6月13日⑤
秋名誠が白乃を連れてきたのは駅のそばの喫茶店だった。
清潔感があって洒落た内装だが客はあまり多くない。
立地のわりに制服姿の生徒が見当たらないのは、おそらく価格帯の問題だろうと白乃は予想した。そういえば、地下鉄通学の隠岐島が駅の近くに高そうな喫茶店があると言っていたような気がする。もしかしたらここがそうなのかしれない。
そんなことを考えながら店員に案内された席につく。
向かいに座って、秋名誠は言った。
「白乃ちゃん何にする? 何でも奢るよ」
「何も」
腹が減っていないとかそんな次元ではない。目の前の男から施しを受けるなど白乃にとっては不愉快そのものだし、そもそもこの相手を前に食欲などまったく湧かない。
秋名誠はいたって真剣そうに言った。
「……ダイエット中?」
「……」
「気にしなくていいと思うけどなあ。白乃ちゃんは今のままで綺麗だよ。昔の香澄によく似てる」
のうのうとそんなことを言ってくる。
変わらない、と白乃は思った。
目の前の相手はかつて自分や香澄と家族だった頃と何ら変わらないような態度で接してくる。最悪の方法でその関係性を壊しておきながら、まるでそんなことはとっくに忘れてしまったかのようだ。
深呼吸をする。
苛ついても無駄だ。白乃は深く息を吐く。心を落ち着かせる。
秋名誠は店員にコーヒーを注文すると、白乃に向き直る。
「最近、学校はどうだい。最近転校したんだって? お義父さん――じゃないか今は。まあ、そう聞いてるよ」
「……あなたには関係ないでしょう」
「冷たいなあ。それが久しぶりに会った父親に対する態度?」
「――っ、……」
からから笑う秋名誠に、白乃は強い不快感を覚えた。発言がいちいち神経を逆撫でしてくる。しかもこれで本人に悪気はないのだから始末に負えない。
「あなたは私の父親ではありません。今の私の父親は他にいます」
吐き捨てるように言うと、秋名誠はうんうん頷く。
「そうだ、香澄は再婚したんだってね。僕に言われるのも複雑かもしれないけど、おめでとうって伝えておいてよ。まあ僕、離婚のとき慰謝料がっつり持っていかれてお金ないからご祝儀は出せないけど」
「……よくもそんなことが言えますね」
冗談めかしてそんなことを言う秋名誠の神経が本当に白乃には理解できない。
言いたいことはいくらでもあるが、おそらく何を言っても秋名誠はこのへらへらした態度を崩さないだろう。この男にとって香澄や白乃との関係性はすでに終わったもので、罪悪感など欠片も持っていないのだ。
香澄と離婚する時もそうだった。指示された慰謝料を払い、離婚手続きを済ませ、ごくあっさりと去っていった。「それじゃあね」と、まるで少し遠出でもするような挨拶を残して。
こんな狂人と長時間話していたくはない。
白乃はさっさと本題に入ることにした。
「わざわざ私を呼び出した理由は何ですか」
白乃は通学鞄から封筒に入った手紙を取り出し、秋名誠に尋ねる。
この封筒は今朝千里が白乃に渡したものだ。
中身は秋名誠から白乃宛に出された手紙。内容は要約すると『放課後まっすぐ駅に来い』。
「そうだなあ。どこから話そうか。えーっと、僕、お金なかったから離婚した後恋人作ってヒモやってるんだけどさ」
「最低ですね」
「えーひどい」
秋名誠の言葉に白乃はそう吐き捨てる。
秋名誠は仕事をしていたが、離婚とともに職場もクビになっている。何百万という慰謝料を払ったうえ住む場所もなくしたこの男がどうしたのか白乃は知らなかったが、どうやら他の女のもとに転がり込んでいたらしい。
「まあお金はくれるし働かなくていいから楽ではあるよ? ご飯も作ってくれるし。ちょっと不満っていうか気付いたことがあってさ」
息を吐くようにろくでもないことを言いながら、秋名誠は続けた。
いかにも参ったと言うように腕を組んで眉根を寄せて。
「あんまり見た目がよくないんだよねえ、今の彼女」
「――、」
「まあだから僕みたいな整った外見の男に貢いでくれるんだろうけど。格好いい彼氏が欲しい夢でもあったのかなあ」
言い放たれたその言葉に白乃は唖然とする。
信じられないような台詞だ。無一文で世話になっておいてこの言い草は無神経を通り越してクズそのものだ。これをごく自然なトーンで言えることが白乃には理解できない。
「……本当に、どうしようもないですね。あなたは」
本心からそう言う白乃に秋名誠は心外そうな顔をした。
「そう? 男なら女の子の外見が気になるのは普通だと思うけどなあ。普通に考えて顔がいい子と不細工な子なら誰だって前者を選ぶでしょ?」
薄っぺらな意見だと白乃は思う。外見だけで人の良し悪しが決まるわけがない。
秋名誠は白乃の冷えた視線に気付かず続ける。
「まあそれはいいや。で、本題だったね。最近気づいたんだけど――僕って香澄のことかなり好きだったみたいなんだよねえ」
「っ」
その言葉だけは。
白乃はどうあっても看過できなかった。
「――ふざけないでください!」
気付けば白乃は椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、そんなことを叫んでいた。他の客が何事かと視線を向けてくるが気にもならない。
「どの口でそんなことを……っ、あなたは自分が何をしたのか覚えていないんですか!? どうしてそんなことを抜け抜けと言えるんですか!」
「わー怒らせちゃった。白乃ちゃん、落ち着いて落ち着いて。ここお店だから」
「落ち着いていられるわけがないでしょう!」
「いいから」
大声を出す白乃にも秋名誠は一切動じなかった。少し困ったような顔のまま、ぴたりと白乃が持つ封筒を指さす。
それだけで白乃の肩がこわばる。
「落ち着いてよ。それ、バラ撒かれたくないでしょ?」
「……っ」
白乃は歯を食いしばる。
なぜ白乃が秋名誠の呼び出しに応じたのか。白乃はこの男が地球上で一番嫌いだ。それでも白乃が心配する千里に嘘まで吐いて秋名誠に会っているのか――それは、封筒に便せんとともに入っていた一枚の写真が原因だった。
「当たり前だけど全部データで持ってるよ。スマホだけじゃなく彼女の家に持ち込んだ僕のPCにもコピーしてある。この意味、白乃ちゃんならわかるでしょ?」
まるで子供をあやすような屈辱的な口調で言われるが、白乃はそれを突っぱねることができない。さっきまでの威勢を失い、ゆっくりと椅子に座る。秋名誠は満足そうに笑った。
「あなたは、何がしたいんですか……」
力なく尋ねる白乃に、秋名誠はこんなことを言った。
「さっきも言ったけど、僕は香澄のことが結構気に入ってた。まあ外見の話だけど。あんなに可愛くて綺麗な見た目をした女性ってあんまりいなくてさ。離婚する前は気にもしてなかったんだけど、やっぱり失ってわかるものってあるよね」
真面目くさった顔で言う秋名誠に白乃は肩を震わせる。
吐き気がするほどふざけた意見だ。どこまでも薄っぺらな視点でしかものを見ていない。しかもこの言い分ではまるで――
「母さんに、復縁でも迫るつもりですか……?」
「? いや全然」
あっさりと秋名誠は白乃の言葉を否定した。安堵すると同時に白乃は混乱する。話の先がまったく見えない。
「香澄はもういいよ。もうそんなに若くないし、ああ見えてけっこう意思が固いからね。会っても話すらしてくれないでしょ」
「……なら、何を」
尋ねる白乃に秋名誠は薄く笑みを浮かべた。ぞく、と妙な悪寒が白乃の背筋を這う。
直後、その嫌な予感は現実になって白乃の耳に届いた。
「白乃ちゃんは若い頃の香澄にそっくりだ。二年前より似てきたね。これからどんどん綺麗になっていくんだろうね。僕が君を呼び出したのは簡単な話でさ」
「……?」
眉をひそめる白乃に、どこか眩しいものを見るように目を細めて。
場違いなほど誠実な声色で。
「――白乃ちゃん、僕のセフレになってよ。そしたら写真はバラ撒かずにおいてあげる」
秋名誠は、そんなおぞましい台詞を口にした。
お読みいただきありがとうございます。
次回、白乃の過去編です。
一応そこまでエグい内容ではない……はず。ただ分類的にはいわゆる『胸糞展開』になると思いますので、苦手な方はご注意ください。