこを見て言っているんですかイヴさん」
視線を逸らされた。このぶんだと締め切りは数日後に迫っていると見ていいだろう。
「と、とりあえず二人はそっちのローテーブル使ってくれ」
「わかりました。何をすればいいですか?」
「んー、二人いるし白乃は消しゴムかけ、千里はベタ頼む。何かわからんことがあったらその都度聞いてくれ」
そう言ってイヴさんに原稿用紙の束を渡された。
作業に合わせて原稿用紙を白乃と分け合い、内容を確認してみる。
相変わらず抜群に上手い。
迫力がある。
特にこの巨大ロボットが電磁粒子砲を撃ち放つシーンや、電子ブレードを振り回しての白兵戦のシーンなどは手に汗握ってしまう。
「……毎度のことながら、ロボットへのこだわりが凄いですね」
「たりめーよ。巨大ロボには夢とロマンが詰まってるからな!」
「そ、そうですか」
「今期覇権の『カエデ大戦』が、もうロボは格好いいし戦記ものとしても出来がいいしで最高でなあ……おかげで二次創作がはかどって仕方ねえ」
恍惚とした笑みを浮かべてそんなことを言うイヴさん。
この人物、美形の信濃の姉だけあって、外見は天使のようなのだが……なかなか趣味が偏っていたりする。主に銃とロボットと特撮に。
どうやら今回の原稿もロボットもの――かつ、その操縦士である男女のラブストーリーのようだ。
……ふむ。
なるほど、主人公の親友が死んでしまうのか。
そんな主人公を支える献身的なヒロインの姿。
これはなかなか――
「おう千里。読み込んでくれるのは嬉しいがベタも頼むぞ」
しまった。つい引き込まれてしまっていた。
俺は気合を入れ直して作業に取り掛かった。
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