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6月13日③

※本日三度目の更新です。ご注意ください。


 昼休み、一件のLINE通知が来た。


「……香澄さんから? 珍しいな」


 白乃が作ってくれた弁当を食べながらそんなことを呟くと、一緒に食べている信濃が尋ねてくる。


「香澄さんって千里の義理のお母さんだっけ。白乃ちゃんに似て超美人って噂の」

「そうだな。笑うとよく似ている……のか?」

「? いや、ボクは千里に聞いてるんだけど」


 信濃は首を傾げているが、白乃は俺の前では全然笑ってくれないので、いつも笑顔の香澄さんと比較しづらいのだ。どちらもちょっと見ないレベルの美人であることは変わらないが。


「内容は……『今から電話できるかな? ちょっと話したいことがあります』?」


 また急な話だな、と思ったが今は昼休みだし、香澄さんの会社もそうなのだろうか。


 それにしても一体どんな用件だろう。家に帰って直接話すまで待てない、ということは何か緊急のものなのかもしれない。


 とりあえず電話できる場所に移動しよう。


「信濃、悪いが少し外す」

「はーい」


 そんなやり取りをしてから俺は教室を出る。


 人の少ない階段の踊り場まで行き、香澄さんに『電話できます』と送るとものの数秒でスマホが振動した。


「もしもし」

『あ、千里くん? 急にごめんねえ。ご飯食べてた?』


 電話をかけてきたのはやはり香澄さんだ。


「ほとんど食べ終わっていたので大丈夫です。それより珍しいですね、電話なんて」

『そうねえ。LINEでもよかったんだけど……ちょっと文章にすると長くなっちゃいそうだったから』


 香澄さんの言葉はどこか歯切れが悪い。この人は案外言いにくいことでもあっさり言うので、こういう話し方をするのは珍しい。


「……何かあったんですか?」


 俺が聞くと、少し間を置いてから香澄さんは言った。


『千里君は『秋名』って人のことを充さんから聞いてるかしら』

「あきな、ですか。……いえ、初めて聞きました」


 女性の名前だろうか? 少なくとも父さんの口からは一度も聞いた覚えはない。


『いいえ、男性よ。ぶっちゃけて言うと私の前の夫の苗字ね。離婚したから、今は秋名誠と名乗っているはずなんだけど』

「――、そうでしたか」


 予想外の答えに一瞬言葉に詰まってしまう。


 前の夫。つまり父さんの前に香澄さんと結婚し、そして離婚した人物。


 香澄さんの旧姓は春宮らしいから、秋名なる人物は婿入りしていたのだろう。俺は父さんが再婚する際に香澄さんには離婚歴があることは聞かされていたが、そのあたりのことは詳しく知らない。


「……その秋名さんがどうかしたんですか」


 正直に言ってあまりいい予感はしない。香澄さんの口調が重いのもそうだし、元夫という相手の立場から明るい話につながる気がしないからだ。


 という俺の予想通り、香澄さんはこう続けた。


『単刀直入に言うと、うちに――神谷家に来るかもしれないの』

「うちに、ですか。……今更?」

『そうなのよねえ……』


 スマホから聞こえてくる香澄さんの声も憂鬱そうだ。


 それも当然だろう。香澄さんはすでに再婚しており、うちに引っ越してきて新しい生活を始めている。一か月経ってようやくそれが安定してきたというのに、今になって元夫がやってくると聞けば誰だっていい気分はしないはずだ。


「というか、どうしてそんな話になってるんですか?」


 この口ぶりでは香澄さんが望んだとは思えない。


『それがねえ。ついさっき私の母から電話がかかってきて――』


 香澄さんの話を要約するとつまりこういうことだった。


 数日前、香澄さんの実家に一本の電話があった。それは秋名誠、つまり香澄さんの元夫からだった。


 内容は――『改めて会って謝りたいので今の香澄さんの住所を教えてほしい』。


「……それで、香澄さんのご両親は言ってしまったんですか」

『最初は渋ってたみたいだけど、最終的には折れて教えちゃったみたいねえ』


 教えてしまったのか……


「香澄さんに確認はなかったんですか?」

『なかったわ。……きっと父がお人好しなのを知ってて、泣き落としで聞き出したんだと思う。『謝りたいけど香澄には連絡がつかなくて困ってる』とか』


 ふーむ。


「ですが、そこまでして香澄さんに会って謝りたいということですよね」


 話を聞く限り積極的に香澄さんに危害を加えようとしているようには思えない。


 もちろん非常識であることに変わりはないが。


『……どうかしら。あの人、異常者だから』

「い、異常者?」


 呟かれた単語にぎょっとする。香澄さんが普段絶対に使わないような言葉だ。


 香澄さんは小さく溜め息を吐き、こんなことを言った。


『千里君、私が離婚した理由って聞いてるかしら』

「いえ。……父さんは言いませんし、俺も聞いていません」

『そう。やっぱり優しいのね、二人とも』


 ほのかに苦笑をにじませつつ、香澄さんはこう明かした。


『浮気だったわ。向こうの』


 ごく淡々とした声色で続ける。


『期間は一年以上――私や白乃が仕事や学校で家にいない間、家に浮気相手の女性を招いて何度もセックスしていたみたい。リビングでも寝室でもお風呂でもどこでも』

「っ」

『私たち、あの人が他の女性と寝てた場所でご飯食べて、テレビ見て、ずっと暮らしてたの。普通の家族みたいに。馬鹿みたいでしょう?』

「――な」


 香澄さんの口調は少し疲れていたようにも、ごくあっさりしていたようにも感じた。だが俺はとてもそんなふうに受け止められなかった。


「なんですか、それ!?」


 信じられない。ありえない。聞いただけでぞっとするような話だ。俺の怒鳴り声に、たまたま近くを通りかかった女子生徒が驚いたように目を見張っていた。


 浮気というのはよく聞く話だ。離婚の原因として真っ先に思いつくようなものだ。


 だが俺にはまったく理解できないし香澄さんと曲がりなりにも一か月一緒に暮らした身としてとても信じられない。香澄さんは穏やかで、優しくて、いるだけで周りを笑顔にできるような素敵な女性だ。秋名誠という人物はそんな香澄さんを最悪の方法で裏切ったのだ。


 娘である白乃も同様に。


 しかもわざわざ家族で暮らす家で浮気相手と寝るという神経が理解できない。何も知らない二人を嘲笑って悦に浸っていたのか? 吐き気がする。


 香澄さんは小さく笑って、


『……本当に、千里君はいい子ね。あの人とは大違い』

「そんなことは……話してくれてありがとうございます」

『いいのよ、どうせいつか話そうと思ってたもの。けど、これでわかったでしょう? あの人がどんな人間か』

「……はい」


 あの温厚な香澄さんをして『異常者』などと言われるのも納得だ。秋名誠はまともな精神構造をしていない。


 そんな相手が近くやってくる可能性があるという。


 なら俺がすべきことは? 決まっている。


「とりあえず、しばらく白乃とは一緒に下校するようにします。買い物に行くときも一緒に」


 家の中にいれば追い返すのも簡単だ。しかし家の外ではそうもいかない。白乃の安全は俺が責任を持つべきだろう。


「香澄さんも仕事の帰りは必ず父さんか俺を同行させてください。父さんが間に合わなくても、電話してくれれば俺が駅まで迎えに行きますから」


 香澄さんは電車通勤で、行きは父さんが車で駅まで送るが帰りは駅から徒歩だ。そこで接触されては面倒なことになりかねない。


『気持ちは嬉しいけど、私は大丈――』

「駄目です」

『で、でも千里君にそこまでしてもらうのは、義理だけどお母さん的にはちょっと……』

「何度言っても駄目です。断ってもいいですが、その場合は放課後白乃を家まで送ったあと香澄さんが来るまで駅で待ち続けますからね」

『ご、強情じゃないかしら』

「心配なんです。家族ですから」


 香澄さんの話では秋名誠は『会って謝りたいから』と住所を聞き出したらしいが、今となってはそれが本当かも疑わしい。そんな危険人物と香澄さんを一対一で接触させられるわけがない。


 俺が譲る気配がないのを悟ったのか、香澄さんは小さく溜め息を吐いた。


『……それじゃあ、充さんが来られない時だけお願いしてもいい?』

「はい」


 というかこっちから頼んでいるんだが。


『ありがとう。千里君のそういうところ、充さんにそっくりね』

「そうなんですか?」

『そうなんです。……けど、やっぱり私は私より白乃ちゃんを気にしてあげてほしいなあ』


 一瞬どきりとする。白乃の男性恐怖症を香澄さんは知らないはずだが。


「ど、どうしてですか」


 俺が聞くと、まったく予想外の答えが返ってきた。


『あの人の浮気がバレたの、白乃ちゃんが原因なの』

「白乃が……?」


 そう、と香澄さんは頷くように言う。


『その日はたまたま白乃ちゃんが早く帰ってくる日で、あの人はそれを知らなかった。白乃ちゃんが帰ってきた時あの人たちはリビングで行為の真っ最中だった。白乃ちゃんはそれを見ちゃって、怖くなって、近くの私の実家に逃げ込んで――それが浮気がわかった原因』

「――――、」


 白乃が浮気現場に居合わせた?


 それは俺の知らない話だ。けれど、腑に落ちるものでもあった。


 白乃は男性恐怖症だ。男に触れただけで嘔吐するほどの強い拒否反応を示す。


 俺はその克服に力を貸しているが、その根本的な原因はまだ知らない。


 父親の浮気相手との性交渉を見てしまう。


 それは当時中学生だった白乃のトラウマになり得るのではないか。


『白乃ちゃんは平気だって言ってるけど……やっぱり心配なの。あの子は昔から何でも一人で抱え込んじゃうから』

「……そうかもしれませんね」

『だから千里君、白乃のことを見ていてあげて?』


 慮るように言う香澄さんに、俺は短く「はい」と応じた。

 お読みいただきありがとうございます。


 あけましておめでとうございます! タッチの差で年内更新は間に合わず……!

 今年もよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 元オヤジが屑で最低すぎて一つも美点が見当たらないんですけど
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