6月12日③
※本日二度目の更新です!
「とりあえず千里さんの使用していた機種と同系列のものを買いました。世代が一つ新しくなっていますが、操作は基本的に同じはずです」
「……あ、ああ」
白乃から先ほど購入した新品のスマホを渡されて俺はそう頷いた。
場所はレオンモール内のフードコート。
結局スマホ購入の手続きを白乃にほとんどやってもらった俺は、謝礼も兼ねてフードコート内の『タピオカ入りふわふわピーチスムージー』なる女子高生っぽいものを貢いでいた。
俺も同じ店でコーヒー風味のものを買い、すでに飲み終えている。
タピオカ飲料など初めて飲んだが予想以上に美味かった。余韻に浸っていたところ、まだ飲み終えていない白乃がスマホ入りの箱を渡してきたのだった。
受け取ったスマホを取り出してみる。
確かに白乃が言った通り、多少サイズは違うが、昨日まで使っていたものと似通っている。
これなら新しく操作を覚える必要もなさそうだ。
俺はつけっぱなしだったビニール手袋を外して電源を入れ――
「……すまない白乃。りんごのパスワードとはどういう意味だ? 何かの隠語だろうか」
白乃はきょとんと目を瞬かせた。
「アプリをダウンロードするとき必要になるあれですよ。千里さんもLINEなんかを入れる時に使ったと思いますけど」
「そのあたりは父さんにやってもらっていたからなあ……」
そもそも俺のスマホに入っていたのは連絡用のLINEと参考書を買うための電子書籍アプリの二つだけだ。どちらも故スマホを買った当日に父さんにダウンロードしてもらった。それ以降一度もアプリダウンロードという行為をしていないので、具体的な方法については知らないままだ。
と、白乃に説明をしたところ――
「……おじいさんみたいですね」
「ぐっ!」
的確かつ鋭利な感想に思わず口元が引きつった。
「今時アプリの入れ方もわからない男子高校生って……どうりで充さんが私についていけなんて言うわけですね。携帯ショップの店員さんも見事に困らせてましたし」
「……世話を焼かせてすまん。機械類はどうも苦手でな」
正直落ち込む。シミュレーションが足りなかったか。
「そんなレベルでもなかったような……よく今まで生きてこられましたね」
「案外何とかなるぞ。動画とゲームの話題はよくわからんが」
「ますますおじいさんじゃないですか」
否定できない。
「何か機械が苦手になった原因でもあるんですか?」
白乃の質問に俺は頷いた。
「……父さんの仕事がパソコン必須なものだというのは知っているか?」
「ええ、まあ」
「昔、父さんの仕事用パソコンのデータをうっかり全削除してしまったことがあってな」
「なぜそんなことに……」
そう、あれは小学生の頃。
宿題で調べものが必要になり、検索サイトを利用するために父さんのパソコンを借りた。使い方は教わっていたはずなのに俺が少し触ったあたりでそのパソコンはなぜか画面が青一色に染まり、次いで黒くなって、最後には白くなった。
途中で『データを削除しています……』という文章が表示された時の絶望感たるや。
あれ以降どうも機械全般が苦手になってしまった。
「検索しようとしただけでデータを消すって、ある意味才能な気もしますね」
「特別なことは何もしていないはずなんだがな」
俺が消したデータの中に致命的な情報が混ざっていなかったのが不幸中の幸いだった。
あれ以来父さんは俺+機械という組み合わせを警戒するようになったが、正直申し訳なさで胸が痛い。
ぽつりと白乃が言った。
「千里さんにも弱点ってあるんですね」
「……俺を何だと思っているんだ」
「いえ。何というか、少し安心しました」
「?」
白乃はなぜか少し嬉しそうだ。……なぜに?
俺が疑問に思っていると、白乃はすぐいつもの澄ました顔に戻って俺の新しいスマホを指さした。
「そういうことなら、せっかく買ったそれは大事にすべきですよね。カバーくらい買った方がいいんじゃないですか?」
む、一理ある。
新しく買ったスマホは昨日まで使っていたものより一回り大きい。これではカバーも買い直さなければならないが、指摘されるまですっかり忘れていた。
「そうするか。悪いが、後でまた店に付き合ってもらっていいか」
「カバーだけなら私はいらないでしょう。私が飲み終わるまでぼーっと待ってるくらいなら、ぱぱっと行ってきては?」
「いや、だが……白乃を一人にするのは」
「子供扱いしないでください。少しくらい平気です。それにこれを飲んだらすぐに追いかけますから」
うーむ。
白乃を一人で置いていくのは心配だが、本人はこう言っているし……それに、あまり過保護過ぎるのも良くないか。
「わかった。すぐ済ませてくる」
「お気をつけて」
というやり取りがあったのが十分前。
光の速さで携帯ショップに舞い戻り、何の変哲もないスマホカバーを買った段階では白乃はまだ追いついてきていなかった。
ならばフードコートにいるだろうと思って戻ってくると――
『ねえ、君いま一人?』
『俺らと一緒に遊ばない? いやー男ばっかでむさ苦しくてさー』
まだフードコートの出口あたりで見知らぬ男子学生二人に白乃がナンパされていた。
(まだ十分だぞ……!?)
入れ食いにも程がある。俺は白乃のことを常日頃から美少女だと思っていたが、まだ認識は甘かったようだ。
「白乃!」
「あ、千里さん」
慌てて駆け寄る俺を見て白乃が声を上げる。
その様子に俺はわずかな違和感を覚える。男二人に詰め寄られて表情がこわばってはいるのだが、それでも以前よりは多少余裕があるように見えたのだ。
「え? なに? 知り合い?」
白乃をナンパしていた男の片方が尋ねると、「ええ」と白乃はあっさり頷いた。
それから白乃はごく自然な足取りで俺の元に歩いていてくる。
「まあ、ただの知り合いではありませんけど」
そう言って、白乃はすると俺と腕を組んできた。
恋人がするような感じで体を密着させて。
「!?」
驚いたのはナンパ男ではなくむしろ俺の方だ。
白乃は何をやっている!? こんなに接近すれば男性恐怖症で大変なことになるぞ!?
あまりのことに硬直する俺にひっついたまま、白乃はあくまで自然体のまま言った。
「今日は『彼』と来ているので。すみません」
そう言うとナンパ男たちはようやく諦めたようだった。
「チッ……」
「んだよ、男連れなら最初っからそう言えよ」
捨て台詞を吐いて去っていくナンパ男たち。意外と物分かりのいい連中らしい。
「千里さんの真似をしてみましたが、この言い方は気が楽ですね。嘘も吐いていませんし」
などと呑気に言っている白乃の体を俺は慌てて引き離した。
「白乃! 大丈夫か!?」
「? はい、大丈夫ですよ」
あっさりそう言う白乃には、顔色が悪くなっていたりといった変調は見られなかった。
俺と――男とかなりの至近距離で触れあったというのに、外見上は全くいつも通りに見える。
「平気……なのか?」
「そう言っているじゃないですか」
「本当にか?」
「本当に、です」
それより、と白乃は告げた。
「急に抱き着いたりしてすみませんでした。あれが一番効果的だと思ったので」
「それは別にいいんだが……」
俺としてはまだ釈然としない。
ナンパ男を撃退するためとはいえ、俺と腕を組んで密着する。
それは少なくとも昨日の朝の白乃では絶対にできなかった行動だ。だというのになぜ今の白乃はそんなことができたのか、俺にはわからない。
「……白乃。まさかまた無理をしているのか?」
一人で何かを抱え込みやすい白乃のことだ。表情に出していないだけで不調を隠している可能性もある。
俺の問いに、白乃は何かを考えるように視線をさまよわせて。
「そういうわけではないんですが……まあ、論より証拠ですね」
いきなりだ。
がっし、と白乃の小さな手が俺の手を掴んできた。
「は、白乃!?」
今の俺の手はスマホを触るためにビニール手袋を外してある。つまり素手だ。その状態で手を繋いだら大変なことに――
「……む?」
ならない。
しばらく手を握っていても、白乃の手が震えたり、冷や汗が出たりといった症状は現れなかった。
「こういうことです」
どこか得意げに言う白乃に、俺は思わず尋ねた。
「まさか白乃、男に触れても大丈夫になったのか!?」
だとすれば凄いことだ。正直しても信じられない。昨日までは俺に触れるだけで嘔吐寸前までいっていたというのに。
「さすがにそこまでは。ただ、昨日一晩中ずっと千里さんと一緒にいたことで、千里さんだけは大丈夫になったみたいです」
「そ、そうか。……ああ、それで昼の教室でのことも」
「はい。全然平気で、むしろ最初は千里さんがどうして慌てているのかわからなかったくらいです」
ようやく腑に落ちた。教室では俺の不注意から抱き合うような態勢になってしまったが、どうりで白乃が平然としていたわけだ。
昨日の台風で、白乃は暗闇への恐怖から俺にずっとしがみついていた。
夜は寝落ちして一晩俺の肩を枕にしていた。
どうやらそのあたりの行為がショック療法の役目を果たしたようだ。
「なので、見てください。今ならこんなこともできます」
と、白乃は握ったままの手を一度離し、今度は指一本ずつを絡めるようにつなぎ直してくる。それからにぎにぎと何度もつないだり、少し離したり。
「どうですか、私も成長しているんです」
などと少し得意げに言っている。
「……白乃」
「何ですか?」
「いや、俺は白乃が恥ずかしくないならいいんだがな。これ、恋人繋ぎというやつじゃないのか?」
「あ」
言った瞬間白乃の顔がゆで上がった。
それから慌てて手を離してくる。どうやら気付いていなかったらしい。
「す、すみません……」
「いや、俺は別にいいんだが」
相当恥ずかしかったらしく、白乃の顔からなかなか赤みが引かない。
「と、とにかく」
気を取り直すように白乃は言った。
「私はもう千里さんに触れてもなんともありません」
「ああ。にわかには信じがたいが、素晴らしいことだな」
「ですから――これからはもっとちゃんとした義妹になれると思います」
白乃はまっすぐ俺を見て言った。
今までよりもほんの少し優しく、柔らかい笑みを浮かべて。
それは白乃の美貌をそろそろ見慣れたはずの俺でも言葉を失うほど愛らしく、また美しい表情だった。
「なので、千里さんも何か困ったことがあれば私を頼ってくださいね。今日みたいに」
「あ……ああ」
「約束ですよ」
念押ししてくる白乃はやはり非の打ちどころがないほど可愛らしい。
そして不思議と、昨日までよりずっと身近な存在に感じられた。
俺と白乃はきっと順調に『きょうだい』としての関係を確立させつつあった。
思えば大きな進歩だ。父さんたちが再婚した当初など俺は白乃に会話もしてもらえないほど嫌われていたというのに。
このままいけば俺たちは当たり前に家族になれただろう。
お互いの性質や境遇を受け入れて、ゆっくりと馴染んで行けただろう。
けれどこの時の俺は気付いていなかった。
その障害となり得る、大きな大きな爆弾が未処理のまま残っていたことに。
それは色素の薄い髪色をしていた。
それは口元に笑みをたたえた美しい人間だった。
それは、とある家の前にいて、簡素な便せんを手に持っていた。
それは口元を歪めて呟く。
後から知った話では、それは以下のような言葉だったという。
――会いに来たよ、白乃ちゃん。
お読みいただきありがとうございます。
長くなると踏んで分割したら文字数の割合が大変なことに。このあたりの感覚がいまだにガバガバなんですよね……
……年末までには区切りまで持っていきたいところ。