7月1日(期末テスト)
「千里さん。前から思っていたんですが――」
「どうかしたか、白乃」
「私のことを避けていませんか?」
「……何の話だ?」
「千里さんがいまだに食器を渡すときに端を掴んだり、廊下ですれ違う時に私と距離を取ったりする話です」
「……」
「まあ千里さんのことですから、大方男性恐怖症の私を気遣っての行動なんでしょうが」
「……バレてしまっては仕方ない。白乃は鋭いな」
「あれで隠してるつもりだったんですか……? 前にも言いましたが、気を遣っていただく必要はありません。千里さんだけは触れても平気なので」
「……………………善処する」
「何ですか今の間は」
「いや、頭ではわかっているんだが……さすがに白乃の症状を知っている身としては自分から触れるのには抵抗があってな」
「出ましたね過保護。私がいいと言っているからいいんです。というか、毎回気を遣われるほうの立場にもなってください」
「……………………前向きに検討するよう努力する」
「何で頑なにイエスって言わないんですか」
× × ×
深夜一時になってふとスマホが振動した。
ロック画面にはLINEのメッセージが表示されている。差出人は……信濃か。こんな時間に何の用だろう。
トーク画面を開いてみる。
信濃Alfred『千里様』
信濃Alfred『助けてください』
信濃Alfred『明日の試験で出そうなところ教えて』
信濃Alfred『ほんとにお願い』
何やら必死に嘆願されている。
どうやら信濃は俺に期末試験でヤマを張る手伝いをしてほしいらしい。
……今から?
確かに今は一学期の期末試験期間だ。全五日のうち、すでに二日は終わっており、土日を挟んで残り三日という分け方になっている。
今日は日曜で、明日が試験の三日目。
かくいう俺もこの時間まで復習していた。
しかし確認作業程度だった俺と違って、信濃はもっと切羽詰まっていそうだ。
とりあえず返信しておく。
神谷千里『俺はもう寝るところだったんだが』
信濃Alfred『そう言わずに! 今度ご飯奢るから!』
信濃Alfred『このままじゃ追試食らいそうなんだよ~!』
食い下がってくる信濃に俺は溜め息を吐く。まったく、追試が嫌なら普段から勉強を頑張っておけと言いたい。
今回だけだぞ、と前置きしてから俺は明日の科目で出題されそうな箇所をLINEに打ち込んでいく。
神谷『こんなところか。俺はもう寝る』
信濃Alfred『ありがとうございます千里様! おやすみ!』
信濃とのやり取りを終え俺はスマホを机の上に置いた。
そのまま寝る前に、と用足しに向かう。
廊下に出ると俺の隣――つまり白乃の部屋の扉から明かりが漏れていることに気付いた。
ついでに扉の向こうからはかりかりとシャーペンを走らせるような音もする。
(……白乃はまだ勉強しているのか)
どうやら白乃は明日のテストに向けて頑張っているようだ。
早めに寝ろよ、と俺は心の中だけで言って白乃の部屋を通り過ぎ、用足しを済ませてそのまま眠った。
× × ×
「……ふぁ」
「眠そうだな、白乃」
翌朝、白乃が珍しく何度もあくびをしていた。
何度も目をこすったり、朝食中にも頭をふらふらさせていたりといかにも眠そうだ。
今日は期末試験の三日目だというのに、朝からこんな調子で大丈夫だろうか。
「そうですね。ちょっと寝足りないです……」
「昨日遅くまで勉強していたようだしな」
少なくとも昨日の夜一時では白乃はまだ起きていた。
あれからさらに勉強していたなら、睡眠不足にもなるだろう。
「気付いてたんですか」
「部屋の明かりがついていたからな。随分頑張っているなと思った」
昨日だけではない。
思い返せば先週の試験初日・二日目の朝も今日のように白乃は眠そうにしていた。
理由はおそらく夜遅くまで勉強していたからなんだろうが、かなり気合が入っているな。
「……まあ、そうですね」
白乃は目を伏せて呟くように言った。
「今回の期末試験は、頑張らないといけないので」
「? 誰かと点数勝負でもしているのか?」
「それは千里さんと凛さんでしょう。私はそこまで自分の点数に自信ないですよ」
呆れたように言われてしまった。隠岐島から聞いたようで、白乃は点数勝負の件を知っている。
別に俺は自信があるから勝負を受けたわけじゃないんだが。
「じゃあ、何か他の理由でもあるのか?」
「……千里さんは気にしないでください。私個人の問題ですから」
「む」
干渉することをやんわり拒否された。まあ、そう言われたら引き下がるしかない。
それにしても、頑張らないと、か。
白乃は普段から勉強をきちんとやるタイプに見える。
おそらくだがテストで赤点を取ったりするようなことはないだろう。
にも関わらず、何か思いつめているように見えるのは気のせいだろうか。
「……まあ、あまり根を詰めすぎるなよ。体調を崩したら元も子もないからな」
俺がそう言うと、白乃は眠そうな声で「はい」と返事をした。
――だというのに。
「……(ゆらゆら)」
「白乃。聞こえてるか白乃」
「……? はい、何ですか千里さん」
翌日の朝、白乃は相変わらず眠そうにしていた。
朝食の最中にも関わらず、箸と茶碗を持ったまま船を漕いでいる。
おかしい。昨日注意したはずなのに、白乃の様子が悪化している気がする。
「……白乃。昨日はちゃんと寝たか?」
「……それなりに」
「どのくらい寝たんだ?」
「……ある程度は」
「具体的に言うと?」
「……社会生活に支障が出ないくらいは」
なぜ明言を避けるのだろう。
タイミングからして白乃の睡眠不足の原因は、昨日から始まった期末試験で間違いない。他に思い当たる理由もないことだし。
しかしそうなると違和感が募る。
テスト前に一夜漬けなど、俺の知る白乃とはかけ離れた行動だ。
そこまでして点数を取ろうとする理由があるのか……?
とりあえず、さすがに釘を刺しておこう。
「とにかく、今日はきちんと寝るんだぞ」
期末試験は残り二日もあるのだ。こんな調子では白乃の体がもたない。
「もちろんわかっています」
白乃は大まじめな顔で頷いた。……本当だろうな?
さらに翌朝。
「……ここでこの公式がこうなって……代入すればnの値は……」
「……白乃」
「何ですか千里さん。今日は眠そうにしていないでしょう?」
朝食の片手間、皿の横に置いたルーズリーフを見てぶつぶつ言っている白乃にさすがに俺は指摘せずにはいられなかった。
確かに口調ははっきりしているし眠そうな感じも表面上はしないが――
「白乃、あれだけ言ったのに昨日もまた睡眠時間を削ったな? 目の下にひどいクマができているぞ」
「な、何のことでしょう」
白乃がわかりやすく目を逸らした。
今日の白乃は雰囲気こそいつも通りだが、顔色の悪さは昨日以上だ。おそらく栄養ドリンクでも飲んで無理やりその状態を作っているのだろう。
眠そうにしていなければいいというものでもない。
「……無理し過ぎだ、白乃」
「別に無理なんてしてません。大丈夫です」
「あのなあ……体調を崩したらどうするんだ」
あくまで忠告を聞かない白乃に、ほんの少しだけ、語気が強くなってしまう。
俺の言葉に白乃は少しだけ言葉を詰まらせ、それから小さく呟くように言う。
「……大丈夫なので、放っておいてください」
「大丈夫って……」
「千里さんに迷惑はかけません。それに、これは私の問題ですから」
そう言うと、それきり白乃は俺とは目を合わさず、登校までの時間ずっと勉強を続けていた。
× × ×
「終わったぁああ――――っ!」
試験の最終科目が終った瞬間、前の席で信濃が歓声を上げた。
「大げさだな信濃。たかが試験くらいで」
「そんな淡泊な反応の千里が珍しいんだってば。いやーやっと終わった! これで自由だ! 夏休みまっしぐらだよ!」
すごいはしゃぎようだ。
「出来はどうだったんだ? 追試は免れそうか?」
「……千里。いいこと教えてあげよう。テストってのは返ってくるまで赤点じゃないんだよ」
「目を覚ませ信濃。それは現実逃避というんだ」
信濃が虚ろな目をしている。せっかくヤマを張るのに協力してやったというのに、そんなに手ごたえが悪かったのか。
「そう言う千里は?」
「俺か。俺は残念ながら――最後の問題だけ三周目の見直しが間に合わなかった」
「ああ、うん。いつも通りみたいだね」
呆れたように肩をすくめる信濃。何だその反応は。
「そうだ千里。せっかくだしご飯行かない? 勉強教えてくれたお礼に奢る約束だったよね」
信濃がそんなことを提案してくる。さて、どうするか。普段なら乗っているところだが――
「いや、遠慮しておく」
「何か用事でもあるの?」
「今はない。が、これからできるかもしれない」
そう言って俺はスマホを取り出しLINEを起動させる。メッセージを送るためだ。白乃のアカウントをタップし文字を打ち込む。
神谷千里『白乃、今日は外で昼食を取らないか』
神谷千里『もし気が進まなければ何か買って帰るのでもいいが』
白乃に送った内容は昼食に関するものだ。
「なに、白乃ちゃんとデート?」
「そういうのじゃない」
スマホの画面を覗いてきた信濃に俺は肩をすくめた。
白乃は料理に関して昼だろうが夜だろうが、自分の役目だと言わんばかりに作ってくれる。
だが、今日くらいはそれを解除してもらってもいいだろう。
今朝の様子を考えれば少しでも負担は減らしておきたい。
「……ん?」
「どうかしたの千里」
「いや、メッセージが届いていてな。差出人は……香澄さんか」
ここで俺はふとLINEに一件の着信があることに気付いた。
送り主は俺から連絡した白乃ではなく、香澄さんだ。
メッセージの内容を確認する。
……ふむ。
「香澄さんって白乃ちゃんのお母さんだよね。何か千里に用だったの?」
「用というわけでもないが……早く帰る理由ができた。信濃、悪いが飯は今度だ」
「はいはい。それじゃまた。白乃ちゃんによろしく」
「ああ」
そんなやり取りを最後に俺は教室を出て行く。
白乃を校門で待っても良かったが、入れ違いになる可能性もある。家に向かいつつ、LINEに返信が来れば引き返せばいいだろう。
しかし学校からの帰路でスマホが振動することはなかった。
結局白乃からの返信はないまま家に到着してしまう。
「……ん?」
鍵を開けようと家の扉に手をかけると、なぜか開いていることに気付いた。
朝締め忘れたか……? いやそんなはずはない。まさか空き巣じゃないだろうな。
俺は少し警戒しながら扉を開け家に入る。
すると玄関には白乃の靴があった。どうやら先に帰って来ていたようだ。
俺はいつも通り部屋に戻ろうと廊下を歩く。
途中で扉の開いている居間を横切り――
そこで、座ったままテーブルに突っ伏している白乃の姿を発見した。
「白乃?」
嫌な予感がして俺は声をかけた。しかしテーブルに突っ伏している白乃から返事はない。
眠っているのだろうか。
俺は近づき、白乃の様子を確認する。まあ、今朝も随分眠そうだったし、居眠りするのも無理はないと思うが。
しかし直後、様子がおかしいことに気付いた。
呼吸が浅く、荒い。腕の隙間から見える表情は苦しそうだ。わずかに躊躇ったが、額に触れて確かめると明らかに熱い。
(……おいおい)
確実にただの寝不足ではない。俺は内心で先に謝ってから、白乃の細い体を抱き上げた。
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