6月4日⑦
LINEで『迎えに行くから保健室にいろ』と送ったら『わかりました』『すみません』と、思っていたより素直な感じの返信が来た。
……てっきりお節介だとか余計なお世話だとか言われると思っていたが。
すでに球技大会は終わっている。
我がB組は俺の不在などものともせず、みごと対戦相手のF組を破って学年優勝を達成していた。まあ、信濃がいれば俺などいなくてもじゅうぶんなのだろう。
試合に出られなかったことを責められるかと思ったが、特にそんなことはなく、むしろクラスメイトたちは白乃のことを心配してくれていた。
ありがたい話だ。
そんなことを考えながら校舎内を移動し、一階端の保健室に到着する。
「失礼します」
「ああ、来たわね」
保健室に行くと、白乃はベッドのふちに腰かけており、その隣には養護教諭がいた。
「橋本先生。救護テントはもういいんですか?」
「ええ。向こうはだいたいみんな普通に帰ったわ。病院に行かなきゃいけない子もいたけど……この子は大丈夫そうね」
「はい。ご心配おかけしました」
と、白乃が上品に笑う。俺はほっと胸を撫でおろした。倒れたときはどうなるかと思ったが、白乃の症状はそこまで重くなかったようだ。
「本当は車で送ってあげたいところだけど……」
「いえ、大丈夫です。タクシーを呼ぶので」
「……学校側はお金、出せないわよ?」
「構いません」
どのみち父さんが後で聞いたら、俺がいらないと言ってもタクシー代は返ってくるだろう。
「白乃。もう帰る支度は済んでいるか」
「はい。荷物もみくりちゃん――友人たちが持ってきてくれましたから」
ならいい。俺はひょい、と白乃のそばに置いてあった通学鞄を持ち上げた。白乃は一瞬驚いたような顔をして、「ありがとうございます」と小さな声で言った。
「では、失礼します」
そう言い、俺たちは保健室を出る。
タクシーを呼んだあと、俺たちは校舎の中で少し待つことにした。校門で待ってもいいが、無駄に暑い思いをするのは今の白乃には厳しいはずだ。
「あと五分ここで待ってから、外に行こう」
「わかりました。お世話をかけます」
そう言い、白乃は小さく頭を下げてくる。俺は目を瞬かせた。
「……やけに素直だな。普段なら『ここで待つのは構いませんが三メートル以上離れてください』と言うところだろう」
「言ってほしいんですか?」
「言わなくていいが……まさか、まだ気分が優れないのか?」
もしそうなら、今すぐ保健室にとんぼ返りする選択肢もなくはない。
「……、千里さんが」
白乃は少しの間俺をじっと見て、それから言った。
「千里さんが私にそこまで優しくしてくれるのは、お義母さんのことがあるからですか?」
白乃に予想外のことを言われ、目を見開く。
なぜそんなことを知っているのだろう。いや、別にうちの父さんには隠す理由はないのか。
――俺の実母は、一年と少し前に亡くなっている。
女性しか罹ることがなく、しかも発見の難しさで知られる種類の病気によって。
俺も、父さんも、母さん自身さえその病気に気付かなかった。気付いたのは母さんが腹を押さえて倒れたあとだ。すでに手遅れだった。そこから半年生きて、母さんは死んだ。
それから俺は、『目の前で女性が倒れる』ことに恐怖を感じるようになった。
「友だちから聞きました。千里さんは校舎の二階から飛び降りてまで、必死に私を保健室まで運んでくれたそうですね。他にも、私に目をつけていた赤城という先輩も遠ざけてくれました」
「……ああ」
白乃はまっすぐに俺を見て、
「私を助けてくれるのは――私を、お義母さんと重ねているからですか?」
そう、尋ねてきた。
俺が白乃を助けようとする理由。白乃に世話を焼きたがる理由。
俺は少し考え、こう答えた。
「そうだな。俺は母さんを亡くしたときに後悔した。身内の俺が気を張って、いろんなことを察してやらなくては、とも思った」
「……そうですか」
「だが、それだけでもない」
「?」
苦笑して、俺は続ける。
「一緒に暮らし始めて間もないが、白乃はもう俺の家族だぞ。気にかけるのは当然だろう」
「…………、」
白乃は澄んだ瞳で俺を見る。しばらく俺の顔を凝視してから溜め息を吐いてきた。
「はー……」
「何だその反応は」
「いえ。これはもう、諦めたほうがいいのかなと」
「諦める? 何をだ?」
「千里さんに嫌われるのを、です」
……? 白乃は何を話そうとしているんだ?
「……私が男性に苦手意識があるのは知ってますよね」
白乃の言葉に頷く。
「私がクラスで猫を被るのは、男子を遠ざけるためなんです」
「……よくわからないが、俺相手とは対応が違うとは思う」
「あの態度でいたらすぐ孤立して虐められますよ。男子を敵に回さないためには、それとなく距離を取るのが一番マシなんです」
虐めのターゲットになれば面白半分の男子が自分に触れようとしてくるだろう――白乃はそう告げた。考え過ぎだろう、とは言えなかった。
「ですが、千里さんは出会ってすぐその猫かぶりを見抜いてしまいました。だから、どうにか引き離そうと攻撃的な言動ばかりしてきましたが……全然嫌ってくれませんし、優しくしてくるばっかりですし」
「普通にしているつもりなんだが」
「言っておきますが、うちのクラスで千里さん『シスコン眼鏡先輩』って呼ばれてますからね」
「ふむ。間違ってはないな」
「……ほんと恥ずかしいのでやめてくれませんか」
白乃は少しだけ顔を赤くして半眼を向けてくる。
「……まあ、そういうわけでもう私は諦めました。これからは普通のきょうだいとして千里さんと接することにします」
「………………、」
……普通のきょうだい?
「それはつまり、話しかけてもいいということか」
「……まあ、いいです」
「近づいてもいいということか」
「……そうですね」
「触れてもいいということか?」
「その質問すごい嫌なんですが……まあ、状況によっては」
なるほど。よくわかった。
俺は頷き――
「白乃、保健室で熱を測ってこい」
「……たぶん私が悪いんでしょうが、すごく腹立たしいリアクションですね」
俺に対して見るな寄るな話しかけるな、というスローガンを掲げていた白乃の発言とは思えない。
白乃は、はあ、と溜め息を吐いた。
「まあ、行動で示すしかないんでしょうね。……そろそろタクシーが来ますね、千里さん」
「そうだな」
「私の鞄持って、後ろ向いて、少し屈んでください」
「? ……こうか」
白乃に言われた通りにする。なんだこの状況。
直後。
――どんっ、と勢いをつけて白乃が俺の背に乗ってきた。いわゆるおんぶの態勢だ。
やわらかくて温かい感触が背中に発生する。
白乃の息遣いが耳元に聞こえる。
「は、白乃?」
「……体調が悪いのでこのまま校門まで運んでください。なんですか。女の子に向かって重いとかいうつもりですか」
「いや軽いが……」
いきなり後ろからのしかかってくるというのは、昨日までの白乃では考えられない行動だ。俺は動揺し、そして、ふと気付いた。
俺の肩を掴む白乃の手が、小さく震えている。
「……お前、無理してるのか」
「そうですよ。無理してるんです。私が歩み寄るっていうのはこういうことなんです」
「なら――」
「……でも、千里さんがあんなに優しくしてくれるなら、私だって頑張らないといけないじゃないですか。きょうだいなんですから」
降りないという意志表示をするように、白乃は俺の肩を掴む手に力を込めてきた。
俺はまだ、白乃のことをほとんど知らない。どうして男が苦手なのかも。
だが、頑張ろうとしているのはわかった。
「偉いな、白乃は」
「……すぐ甘やかしますね、千里さんは。私のこと」
「シスコンだからな」
「もしかして根に持ってますか」
そんなことを言い合いながら、俺は白乃を背負ったまま校門に向かって歩いていく。
今日の夕飯は俺が作るとか、それなら冷たいものがいいですかとか、そういえばお前は蕎麦とそうめんどっちが好きなんだとか――そんなことを話しながら。
背中に触れる白乃の体は、予想よりずっと温かかった。
お読みいただきありがとうございます。
千里「やたらオレンジの匂いがするんだが」
白乃「……死ぬほど制汗シートで体拭かれたので」
千里「体を……?」
※タグ変更に関するご報告※
昨日感想欄で忠告をいただきまして、タグに『胸糞展開注意』『シリアスあり』を追加しました。
あまり過激なものはヒューマンドラマ、というジャンルに設定するのが不文律だったんですね……知りませんでした。すみません。
ジャンル変更はぎりぎり必要ない、と思っているのですが、具体的な話をどこまでしていいものか判断がつきかねます。
気になる方は、感想欄での作者の質問対応(『○○展開はあるの?』など)をご覧いただければ……
本当に、ご忠告ありがとうございました。
今回で球技大会編は終了です。