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7月9日③

 こね終えたピザ生地を十五分ほど寝かせ、ふちを厚めに残して平たい丸型に伸ばしていく。

 さらに白乃が作ってくれたトマトソースなどの具材を乗せて余熱したオーブンに入れる。


 あとは焼き上がるのを待つだけだ。


「これ、充さんたちのぶんも今焼いてしまっていいんでしょうか」

「そのほうがいいだろうな。生地のまま放っておくと延々と膨らんでしまう」

「わかりました」


 そんなことを話しながらオーブンレンジの中を覗き込む俺と白乃。


 ピザ一枚あたりの焼き時間は十分ほどだが、同時に何枚も焼けないので結局時間がかかってしまう。


 その暇な待ち時間、白乃がふとこんなことを言った。


「千里さん、やっぱりこういうの上手ですよね」

「ピザ作りがか?」

「ピザもですし、お菓子作りもです。自分で調べて勉強したんですか?」

「まあ、それもあるが……」

「?」


 俺は少し考え、まあいいかと思って言葉を続けた。


「パンだのお菓子だのの作りかたは、母さんから教わった。そういうのが得意な人だったからな」


 俺が言うと、白乃がはっとした顔になる。

 まるで聞いてはいけないことを聞いてしまったように。


「す、すみません」

「いや、別に気を遣わなくていい。俺ももう区切りはつけてる」


 申し訳なさそうにする白乃に俺は苦笑を浮かべる。


 俺の母親はすでに亡くなっている。

 そのこと自体は白乃も当然知っているが、俺と父さんの気持ちを慮ってか再婚以来我が家で母さんの話題は出なかった。


 俺と父さんからすればそこまで引きずってはいないのだが……まあ、白乃や香澄さんからすれば扱いに困る内容なんだろう。


「あの」

「?」


 白乃は窺うように俺を見て、こう尋ねてきた。


「……どんな人だったんですか? 千里さんのお母さんって」

「そうだな……」


 記憶の中の母さんを探る。


 どんな人だったかと言われれば、あの人は――


「まあ、多趣味な人だったな。登山だのサイクリングだの釣りだのマラソンだのスキーだの、暇さえあれば俺や父さんをあちこちに引きずり回していた」

「ひ、引きずり回していたんですか?」

「……ある日学校から帰ったら、いきなり飛行機のチケットを渡されて九州の温泉巡りに付き合わされたことがある。次の日が平日だったにも関わらずだ」

「凄い人ですね……」


 白乃が戦慄したように呟く。まったくその通りだ。


 俺が教わったパン作りだのお菓子作りだのも、母さんの趣味の一つである。

 やたら洋食を作るのが上手いので理由を聞いたら、「だって格好いいじゃない」と返された。


 つまりそういう人なのである。


「あとはやたらと運動神経がよかったな」

「ああ、それは何となく想像がつきます。千里さんも運動得意ですもんね」

「言っておくが、母さんは俺なんて比べ物にならないぞ。小学校ではソフトボール、中学ではバスケ、高校ではバレーでそれぞれ弱小チームをインターハイ優勝まで導いたらしい」

「そんなレベルなんですか!?」


 運動神経に限れば神谷家最強はぶっちぎりで母さんだったのだ。

 俺も父さんも、体力勝負では一度も母さんに勝てたことがない。


 俺が多少なりとも運動ができるのは間違いなく母さんの遺伝子のお陰だろう。


「まあ、そういう感じの人だな」

「予想以上に強烈な方ですね……」

「そうだな」


 苦笑してしまう。確かに、母さんは強烈なまでに活動的な人物だった。


「……そういう人だったから、病気で亡くなるなんて思いもしなかった」


 ぽつりと。

 俺はごく自然にそう呟いていた。


「……」

「――、あ」


 慌てて口を閉じるが、もう遅い。間違いなく白乃に聞かれてしまった。


 ああ、こんなことを言うつもりはなかったのに。まるで俺が母さんの死をまだ呑み込めていないような言葉だ。

 これでは白乃に気を遣わせてしまう。


「ち、違うんだ、白乃。今のは……」


 みっともなく言いつくろおうとする俺に、白乃はかすかな笑みを浮かべた。


「千里さんのお母さんは、素敵な方だったんですね」

「……それは、そうだが」

「千里さんの顔を見ていればわかります。お母さんの話をするとき、千里さんは嬉しそうにしてましたから」


 囁くような優しい声色だった。

 見えない場所にある俺の心の傷を慮るような。


 普段の落ち着いた声音とも、最近見せてくれるようになった年相応の物言いとも違う、温かい口調に俺は息を詰めた。


「そうなると、ピザが焼き上がるのが楽しみですね。そんなに素敵なお母さんに教わったならきっと美味しくできるでしょうし」


 わくわくしたようにオーブンの中を覗き込む白乃。


 さすがにそれを見て白乃の意思を汲み取れないほど鈍くはない。


 俺は白乃の隣に並び、生地の焼け具合を確認しながら呟くように言った。


「……ありがとう。白乃は優しいな」

「さて何のことでしょうか」


 そう言っていたずらっぽく俺を見上げる白乃に、俺は肩をすくめるしかなかった。

お読みいただきありがとうございます!


母には勝てない(物理)。

千里のお母さんがチートすぎたので、千里は自分の運動神経について褒められるたびに「いやでも母さんと比べたらなあ」とピンとこない気持ちになっていたようです。


7月9日は次話でラストです。

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