7月9日(ふたりで料理)
「千里。たった三年間しかない高校生活というのは一体何のためにあると思う?」
とある休み時間、信濃が急に何か言い出した。
「人によると思うが……」
「甘い。甘すぎるよ千里。高校生活が何のためにあるかなんて決まってるじゃないか――遊び倒したり彼女を作ったりして青春を満喫するためにあるんだよ!」
ふむ。
まあ、そういう考え方もありだろう。
大人になれば今のように自由に時間を使うのも難しくなるはずだ。子供は遊ぶのが仕事だと言うが、高校生はぎりぎり遊んでいても許される年齢だと思う。
だが――
「いくら駄々をこねても補習はなくならないぞ、信濃」
「嫌だ……勉強したくない……遊ばせてよ……」
「だったら赤点を取るな……」
ついさっき古文の期末テストが返ってきたのだが、文系科目が苦手な信濃は見事に赤点を食らっていた。せっかくテスト勉強にも付き合ったというのに。
まあ、すでに返ってきている現国や日本史はいつもより点数が高かったようなのでまったくの無駄ではなかったんだろうが。
「何を騒いでいるのよ、あなたたち……」
「あ、委員長」
「委員長じゃないか。話しかけてくるのは珍しいな」
「だから何であなたたちは私のことを委員長って呼ぶのよ」
たまたま近くを通りかかったのは我がクラスの委員長、日野遥である。返却された試験の質問でもしていたのか手には答案用紙がある。
「聞いてよ委員長。千里が酷いんだ」
「酷いのはあなたの点数でしょう。赤点取ったって聞こえてたわよ」
「……ちなみに委員長の点数は?」
「信濃君の点数を教えてくれたらヒントくらいは出すわよ」
「ボクは24点だったよ」
何度聞いても酷い点数だな……。
委員長はふむと顎に手を当てて、
「私はだいたい信濃君の残念な点数の3倍プラス10点くらいね」
「ねえ委員長。そういう表現は人を傷つけると思わない?」
「ちなみに神谷君は何点だったの?」
「信濃の気の毒な点数の4倍と少しだ」
「さすが不動の学年一位ね。信濃君が四人がかりでも届かないなんて」
「人の点数を単位代わりにするのはどうかと思うよ二人とも」
そんな感じで委員長を交えて三人で談笑していると、俺のスマホが振動して着信を知らせてきた。
差出人は……白乃か。何かあったのだろうか。
LINEのトーク画面を開くと、こんな内容が映し出された。
神谷 白乃『千里さん』
神谷 白乃『今日の夕飯、作るのを手伝ってもらってもいいですか』
「……?」
珍しいな。白乃が俺に料理の手伝いを頼んでくるなんて。
神谷千里『構わないが、急にどうしたんだ?』
尋ねると、すぐに既読がついて返事がくる。
神谷 白乃『ピザを手作りしてみたいんですが』
神谷 白乃『作ったことありませんし、千里さんはそういうの得意そうだなと思って』
神谷 白乃『忙しかったらいいんですけど……』
若干申し訳なさそうな文面だった。控えめな言い方が白乃らしい。
とはいえ理由については納得だ。
確かにその方面であれば俺でも役に立てるだろう。
「なに千里、どうしたの?」
「白乃から連絡があった。今日はピザを作りたいらしいから手伝ってくれと」
「仲がいいねえ。白乃ちゃんが来た当初とは大違いじゃないか」
「……まったくだ」
白乃がうちに来たばかりの頃のことを思い出してしみじみ頷くと、委員長がこんなことを言った。
「『白乃』って……ああ、一年にいる神谷君の義妹さん?」
「なんだ、委員長も知っているのか」
「球技大会の一件でね」
どうやら委員長も白乃のことを知っているようだ。まあ、白乃は目立つ美人だし、球技大会では色々あったので同じクラスの委員長が知っているのは当然かもしれない。
委員長は何かを思い出したような表情を浮かべた。
「妹さんといえば、部活の後輩から神谷君が重度のシスコンという噂を聞いたんだけど……」
「? それがどうかしたか?」
「ああ、もう普通に認めてるのね」
「千里にとっては誉め言葉の一種みたいなものだからね」
家族を大切にすることがシスターコンプレックスに該当するというなら、そのあだ名は甘んじて受け入れるべきだろう。
とりあえずLINEで白乃に『了解』と伝えておく。
丁度そこでチャイムが鳴り、次の授業の先生が入ってきたので、俺たちは会話を打ち切ってそれぞれの席に戻った。
……しかしピザか。長らく作っていないな。
あの遠慮深い白乃がせっかく頼ってくれたことだし、昼休みにでも作り方の復習をしておくとするか。
▽
「今日はよろしくお願いします」
場所は我が家のキッチン。
いつものエプロン姿で深々と頭を下げてくる白乃に、俺は苦笑を返した。
「気にしないでくれ。いつも夕飯は白乃に任せてしまっているからな」
俺が言うと、「ありがとうございます」と白乃は小さく笑みを浮かべた。
時間はすでに放課後となり、特に買い出しも必要ないということで、俺と白乃は学校が終わって家に戻るなり早速夕飯作りに取り掛かっていた。
「それにしても、……」
「何ですか?」
「……いや、何でもない。準備を始めるか」
俺は口にしかけた言葉を中断して小麦粉やらドライイーストやらを戸棚から取り出していく。しかしその様子を不審に思ったようで、白乃がじとっとした目を向けてきた。
「千里さん。さっき何か言いかけましたよね」
「いや、まあ、気にしないでくれ」
「……言葉を濁されると逆に気になるんですが」
ううむ。
別に悪いことではないので言ってもいいんだが……。
まあ、気まずい空気のままなのも何だし白状したほうがいいか。
「あー……その」
「はい」
「……毎度思うんだが、白乃にはそのエプロンがよく似合っているなと」
白乃は部屋着にお気に入りらしい水色のエプロンを重ねて着ている。
色も似合うが、何より儚げな印象のある白乃がそういう服装をすることでぐっと親しみやすく見えるのだ。
白乃のこの格好を見るのは初めてでもない俺が、いつも目を引かれてしまうほどに。
白乃は拍子抜けしたように目を瞬かせた。
「はあ、どうも。前にもそんなこと言ってましたね」
「……怒らないのか?」
「何でそれで私が怒るんですか」
「前にそう言ったら嫌そうな顔をしただろう。だから最近はその手のことは言わないように気をつけていたんだ」
確か家族で買い物に出かけるときや衣替えの時なんかも、服装を褒めたら白乃に嫌がられたような記憶がある。
……のだが、白乃のこの反応からすると特に問題なかったのだろうか。
「別に嫌じゃないですよ。千里さんに褒めてもらうのは……その、嬉しいですし」
「……そうなのか?」
「だって千里さん、お世辞言わないじゃないですか」
「まあ、それはそうだな」
事実なので頷いておく。似合っていないと思っていたらわざわざ褒めたりはしない。
「……、今のなしで」
俺の言葉になぜか白乃は押し黙り、視線を逸らしてしまう。その反応の意味がわからず、俺は内心で首を傾げるしかない。
白乃は視線を下に落とし、ぽつりぽつりと話し出した。
「前は……その、千里さんというよりは男性と距離を置きたかったので、わざときつく当たっていただけです。だから別に、褒められて嫌だとかでは、ないです」
「……そうなのか?」
「そうですよ」
白乃の表情は前髪に隠れて表情は見えない。だが、少なくともかつてのように嫌がっているような様子はなさそうだ。
「それならよかった」
「はい。だから、その。……ありがとうございます」
ちらりと俺を見上げてそう言ってくる白乃。別に礼を言われるようなことじゃないと思うが。
しかし、そうか。
白乃が嫌がるかと思って自重していたが、普通に褒めていいのか。
「白乃は可愛いな。もとが美人だから何を着ても似合うが、今日のように家庭的な恰好も」
「――、」
そこまで言ったところで、がすっ、と白乃が俺の足を踏んで中断させてきた。
視線を向けると顔を真っ赤にして白乃が俺を睨んでいる。
「……もういいですから。料理、始めましょう」
「あ、ああ」
褒めていいと言うから褒めたのにこの反応はあんまりじゃないだろうか。
俺は釈然としない思いで夕飯作りの準備を始めた。
……オヒサシブリデス
お読みいただきありがとうございます! 前回更新からかなり間が空いてしまって申し訳ない限り……! またちょこちょこ始めていこうと思います。