6月11日③
シャワーを浴びて出てくると、白乃はすでに夕食を作ってくれていた。
いつもより早いのでその理由を聞いたら、『台風のせいで母さんたちが早く帰ってくるかもしれませんから』と言っていた。なるほど。
「ニュースはどこも台風の話ばかりですね」
「今回のはかなり大きいらしいからな」
白乃の作ってくれた夕飯を食べながら、テレビをぼんやり眺める。
画面には土砂降りの雨の中、レインコートを着て中継を行うアナウンサーが映っている。雨量が凄まじく、冠水した道路の真ん中では半分水に浸かった車が立ち往生していた。
「……あれ、うちの近所じゃないですか?」
「そうだな」
……これ、父さんや香澄さんは大丈夫か?
特に父さんは車で通勤しているので心配だ。
などと考えるのと同時、机に置かれていた白乃のスマホが鳴った。
「母さんからLINEです」
「香澄さんか。何だって?」
「えっと……『新幹線が止まったから帰れないー(´;ω;`)』だそうです」
「そうか……」
そういえば、香澄さんは出張だと言っていた。この雨や強風では新幹線が止まってもおかしくない。
「幸いホテルが取れたので一泊してから朝早く戻るそうです」
「わかった。まあ、泊まるところが確保できたならよかった」
早い時間の新幹線に乗れれば、明日の出勤には間に合うだろう。
そんなことを考えていると、今度は俺のポケットでスマホが振動した。
通話だ。画面には父さんの名前が表示されている。
俺は通話ボタンをタップした。
『今日は帰れん』
終わりか。
「待ってくれ父さん。もう少しちゃんと説明してくれ」
俺が通話相手に詳細を求めると、聞きなれた重々しい低音が返ってくる。
『台風のため、同僚が早く帰った。そのぶんの作業が遅れている。それを俺が引き取った。おそらく朝までかかるだろう』
「……なるほど」
父さんの職場は仕事が多く、残業は職場に泊まることもけっこうある。
そういう職種なのだ。
単なるブラック企業というわけではなく、それに見合った給料はもらっているようだが。
「わかった。気をつけて」
『ああ』
「明日の朝には帰ってくるなら、朝食は好きなものを作っておくが」
『……ホットケーキは可能か』
「ああ」
『頼む』
「わかった」
通話終了。
またはちみつのストックがなくなるな……
「充さんは何て言ってましたか?」
「今日は帰れないそうだ。」
「………………、ということは」
「……まあ、そうなるな」
つまり、俺と白乃は(おそらく)明日までこの家に二人きり。
すす、と白乃が座ったまま椅子ごと俺から距離を取った。
「そうですか。別に問題はありませんが。どうせ食事のあとはお互い自室に戻るだけですし」
「本音が行動に出ているぞ」
「部屋には鍵もかかりますし」
「俺はいまだに警戒されているのか……?」
さすがにショックを禁じ得ない。
白乃はばつが悪そうに、
「……すみません。千里さんが何かするはずない、と頭ではわかっているんですが」
「いや、気にするな。むしろ俺に気を遣って平気なふりをされるほうが困る」
白乃は何かと一人で抱え込む性質がある。男嫌い――もとい、男性恐怖症を実の母親である香澄さんにも打ち明けていないことからもそれは間違いない。
嫌なことは嫌と言ってくれた方が俺としては気が楽だ。
「……ありがとうございます」
と、小さな声で白乃は言った。
そのままとりとめのない会話をしながら食事を進めていく。
不意に、窓の外で稲光が見えた。次いで耳の奥に届くような轟音。思わず窓のほうに視線を向ける。
「……今の、かなり近かったな」
「そうですね。台風のときに雷が鳴るのは珍しいような気もしますが」
と、白乃は動じた様子もなく言っている。
俺が意外に思っていると、白乃が怪訝そうに「なんですか」と訊いてきた。
「いや、白乃は雷とかは特に怖がらないのかと思ってな」
「落雷で死ぬ確率は隕石より低いそうですから」
「合理的な考えだ」
白乃は理系なのだろうか。
「ですから、怖くはないです。……雷自体は」
「そうか――ん? 今何か妙な言い回しをしなかったか」
「……気のせいです」
目を逸らす白乃の様子が、妙に気になった。
俺の一日はある程度パターン化されている。
夕食後は洗い物や片づけをし、しばらく居間のソファに腰かけてニュースを眺め、八時になったところで自室に引き上げて勉強。
という流れでいつも通り勉強机に向かった俺は、翌日の予習――ではなく一か月半ぶんの復習を行っていた。
期末テストまであと二週間と少し。
そろそろ対策を始めておく必要がある。
まだ試験日程も配られていない状態では気が早いような気もするが、今回はいつもと事情が違う。
(……先輩の威厳というわけではないが、あっさり負けては恰好がつかんからな)
というのはもちろん白乃の友人、隠岐島との点数勝負の話だ。
普段は競う相手などいないので少し楽しみでもあったりする。
負けるのは構わないが、せっかくならいつも以上に頑張ってみるのもいいだろう。
そんなわけで気合を入れて勉強をしていると。
どかん、と盛大な雷鳴が響いた。
「うお」
思わずそんな声が出てしまう。かなり近くなかったか?
そして数秒後、ふっ、と視界が暗くなった。
(……停電か?)
まさかさっきの落雷が原因じゃないだろうな。
しばらく待ったが、照明が再点灯する気配はない。
まあ、ひとまず非常用の懐中電灯でも取りに行くか。神谷家では災害時のためにその手のものが居間に常備されている。
スマホのライトを点ける。立ち上がる。部屋を出る。
ついでに白乃の部屋をノックして声をかけておくか。
声をかけても『ご心配には及びません。復電までじっとしています』という感じの冷静な反応が返ってくるだけだろうが。落雷で眉一つ動かさない白乃が暗闇を怖がるとも思えない。
そんなことを考えながら部屋を出たのとほとんど同時、軽い衝撃が俺の身を襲った。
「お」
「……」
どん、と俺の胸のあたりにぶつかった人影はそのまま俺の服を強く掴み、荒く息を吐いている。俺はその人物にぎょっとして思わず尋ねた。
「は、白乃?」
「……」
俺の胸倉を掴んでいる小さな手の主は間違いなく白乃だ。
距離が近い。普段の白乃なら絶対にやらないような――つまりほとんど俺に抱き着くような態勢だった。風呂を上がってまだ時間が経っていないのか、強いシャンプーの香りが漂ってくる。
白乃は何も言わない。
「お……おい。どうした」
「……離れないでください」
「……?」
「駄目なんです」
「何がだ」
白乃の手が震えている。
声も揺れている。
「暗いところ、ほ、本当に苦手なんです。お願いですから近くにいてください」
白乃の四つ目の弱点を見つけた瞬間だった。
……お久しぶりです。
更新再開ができるほどストックがあるわけでもないのですが、月一更新くらいはキープしていきたい所存です。




