6月13日④
『今日からしばらく一緒に帰ろう。事情は家で話す。悪いが放課後、迎えに行くから教室で待っていてくれないか』
「……」
昼休みの終わりがけ、スマホに表示されたLINEメッセージを見て神谷白乃はだいたいの事情を察した。
メッセージを送ってきたのは千里、つまり白乃の義理の兄だ。
買い物などの用事があるときを除いて千里は白乃に『一緒に帰ろう』などとは言ってこない。今日に限ってそう言ってきた理由には察しがつく。おそらく母の香澄から白乃の実父である秋名誠について聞いたからだろう。
ついさっき白乃のもとにも香澄から連絡があった。近いうちに秋名誠がやってくるかもしれないから気をつけろと。
心配してくれるのはありがたいことだ、と白乃は思う。
千里にしても香澄にしても自分を守ろうとしてくれている。
しかし同時に思ってしまう。脳裏に今朝届いた手紙を思い浮かべて。
だからこそ、あの手紙のことは誰にも言えない――
「白乃ちゃん、どうかした?」
「い、いえ」
そんなことを考えていたせいで、隣から話しかけてきた須磨に少し反応が遅れてしまう。
白乃は昼休み、いつも須磨や隠岐島と一緒に昼食をとっている。たいてい須磨と白乃が雑談して、隠岐島はスマホでゲームをしながら時折それに加わるというのがお決まりだ。
白乃は須磨の質問に苦笑を浮かべた。
「千里さんからLINEが来ただけですよ。一緒に帰ろう、と」
「そうなんだ。やっぱり仲いいね、神谷先輩と白乃ちゃんって」
「……どうでしょうね」
曖昧な笑みを返す白乃。
その表情を見て何かを察したように、それまで横向きのスマホに視線を落としていた隠岐島が言った。
「なにみくり。白乃が先輩と仲良いいのが羨ましいの?」
「えっ、ちがっ、そんなこと言ってないじゃん!」
「ああそう。てっきり私も一緒に帰りたいなーとか思ってるのかと」
「おおお思ってないから! っていうかあたし今日も部活だし!」
机の横に鎮座する自前のラケットバッグを手で叩くテニス部所属の須磨に、「わかったわかった」と適当な返事をする隠岐島。
白乃はそんなやり取りを聞きながらスマホをしばらく眺めたあと、返信せずに机に置いた。それを見て須磨が尋ねる。
「返事しなくていいの?」
「……後でしておきます。今は少し都合が悪いので」
「?」
不思議そうに首を傾げる須磨。
その視線を受ける白乃は、やはり曖昧な笑みを浮かべていた。
× × ×
「――いない?」
放課後。
掃除当番があったため二十分ほど遅れつつ、俺は下校準備を済ませて白乃の所属するクラスに向かったのだが――実際に行ってみると白乃はそこにはいなかった。
「は、はい。白乃ちゃん、授業が終わるとすぐに帰っちゃって」
そう教えてくれるのはたまたま教室に残っていた須磨だ。俺と同じく掃除当番だったらしく、帰り支度をしていたところで俺に気付いて入り口まで来てくれたのだ。
その須磨が言うには、白乃はすでに下校していると。
「どういうことだ……?」
俺は香澄さんから電話のあった昼休みのうちに、白乃には迎えに行くから教室で待っていてくれと伝えておいた。白乃からは少し経ってから「わかりました」と返信があったので、てっきり教室にいると思っていたのだが。
「須磨は何か聞いてないか?」
「何か用事がある、と言ってましたけど……先輩こそ聞いてないんですか?」
「……ああ。何も聞いてない」
俺はそう言ってからスマホを取り出しLINEを開く。するとさっきまでなかったはずの白乃からの新着メッセージが届いていた。
確認する。
『すみません』
『用事ができたので寄り道して帰ります』
『千里さんは先に帰っていてください』
「……」
俺はそれらのメッセージに眉根を寄せた。
「白乃ちゃんから連絡があったんですか?」
「……ああ。用事ができたから寄り道するらしい」
「あ、やっぱり何か用があったんですね」
須磨は納得顔だが、俺の中では疑問のようなものが徐々に膨らみつつあった。
なぜ、このタイミングなのだろうか。
用があるなら最初の返信の時点でそう言えばよかったはずだ。だが白乃は一度俺が迎えに来るのを一度了承した後、俺がやってくる寸前に用ができたと言い出した。
考えすぎなのはわかっているが――これではまるで、俺を避けているようにも見える。
さすがに今更ただ一緒に下校したくないと思われているわけではないだろう。そう判断していいくらい最近は白乃と打ち解けてきているつもりだ。
では本当に何かの用事がついさっきできたのか?
そうかもしれない。だが、どうも嫌な予感がする。あくまで勘の範囲を出ないが、白乃の行動に違和感を覚えてしまう。
半ば無駄だと思いながらも白乃に対して「今どこにいる?」と新たにメッセージを送っておく。既読の表示はつかない。……ううむ。
「須磨、白乃がどこに行くか聞いていないか」
「ご、ごめんなさい。聞いてないんです」
いや、何も謝るようなことはないと思うが。
しかし須磨も白乃の行き先を知らないとなると、いよいよきな臭くなってきたな。
「ありがとう。じゃあ、俺は行くから」
無駄足になるかもしれないがこっちから白乃を探してみよう。さすがに心配だ。
「待ってください!」
その場を去ろうとしたところで須磨が呼び止めてきた。
「? どうした」
「白乃ちゃんから聞いたんですけど、先輩、スマホ壊れちゃってLINEのデータ消えてるんですよね」
「そうだな」
何せ朝起きたらいきなり壊れていたのだ。引継ぎの用意などできていたはずもなく、LINEのデータはきれいさっぱり消し飛んでいる。今は父さん、香澄さん、白乃、信濃以外の連絡先が登録されていない――ああ、そういえばせっかく交換したのに須磨や隠岐島のものも消えてしまっている。
須磨は言った。
「私も少し白乃ちゃんを見た人がいないか探してみます。何かわかったら教えますから、あの、連絡先を教えてもらえませんか?」
「! 本当か。助かる」
一人で探すには大変だと思っていたところだ。協力者がいるのはありがたい。
俺はなぜか緊張した面持ちの須磨と再びLINEの連絡先を交換し、その場を後にする。
× × ×
「……千里さんは怒っているでしょぅか」
そう自問して、怒っているかもしれない、と神谷白乃は思った。
何しろ教室で待っていろという言葉を一度は聞いておいて、直前になって用ができたなどと嘘をついて抜け出してきたのだ。腹を立てて当然だろう。
もっとも義兄である千里の性格を考えれば『怒る』よりも『叱る』ほうがありそうだが。
もしかしたら自分のことを探させてしまっているかもしれない。
しかし、おそらく白乃が見つかることはないだろう。
白乃の現在地は学校最寄りの地下鉄の駅近く。学校をはさんで神谷家とは反対方向なので、千里が闇雲に白乃を探したところで簡単には見つからないはずだ。
それでいい。
今から行く場所に千里を連れていくわけにはいかない。
やがて白乃は目的地である駅にたどり着く。
(……さて、駅で待っているとのことですが)
地下鉄通学の生徒たちに紛れて歩いていくと、白乃は目当ての人物を見つけた。
向こうも白乃に気付いたようだ。片手を上げて近づいてくる。
「――っ」
その姿を見ただけで白乃の動悸が不自然に速くなる。吐き気のようなものがこみあげてくる。予想していたはずなのに、千里を相手に克服する訓練をしていたはずなのに、それを上回る忌避感が白乃の胸中を満たす。
それを無理やり押さえつけて平静を装い、白乃はその場で待った。
軽快な足音とともに待ち合わせた人物が白乃のもとまでやってくる。
「やあ、早かったね。もっと待っても良かったのに」
「……嫌なことは早く済ませたいので」
「ひどい言いようだなあ」
苦笑して、白乃より頭一つ分高い位置から声が降ってくる。
すらりとした体格の人物だった。年齢は四十を超えているが外見だけなら二十代半ばで通るだろう。色素の薄い髪色をしていて、顔立ちは作り物かと思うほど整っている。
かつてはよく白乃の兄と間違えられた。
忌々しいことだが仕方ない。何しろこの男は実際に白乃と血がつながっているのだから。
「来てくれたってことは手紙を見てくれたんだよね。それじゃあ、ちょっと話そうか。近くにお洒落な喫茶店を見つけておいたんだ」
そう言って、その人物は――白乃の実父である秋名誠は、にこにこと屈託のない笑みを浮かべた。
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