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7月11日④

お読みいただきありがとうございます!


 駅からしばらく歩くと目的地が見えてきた。


「『森のケーキ屋さん』……今更ですけどえらくファンシーな店名ですね」

「何でも果物を使った商品が人気らしい。果樹園をモチーフにしているらしく、中でもフルーツケーキやイチジクのタルトが評判という話だ」

「詳しすぎでしょ先輩……」


 隠岐島とそんな会話を交わしながら木製の扉をくぐる。


 目的地である『森のケーキ屋さん』の中はそこまで広くはないが、テーブルごとの仕切りに小さな花壇が用いられていたり、天井から花籠が下がっていたりと洋風庭園さながらの内装だった。


 かすかにベリー系の甘い香りが漂ってきて、まるで本当に異国の果樹園を訪れたような気分にさせられる。


「いらっしゃいませー」


 カフェエプロンをつけた小柄な女性店員がやってきて接客してくれる。


 女性店員は俺と隠岐島を見てにこりと微笑み、


恋人(・・)二名さまでよろしかったでしょうか?」


 そこは普通『お客様は二名でよろしいですか?』とかではないのだろうか。


 俺は反射的に首を横に振った。


「いえ、店員さん。俺たちはそういう関係ではなくただの――」

「もしかして違うんですか? 困りましたね。恋人同士のお客様でないとただいま販売中の限定新作ケーキはご注文いただけないんですが」

「ただの仲睦まじい恋人同士なんです」

「先輩……」


 忘れていた。俺たちは恋人のフリをしているんだった。


 後ろから隠岐島が呆れたような視線を向けてきている気がするが、今だけは見逃してもらいたいところだ。


「なーんだ、やっぱり恋人同士じゃないですか。いいですねぇ、その触れ合いたい、けどまだ照れ臭いみたいな絶妙な距離感が初々しくてグッドですよー」

「ははは」


 頬に手を当ててうっとりしている女性店員に乾いた笑いを返しておく。


 この距離感は単に友人として適切な間合いを取っているだけなんだが、おそらくそれは言わないほうがいいだろう。


「……先輩。この店員さん変わってますね」

「……ああ。ボロが出ないうちに席に案内してもらったほうがよさそうだ」

「……賛成です」

「何ですか何ですか、二人で内緒話なんて見せつけてくれるじゃないですか! いやあ素敵なカップルですねえ!」


 小声でやり取りをする俺と隠岐島になぜか興奮度合いを高める女性店員。


 本当にこれ以上ややこしいことになる前にさっさと切り上げよう。


「すみません。そろそろ席に案内してほしいんですが」

「もちろんです。が、その前に一つやっていただかなくてはならないことがあるんです」

「? どういうことですか?」


 俺が聞くと、女性店員はにっこり笑って言ってきた。


「恋人限定メニューをご注文いただくには、その前にきっちり恋人っぽいことをしてもらわねばなりません。恋人限定、と銘打っているからには単なる偽造男女ペアを認めるわけにはいきませんからね!」


「………………、恋人っぽいこと?」

「はい。それを見せていただくまで恋人様限定のメニューは注文していただけません」


 きっぱり言い切る女性店員。


 何だろうか。心なしか嫌な流れになってきた気がする。


「あの、そこまで厳密に恋人同士かを調べる必要があるんですか?」


 隠岐島が素朴な疑問を投げると、女性店員はまくし立てるように言う。


「何を仰いますか彼女さん! こちとらカプ厨の魂を満足させるためにわざわざ新メニューを開発してるんですよ!?

 私がこの店を開いたのだって、もとはと言えば甘酸っぱいカップルを見てニヤニヤしたいがためなんです! そこは譲れないんです!」


 カプ厨?

 デートでいちゃいちゃするカップルを見てニヤニヤ?


 何だかよくわからないが、一つだけ理解できたのは、このハイテンションな女性店員がこの店の店長だったということである。


 見た目が若いからてっきりアルバイトか何かかと思った。


 その後も「まあ厳密にはカップルじゃなくて両片思いが一番おいしいんですけど」とか、「普段は内気な子が勇気を出して誘うのがよくて」などと言っている女性店員改め店長に俺は尋ねた。


「……それで、具体的には何をすれば?」


 恋人っぽいこと、というのが何かは不明だがまずは内容を聞かねば話にならない。


 これが仮に『手をつなぐ』、『ツーショットの撮影』くらいであれば隠岐島に拝み倒して協力してもらうことも可能だろう。


 まあ、さすがに他の客もいる店内でそこまで酷い指示が出るはずは――


「『十秒間抱きあっていちゃいちゃ』、『お姫様抱っこ』、『ほっぺにキス』のどれか一つでOKです!」

「すみません。どうやら自分たちはこの店に縁がなかったようです」


 課された条件は俺たちにはあまりにハードルが高いものだった。


「えっ、何でですか? 仲良しカップルならこのくらい普通でしょう!?」

「たとえそうでも衆目の前でやるのは嫌がる人はいそうですが……」


 というか店内で限定メニューを頼んでいる客は全員これを潜り抜けたのか? 尊敬せざるを得ない。


 いずれにせよ、恋人のフリをしているだけの俺たちではこの関門は突破不可能だ。

 さすがにこんなことまで頼んでは隠岐島に申し訳なさすぎる。


「……」


 隠岐島は何か考え込むように顎に手を当てている。何を考えているんだ?


 まあ、わざわざ相談するまでもないだろう。俺は店長に辞退を申し出ることにした。


「店長さん。申し訳ありませんが、俺たちには実行できなさそうです。なので限定メニューは諦めて――」


 と、俺が言いかけたところで。


「うりゃ」


 俺の隣にいた隠岐島が忍び寄ってきて、いきなり俺の右腕にぎゅっと抱き着いた。


「……お、隠岐島?」

「どうかしましたか先輩? 何か変ですか?」

「どうかしましたかも何も……」


 唐突な隠岐島の行動に動揺してしまう。


 隠岐島は俺の腕に自らの腕を絡めて身を寄せている。体温の温かさや、女子特有の柔らかさが直に感じ取れて俺は動くことができなかった。


 さらに強く俺の腕を抱き寄せながら、隠岐島が悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「そんなに照れないでくださいよー。これくらい普通じゃないですか? ほら、アタシたち恋人同士なわけですし」

「いや、それは」

「それとも先輩はアタシに抱き着かれるのが嫌でした……?」


 わざとらしく傷ついたような顔を作る隠岐島。


 普段は気の強そうな隠岐島だけに、その落差が庇護欲と罪悪感を掻き立ててくる。


 ただでさえ隠岐島は相当な美人なのだ。表情まで完璧に作られたらどうしようもない。


「……そんなわけないだろう」


 俺が思わず本音で答えると、なぜか傍で訊いていた店長が「きゃーっ、きゃーっ」と頬に手を当てて嬉しそうにしていた。

 楽しそうだなこの人……。


「いやー、ご馳走様です。それじゃあ証拠も見せてもらったことですし、お席にご案内いたしますね!」


 店長が満足げにようやく接客を再開してくれる。


 先行していく店長の背中を見ながら隠岐島は俺の腕を離し、


「やりましたね先輩。アタシたちの愛が困難を打ち破りましたよ」

「……隠岐島。助かったのは事実だが、もしかしてテストの点数で負けたのを根に持っているのか?」


 さっき見せた悪戯っぽい表情が引っかかってならない。


「やだなーそんなことないっすよ。別に勝負に負けた腹いせに先輩を困らせてやろうなんてこれっぽっちも思ってませんって」

「ほとんど自白みたいなものだぞ、それは」


 限定メニューを注文する権利を勝ち取れたのはありがたいことではあるんだが。


 そんなことを話しながら、俺たちは案内された席に向かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ヒロインにエントリーしちゃいそうだな(笑)
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