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※注意※

今回は千里と白乃が出会ったときのお話です。

作中時間で二か月以上前の話になるので、「本筋しか興味ねえよ!」という方は読み飛ばし推奨。

『なぜ千里が白乃の男性恐怖症を最初から知っていたのか』という種明かしを含みます。


本編は次話から再開!


(……大丈夫なのか、あれは)


 俺は前方の人物を見て率直にそう思った。


「はあっ、はあっ……」


 一人の少女が壁に手をつき、荒い息を吐いている。肩あたりで切りそろえられた髪の隙間からは頬を脂汗が伝うのが見えた。


 色素の薄い髪色をした少女だった。


 身長は女子の平均よりやや低いだろうが、小柄というより華奢というのが適切だろう。ずば抜けて特徴的な顔立ちは男女問わず視線を引き付ける。



 春宮白乃(はくの)

 俺は彼女をついさっき父さんから紹介された。――『再婚しようと思っている女性の連れ子』として。



 俺の家は二年前から父子家庭だ。


 母さんが病気で亡くなったから。


 その後どんな経緯があったのかは聞いていないが、父さんは新たな恋人を見つけ、結婚したいと思うようになったらしい。その相手に会わせるため、父さんは今日あるレストランに俺を連れてきた。


 そこに相手の娘である白乃も来ていたのだ。


 父さんが今の恋人と再婚すれば、白乃は俺の義理のきょうだいとなる。

 年は俺より一つ下の十五歳らしいので、正確には義理の妹に。


 つまりはそういう相手だ。


 そんな白乃が――何やらしんどそうにしている。


(体調を崩している様子はなかったが……)


 さっきまで白乃は俺や父さんたちと食事しながら、普通に談笑していた。


 しばらくして白乃は途中で手洗いと言って席を立ち、俺はたまたますぐ後に同じ理由で席を立った。俺が用を足して席に戻ろうとしたところで、通路に片手をついて荒い息を吐いている白乃を見つけた、という状況だ。


 それにしても顔色が悪い。どう見ても白乃はまともな状態ではない。


 気付けば俺は声をかけていた。


「白乃……さん。体調が悪いのか」

「――、あなたは」


 俺に声をかけられて白乃は驚いたようだった。


 しかしそれも数秒のことで、すぐに白乃は苦しげだった表情を笑みの形に変えた。


 にこりと笑ってこんなことを言ってくる。


「神谷さん、でしたね。どうしてここに?」

「手洗いだ。というか、それだと父さんも同じ呼び名になってしまうんだが」

「そうでした。すみません、千里さん。男のひとを下の名前で呼ぶことが少ないもので」


 俺の名前を呼ぶ白乃の様子はさっき談笑していた時と変わらないように見える。数秒前まで壁に手をついていたのと同一人物とは思えない。


「……それで、大丈夫なのか?」


 俺が尋ねると、白乃は苦笑した。


「大丈夫ですよ。少し立ち眩みしただけです。ご心配をおかけしてすみません」


 完璧な笑み。

 ただの立ち眩みには見えなかったが……と、視線を落として俺は気付いた。


(……震えている?)


 白乃の手が小さく震えている。寒さでも感じているように。


 今は春休みの終わりがけ。多少の肌寒さはあるが、室内が震えるほど冷えるということはない。


「では千里さん、戻りましょうか。母さんや神谷さ――充さんも待っていますし」


 父さんの名前を呼びつつ席のほうに戻ろうとする白乃だったが、それを妨害する位置に俺は立ちふさがった。


「待ってくれ」

「……どうかしましたか?」


 首を傾げる白乃を俺は注視する。やはりどこか顔色がよくないように思える。


「大丈夫というのは嘘だな。風邪でもひいているのか?」

「気にし過ぎです。私はもう何ともありませんから」

「何ともない人間の手が震えたりはしないだろう」

「え」


 俺が言うと、はっとしたように白乃は自分の手を抑えた。気付いていなかったらしい。


「具合が悪いなら父さんたちに素直に言った方がいい。言いにくいなら俺から言っておく」

「ま、待ってください」


 白乃は慌てたように俺の提案を止めた。


「そんなことをしたら解散になってしまいます。せっかくの食事なのに」

「食事の機会はこれからもあるだろう。白乃……さん、の体調がいい時にまた予定を組めばいい」

「それはそうですが……」


 俯く白乃。俺は少し考え、こんなことを言った。


「悪いが少し熱を測らせてもらうぞ」

「え」


 俺は片方の手を自分の額に当て、もう片方の手を白乃に伸ばした。


 これで白乃の額が熱を帯びていれば一も二もなく父さんたちに白乃の不調を伝える。だが、それほどでもないと判断できたら黙っておいてもいい。


 そんなことを思っての行動だったのだが――



 ぱんっ、と。



 白乃の手が俺の手を払いのけた。


「は、白乃?」

「あ……えっと」


 さん付けも忘れて呼ぶ俺に、白乃は「やってしまった」という顔を浮かべて、それから小さく溜め息を吐いた。


「……まあ、話してしまってもいいかもしれませんね」

「何の話だ?」

「千里さん。あなたはお父さんのことが大切ですか?」


 この時の俺はおそらく死ぬほど怪訝な顔をしていたことだろう。

 質問の意味がわからないまま、俺は頷いた。


「当たり前だろう。父さんは母さんが亡くなってから一人で俺を育ててくれている」

「なら、お父さんを困らせるようなことは言いませんよね」

「わざわざそんな真似はしないが……」


 何だ? 何の話をしているんだ?

 俺が眉根を寄せると、白乃は――


「私は男性が嫌いです。近寄られると不愉快な気分になります」


 突如として雰囲気を豹変させた。


「……は?」

「さっき私が壁に手をついていた理由は立ち眩みなんかじゃありません。長時間、あなたやあなたのお父さんと会話したせいです。不愉快すぎて吐き気がしたのでそれをこらえていたんです」


 冷淡な声色で言葉が続けられる。


 さっきまでの愛想のいい少女はどこにもいなかった。白乃の表情や口調の一切が凍てついたように平坦になっている。


 当然俺は戸惑う。急にどうした。


 俺は何かしたのか?


「ま、待て。悪いが心当たりがない。何をそんなに不愉快に思ったのか教えてくれ」

「特別何かが気に入らなかった、というわけではないですよ」

「だったら――」

「ただ、私は相手が男性だというだけで外見も声も性格も不快に感じるだけです」

「それは俺にはどうしようもないんだが……」


 男だというだけでこんなに嫌われることがあり得るのか。


 とても信じられないが、今の白乃が嘘を吐いていないことは一目瞭然だった。何しろ俺を見る目があまりに冷たすぎる。俺がゴミにでも見えているかのようだ。


「なら、さっきまではどうしてそれを隠していたんだ」


 父さんたちの前では少なくとも白乃は愛想よく振る舞っていた。そもそも男が嫌いというのならなぜ今日この場に来たんだろうか。


 白乃はわずかに俯き、


「……母さんのために決まっています」


 呟くようにそう言った。


「あなたがそうであるように、私だって母さんのことが大切です。幸せになってほしい。つらい思いをしてほしくない。……だから、私の男嫌いは母さんも知りません。知っていれば母さんは再婚なんて言い出せないでしょうから」

「それは……」


 俺は何か言いかけて、何も言えなかった。


 男嫌いの娘がいれば、母親は再婚など言い出せない。誰でもわかる単純な理屈だ。


 だから白乃は自分の男嫌いを隠した。


 父さんや俺と話す時でも、白乃の母親がいる場では平気そうにしていた。


「……なぜそれを俺に話したんだ?」


 俺の問いに白乃はこう答えた。つまらなさそうに、


「……あなたはお父さんのことを大切と言いました。なら、あなたも私が男嫌いだなんて言えないですよね。それを言えば母さんたちは再婚を躊躇う。あなたのお父さんにとってもそれはマイナスでしょう」

「……」


 そうだ。俺は父さんに幸せになってほしい。だから、再婚を邪魔するような真似はしたくない。


「私たちの利害は一致しています。だから千里さん、私の不調については黙っていてください」

「白乃はそれでいいのか?」

「当然です」

「……うーむ」


 俺は少し迷った。


 白乃の男嫌いを黙秘することは根本的な解決にならない。彼女の持つ忌避感がここまで極端なものなら、再婚の話を進めることがそもそも間違っている。


 けれど、俺は彼女の気持ちが理解できてしまう。


 俺も白乃もそれぞれの親のことが大切で、幸せになってほしい。邪魔なんてしたくない。自分が我慢して済むならそれでいい。


 と、俺が彼女の立場でも思ってしまうような気がする。


 気付けば俺は頷いていた。


「わかった。協力しよう」

「意外と簡単に納得してくれましたね」

「少なくとも日を改めたくらいでどうこうなる症状でもなさそうだからな」


 実際に風邪でも引いているならともかく、白乃の正体はあくまで男嫌いという性質の上に成り立っているものだ。時間をおいても意味がない。


 それなら隠蔽に協力したほうがマシだ。


「だが、そういうことなら俺たちが不仲に見えるのはまずいだろうな」

「そうですね。むしろ私たちは意気投合しているように演技するべきです」


 やるなら何事も徹底的に。俺と白乃は通路で打ち合わせを行う。


「では、少し演技の練習しておきましょうか」

「いいだろう。望むところだ」


 白乃は無表情から一転して花咲くような笑みを浮かべた。


「『千里さんって休日どんなことをして過ごしてるんですか?』、さあ好意的に返してください」

「……」

「何でちょっと嫌そうな顔をするんですか?」

「いや、白乃さんの本性を知ったあとだと違和感が酷くてな」


 白乃が浮かべているのは笑顔のはずなのに背筋が寒くなるから不思議だ。


「違和感というなら、千里さんも私の呼び方をどうにかしてください。仲の良いフリをするのに『さん』付けは不自然です」

「なるほど」


 白乃の指摘に頷く。それもそうだ。


「では、これからは『白乃』と呼ぶことにしよう」

「……」

「どうして嫌そうな顔をしているんだ」

「いえ、千里さんに名前を呼び捨てにされるのがあまりに気持ち悪くて」

「自分でやらせたんだろう……」


 これで駄目なら俺にどうしろというんだ。


 その後俺たちは十分にわたり、『どうしたら俺と白乃が仲良さそうに見えるのか』という命題に挑み続けた。





 ……その甲斐あって、と言っていいのか不明だが。


 俺の父親と、白乃の母親は一か月後に入籍した。


 再婚成立である。


 かくして春宮白乃は神谷白乃と名前を変え、父さんの再婚相手と一緒に我が神谷家に引っ越してくることになった。



「今日からよろしくお願いします。千里さんも仲良くしてくださいね♪」



 引っ越し当日、我が家の玄関先で白乃が言った台詞に、俺は口元が引きつらないよう必死だった。よくも平然と心にもないことが言えるな。


 これからうまくやっていけるのだろうか。

 俺たちは本当の意味で家族になることができるのだろうか。


 俺は不安を抱えたまま、目の前でにこにこと笑う義理の妹を見ることしかできなかった。

 お読みいただきありがとうございます。


 白乃と千里の初対面はこんな感じでした。

 本当は香澄と充の初対面、という案もあったのですが……主人公たちをさしおいてあの二人にスポットを当てる勇気が出なかった……!


 前書きにも書きましたが、次回から普通に本編に戻ります。

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[一言] これはこれで味があるので許す(謎の上から目線) イツモタノシマセテモラテルヨ
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