7月20日②
放課後、信濃と移動している時の会話。
「ところで行きたい店というのはどんな場所なんだ?」
「ただの喫茶店だよ」
「ふむ」
なるほど。喫茶店というなら昼食にはぴったりだと――
『――お帰りなさいませにゃんっ、ご主人様~~~~~~!』
……普通?
「信濃。行き先は喫茶店だと言っていなかったか?」
「ただの猫耳メイド喫茶だよ」
真顔で言われた。
何だ? 俺がおかしいのか?
「ご主人様二名、ご入国でーす!」
メイド服に猫耳カチューシャをつけた女性店員が席に案内してくれる。
「ご注文が決まったら、その呼び鈴鳴らしてくださいにゃー」
「はーい」
何でもないことのように信濃が返事をすると、猫耳メイド女性店員は去っていった。
メニューを見てみると『猫娘風カレー』や、『にゃんにゃんオムライス』など、独特な商品名が並んでいる。
「さあ千里、どれにする?」
「いや、待ってくれ信濃。それよりどういう趣旨なんだこの店は」
信濃は肩をすくめて言った。
「だからメイド喫茶だってば。いいかい千里、ここは猫耳王国にあるカフェなんだ。僕たちは店の扉をくぐった瞬間から猫耳王国へと足を踏み入れているんだよ。
だから店員さんたち全員に猫耳が生えてるんだ」
「なん、だと……?」
「――っていう設定のお店。ファンタジーっぽさや、メイドさんにちやほやしてもらえる体験ができるのが魅力」
な、なるほど。
世の中にはそんな喫茶店が存在したのか。
「最近の若者文化は独特なんだな」
「今どきメイド喫茶でこの反応ができる人間って貴重だよね……」
信濃が呆れたように言っている。
俺は改めて店内を見回しながら、
「しかしなぜこの店に? 信濃は猫耳メイドが好きなのか?」
「可愛い女の子なら何着てても好きだけど、まあ単純に行ったことなかったからね。学校近くの店はもう行き尽くしちゃったし」
「まあ、確かに新鮮ではあるな」
「あとは……姉さんが行ってこいって……」
「ああ……」
またイヴさんの資料集めか。今度はメイド喫茶を登場させる予定らしい。
そんなわけで注文を済ませたのち、猫耳の店員に交渉して店内を写真に撮らせてもらったり、メニューを書き写したりしていく。
しばらくそうしていると、店員が俺の注文したものを運んできた。
「お待ちどうさまですにゃ~。こちら『にゃんにゃんオムライス』になりますにゃ」
「ありがとうございます」
「せっかくだから、美味しくなるおまじないしてもいいにゃ?」
おまじない……?
「千里。メイド喫茶にはそういう文化があるんだよ」
「なるほど。よくわかりませんが、お願いできますか」
「よーし、それじゃあご主人様もご一緒ににゃ!」
女性店員がメニューのある箇所を指さして言う。
ああ、なるほど。これを読めばいいのか。
「準備はいいかにゃご主人様? せえのっ」
「「――美味しくな~れ、萌え☆萌え☆にゃんっ」」
カシャッ
「信濃。なぜ写真を撮っているんだ」
「いや、だから資料……くくっ……だ、大丈夫、メイドさんは映ってないから……」
俺が気にしているのはそこではないんだが。
そんなやり取りのすぐあと、信濃のぶんも注文が届く。
ケチャップで猫が描かれたオムライスを食べていると、信濃がこんなことを言い出した。
「そういえば千里、今日のお祭りには行くの?」
「学校近くの夏祭りか?」
「他に何があるのさ」
それもそうだ。
我が学校のそば(=俺の家の近くでもあるが)には、かなり大きな神社がある。
三鷹神社といえば日本有数の歴史と規模を誇る観光名所だが、ここで開催される夏祭りの日程が毎年うちの高校の終業式と被るのだ。
そんなわけで、うちの高校の生徒たちは終業式の日に昼からコンパを行い、夜はそのまま夏祭りに移行するのがお決まりとなっている。
白乃が参加すると言っていた打ち上げも、おそらくその流れになるだろう。
「うちのクラスは部活で集まるやつが多いから打ち上げはなし、という話じゃなかったか?」
「別にクラス単位じゃなくてもいいでしょ」
「ふむ。それもそうだな」
「ナンパは少人数のほうがやりやすいし」
「一人で行け」
「冗談だって。クラスで何人か行くやついるらしくて、そこに誘われたんだ。千里も一緒に行こうよ」
そういうことなら、と承諾する。
そんな感じで適当に談笑し、昼食を終えた俺たちは店の外に出た。
▽
しばらく街をぶらついたあといったん家に戻る。
特にすることもなかったし、制服のままというのも何だしな。
家で時間を潰してから祭りの行われる三鷹神社で集合ということになっている。
というわけで俺が帰宅すると――
「おかえりなさい、千里さん」
「……白乃?」
意外なことに白乃がすでに家に戻ってきていた。
俺は目を瞬かせ白乃に尋ねる。
「打ち上げはどうしたんだ?」
「行ってきましたよ。……色々ありましたが、凛さんとみくりさんが助けてくれたので何とかなりました」
げんなりしたような白乃の表情。
どうやら俺が危惧していた通りの事態になったらしい。
隠岐島にフォローを頼んでおいてよかった。
「白乃も祭りの前に帰ってきていたのか」
てっきり打ち上げの流れでそのまま夏祭りに行くのかと思っていたんだが。
「……」
「……白乃?」
白乃は首を横に振った。
「いえ、私はお祭りには行きません。……とても行けませんよ。打ち上げだけでもかなり無理をしたのに、人手の多いお祭りなんて考えただけで……」
そう言い、白乃は寒気でも感じたように身を震わせた。
表情はこわばっており、動悸を押さえるように手を胸に当てている。
深呼吸してから、白乃は言った。
「……千里さんはお祭りに?」
「あ、ああ……」
「では、今日の夕飯は三人ぶんですね。気をつけて行ってきてください」
白乃はそう言ってくれるが、俺はとても祭りを楽しむような気分ではなくなっていた。
夏祭りには白乃だって行きたいはずだ。
うちの高校の生徒にとって三鷹神社の夏祭りは年間行事の一つのようなものだ。
クラスメイトたちはそれを満喫しているのに、自分はそこに加わることができない。
ましてやさっきまで一緒に遊んでいたとなればなおさらだ。
寂しいし、羨ましいと思うだろう。
白乃は苦笑した。
「何で千里さんが暗い顔をするんですか。大丈夫です、花火だけならうちのベランダからでも見えますし。私はそれで十分です」
三鷹神社の夏祭りは毎年盛大な花火が上がる。
その迫力たるや遠方からも観光客が押し寄せるほどだ。
「……」
少し考えてから、俺は言った。
「……花火か。確かにうちからでも見えるが、どうせならよく見えるほうがいいだろう」
「え?」
きょとんとする白乃に対して俺はこう続けた。
「白乃、少し時間をもらっていいか。連れて行きたい場所があるんだ」
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