8月5日
降り注ぐ日差し。
やかましく響く蝉の鳴き声。
どこまでも伸びる真っ白な入道雲。
夏休み、である。
「Please make this work into a book, please do anythingか。意味は――」
……まあ俺がやっていることといえばいつも通りの勉強なわけだが。
夏休みはまとまった時間が取れる貴重な機会だからな。せっかくなので一年の範囲の復習くらいは終わらせておきたい。
そんな感じで机に向かっていると、
「千里さん、お昼できましたよ」
「ああ、今行く」
自室の扉がノックされ、白乃の声が聞こえてくる。俺は返事をし、問題集を中断して部屋を出ていく。
「何してたんですか?」
「英語の長文読解だな」
「もう勉強してることは前提みたいな答え方ですね……」
呆れたように言われた。
白乃も大体予想はついているだろうに。
「高校二年生の夏の過ごし方はそれでいいんですか?」
「これでもけっこう満喫しているんだがなあ」
「はあ……まあ、千里さんが楽しいのならいいんですけど」
嘆息しつつそう言い、白乃は思い出したように手を叩く。
「ではなく、ご飯ですご飯。冷やし中華なので早くしないとぬるくなります」
「ああ、わかった」
白乃に急かされるままに階段を下りて居間に向かう。
ちなみに白乃の服装は、シャツに薄手のパーカー、ショートパンツという夏らしい取り合わせだ。
白乃は青や白といった寒色寄りの色が好きらしく、本人の雰囲気も合わさってとても涼しげに見える。
俺はふと疑問に思ったので尋ねてみた。
「白乃はそういう露出の多い服装は嫌いなんじゃなかったか?」
「嫌いですよ。人前に出るときは、ですけど。……あまり足とか出してると、男の人に見られるので」
「ああ……」
そう言えば前にそんなことを言っていたような気がする。
確かに白乃ほどの美少女が露出の多い恰好で出歩いていたら、不要な視線を集めてしまうだろう。
白乃からすれば外出時に窮屈な服装をしなければならないのだから、家の中くらいは気楽でいたいといったところか。
そんな具合に俺は納得したんだが、白乃は不安げな表情で尋ねてきた。
「……似合いませんか?」
「いや、に――」
――似合いすぎて視線のやり場に困る。
そう言いかけたが、さすがにこの言い方は色々とまずい。
「あー、その、……普通によく似合ってると思うが」
「……ありがとうございます」
白乃は反応に困ったように視線をさまよわせた後、はにかんでそう言った。
「「いただきます」」
居間に下り、もろもろの準備を終えて食べ始める。
今日の昼食は冷やし中華である。
具材のハムと卵が自家製で、タレも白乃流のアレンジが加えられていた。ハムはチャーシューに近い厚めのもので食べ応えがあり、卵もしっとりしていて口触りがいい。
「どうですか?」
「美味い」
「それはよかったです」
俺の素朴過ぎる感想に相槌を打ちつつ、白乃は淡々と自分の冷やし中華を口に運んでいる。
「……すまんな、気の利いた感想が言えなくて」
「千里さんにそこは期待してないです」
「そうか……」
ばっさり言われた。
実際にやれと言われてもできないので、妥当な反応だろう。
「でも、ちゃんと本心で言ってくれているのがわかるのでいいです」
そう言って白乃は小さく笑った。
よそ行きの微笑ではなく、何かを得意がるような――年相応で、あどけない笑み。学校の教室でこの表情をしたらその場の男子全員が目を奪われたことだろう。
それを見て、俺はふと思う。
「最近の白乃は表情が柔らかくなった気がするな」
「そうですか?」
「ああ。とっつきやすくなったというか、角が取れたというか……何というか、前よりずっと可愛くなった」
この家に来たばかりの頃、白乃はあまり素顔を見せようとしなかった。
それが今では普通に笑ったり、軽口を叩いたりしてくる。
白乃は外見に関しては最初から文句のつけようもない美人っぷりだが、可愛げという点では以前とは比べ物にならない。
「……」
「白乃。なぜ俺の足を蹴ってくるんだ」
テーブルの下では白乃の足が俺のすねに打撃を加えている。
褒めたのにこの反応はあんまりではないだろうか。
「……千里さんはそういうところがずるいです」
「あのな、白乃。前から言ってるが嘘は一切言ってないぞ」
「ほら。ほーら。すぐそういうこと言うんですこの人は。いつか包丁で刺されますよ」
「何だその物騒なたとえは……」
俺の言葉に答えず、白乃は不貞腐れたように食べる速度を上げた。
そういう反応も白乃が変わったと思える理由なわけだが、これ以上この話題を続けない方がよさそうだ。
――そんなことを話していると。
テーブル上に置いている俺のスマホが振動した。
「千里さん。電話来てますよ」
「そうだな。出ていいか?」
「どうぞ」
液晶を確認する。表示されている番号は……ん? 意外な相手だな。
通話ボタンを押す。
『――やっほー千里お兄ちゃん! 久しぶりだねーっ、元気してた?』
飴玉を転がすような、舌足らずで甘ったるい少女の声が飛んできた。
「……」
思わず無言でスマホを耳から離す。
「千里さん。どうしてそんな渋い顔をしているんですか」
「……いや、色々と予想外でな」
とりあえずもう一度スマホを耳に当てる。
すると再び特徴的な甘い声。
『最近全然話してなかったから気になってたんだよねー。うちのアレもあんま話してくれないしさあ。そっちも夏休みでしょ? 調子どう?』
「……」
『もしかして補習食らってた? いやーそんなことないよね千里お兄ちゃんめっちゃ成績いいもんね』
「…………」
『そうそうそんで今日電話したのはちょっとお願いしたいことが――』
「……あの、話が頭に入らないので口調を戻してもらえませんか。イヴさん」
俺が名前を呼ぶと、通話相手は「ちっ」と呟き口調をがらっと変えた。
『なんだよ、ノリ悪りいな。もうちょい付き合ってくれてもいいだろーが』
「すみません。どうにも違和感がひどくて」
スマホに表示されている名前は『信濃イヴ』。
つまり、クラスメイトである信濃アルフレッドの実の姉だ。
よって当然ながら年上。そんな相手に『お兄ちゃん』と呼ばれるのは新感覚すぎる。
いや、まあ、イヴさんは声質が幼いので似合ってもいるのだが……やはりこの人の素を知る俺としては違和感が勝ってしまう。
「それでイヴさん、何か用でもあったんですか?」
イヴさんがこの手の悪ふざけをするのはいつものことだ。気にせず本題に入ってしまおう。
『あーそうだった。千里、今日ヒマ?』
「普段の勉強くらいでしょうか」
『つまりヒマと。それなら丁度よかった』
スマホの向こうでにやりと笑うような気配が伝わってくる。何だろうか。
『千里、急で悪いんだけど今日ちょっと手伝いに来てくんね?』
「手伝い、ですか」
『ああ。本当なら他のやつに頼むつもりだったんだけど……なかなか都合つかなくてさ。もうお前さんくらいしか頼める相手が残ってねーんだ。バイト代は出すからさ』
イヴさんには『とある趣味』があり、以前その関係で作業を手伝ったことがある。
その時はそこまで大変ではなかった。
困っているというのなら……まあ、いいか。
「わかりました。昼食を終えたらすぐ向かいます」
『おっ、来てくれんのか! サンキュー!』
「マンションのほうに行けばいいですか?」
『ああ。よろしくー、……』
普段ならここで電話を切るところだが、イヴさんのほうから何か言いたげな気配が伝わってきた。
「どうしました?」
『あー、いや……実は今回マジで時間なくてさ。もう一人くらいヘルプ頼みたいんだけど、千里ヒマそうな知り合いに心当たりねーか?』
ふむ。暇そうな知り合いか。
「一応聞きますが、信濃は」
『アルなら当然すでに連行済みだぜ』
でしょうね。
「そうなると……」
俺はふと視線を前に戻す。
「……? 何ですか」
そこには急に視線を向けられて目を瞬かせる白乃の姿が。
俺はスマホのマイクを手で押さえて白乃に尋ねた。
「白乃。今日時間はあるか?」
「特には。夕飯の支度があるので五時半には家にいたいですね」
「つまりその時間までは空いているということでいいか?」
「そうですけど……何が言いたいんですか?」
俺は言った。
「白乃。漫画のアシスタントに興味はないか?」
「……はい?」
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