7月11日③
放課後、待ち合わせ場所に向かうと隠岐島は先に来ていた。
「すまん、待たせたか」
「いや全然。アタシも今着いたとこですし」
「そうか。それならいいんだが」
俺はそこで言葉を区切り、ちらりと周囲に視線をめぐらせた。
「……それで、何でわざわざ駅で待ち合わせなんだ?」
現在地は学校最寄りの地下鉄の駅である。
確かに目的地に行くにはここは利用することになるが、同じ場所から同じ場所に向かうわけだし、校門あたりで待ち合わせてもよかった気がする。
「……色々あるんですよ、こっちにも。まあ先輩は気にしなくていいんで」
「そうか」
どうも隠岐島は昼から何かを気にしているようだが、俺にはよくわからない。
まあ、気にするなと言うなら気にしないでおこう。
「とりあえず電車に乗ろう」
「はーい」
そんなやり取りをしてから改札のほうに向かう。改札を抜けてホームで待ち、数分後に来た電車に乗り込む。
時間帯もあって車内には学生が多い。座席が空いていなかったので、俺と隠岐島は適当なつり革を掴んで目的地に着くのを待つことにした。
たかだか三駅だし、立っていても問題ないだろう。
「電車に乗るのも久しぶりだな」
俺が言うと、隠岐島が視線を向けてきた。
「先輩って学校から家近いんでしたっけ?」
「徒歩十五分くらいだ」
「うわ、めっちゃ羨ましいっすよそれ。アタシ四十分かかります」
十五分で着くなら起きるのチャイムの三十分前でいいじゃないっすかー、と本気で羨ましそうにしている隠岐島。
そんなことを話していると駅の一区間が過ぎ、再びドアが開いて人が乗り込んでくる。
俺たちが乗ったときより大人数だ。
急に車内が混雑し始める。
『――それで中野さんの旦那さん、やたら帰りが遅いと思ってたらそういうお店に通い詰めてて……』
『え、それで中野さんどうしたって?』
『許すかわりに、二十万のブランド物のバッグ旦那さんに買わせたって』
『あっはははは! 中野さん、たくましいっていうかちゃっかりしてるっていうか――』
電車のドアが閉まる寸前、四、五人くらいの女性客が大声で話しながら駆け込んできた。
それはいいんだが、彼女たちの話し声が大きいせいで他の乗客が距離を取りたがり、俺たちのいる座席前のつり革のあたりに詰めてくる。
もともとつり革に捕まっていた俺たちは――というか隠岐島が、詰めてきた客に押されて俺のほうに寄ってくる。
「先輩、詰めてもらっていいですか」
「……これ以上は無理だ」
「そこを何とか気合いで。……わぷっ」
いきなり電車が進み出し、隠岐島がバランスを崩して顔から俺にぶつかってきた。
丁度俺の右腕に隠岐島の額が当たる感じで。
とりあえず隠岐島が転ばないように支えておく。
「大丈夫か?」
「……先輩、体幹やばいっすね。アタシがぶつかっても微動だにしないとか、壁かなんかかと思いましたよ」
鼻を押さえながらそんなことを言ってくる。隠岐島が軽いだけだと思うが。
しかしどうしたものか。他の乗客が詰めてきたせいで、さっきまで隠岐島が捕まっていたつり革が取られてしまった。
今は隠岐島はどこにも捕まらず足だけで体を支えている。
ふむ。
「隠岐島、よかったら――」
「『転ぶと危ないから腕でも掴んでろ』、ですか?」
「よくわかるな」
「よくある展開ですし。白乃やみくりはともかく、アタシにその手のラブコメムーブは通用しませんよ」
「?」
隠岐島が何の話をしているのかわからない。
何となくだが、理解しないほうがいいような気もする。
隠岐島は俺の手の先に視線を向けて、
「先輩、とりあえずつり革半分ください」
「ああ、そうするか」
俺が少し左にずれてつり革の右半分を空け、隠岐島が空いたスペースに指を引っかける。俺が掴んでいたつり革の輪を二人で共有する形だ。
これなら隠岐島が転んだりすることもないだろう。
……ないだろうが、
「隠岐島はこれでいいのか?」
「何がですか?」
「いや……」
この態勢だと密着度がかなり高い。俺の右腕と隠岐島の左腕はぴったりくっついていて、隠岐島の体温や二の腕の質感が明確に伝わってくるほどだ。
ほとんど腕を組んでいるような態勢だが、隠岐島は特に気にしていないようだった。
「……何でもない」
「? そうですか」
煮え切らない俺の言葉に怪訝そうな顔をする隠岐島。
まあ、隠岐島が気にしていないなら俺から何か言う必要もないか。
この距離感は俺を信頼しているから――というわけではないだろう。
単純に隠岐島にとって俺は『友人の兄』に過ぎず、つまり男として認識されていないのだ。
年上の友人扱いと言えばいいのか。気楽でありがたいことだ。
そうこうしているうちに目的の駅が近づいてくる。
「次で降りるんでしたっけ?」
「ああ」
やがて電車が止まり、ドアが開く。基本的に電車は降車する人間が先に動くものなので、それに則り俺と隠岐島は混雑する車両の中を移動していく。
しかし、途中で止まらざるを得なかった。
『……それで西島さんがその時何て言ったと思う? もうほんと信じられなくて』
『……アハハ、あの人ほんとそういうところが――』
さっき駆け込み乗車してきた女性客グループが、ドアの前に陣取って大声で談笑している。
周囲の客からはやや迷惑そうな目を向けられているが、それにも気付いていないらしい。
彼女たちがドアの前に固まっているせいで、このままだと電車を降りられない。
普通は電車が止まったら降りる人の邪魔にならないよう気を遣うものだと思うが……まあ、中にはこんな客もいるということだろう。
とりあえず当たり障りない言い方で場所を空けてもらおうとしたところで、
「――そこ邪魔なんで、退いてもらっていいですか?」
やや苛立ったような口調で隠岐島がそう言い放った。
車内の空気が凍りつく。
女性客グループの面々はぎょっとしたように振り向き、そこでようやく俺たちの存在に気付いたようだった。
慌てて左右に広がり道を空ける。
隠岐島はもう用は済んだとばかりにさっさと出口に向かい、俺もその後に続く。
……ううむ、他の客の視線が痛い。
電車を降り、入れ替わりに他の客が乗り込んでいくのを見ながら俺は言った。
「隠岐島。もう少し言い方というものがだな」
「言い方って……あんな人たちに気を遣う必要なんてあるんですか? ドアの前で固まってたら他の客の邪魔になることくらい、子供でもわかるでしょ」
ばっさり切り捨てられた。まあ、それはそうなんだが。
隠岐島が不満そうに見上げてくる。
「アタシ何か間違ったこと言ってます?」
「……いや、正論だ」
「ならいいじゃないですか。ほら、とっとと行きましょう」
隠岐島はこの話は打ち切りとばかりに改札に向かっていく。
後ろでは、乗ってきた電車のドアが閉まるところだった。
ドアの向こうから、さっき隠岐島が退けた女性客グループの人たちが俺と隠岐島のことを不機嫌そうに睨んでいる。
しかし隠岐島は最後までそれに気付くことはなかった。
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