6月4日⑤
本日三回目の更新です。
「おっ、神谷兄じゃん! 例のアレ見たぜ!」
「スカッとしたわー!」
「あ、ああ」
クラスメイトたちが温かい声をかけてくるので、座ったまま曖昧に応じる。
例のアレ――というのを聞き、俺は内心で首を傾げていた。赤城の件のことだと見当はつくが、その場にいなかった生徒からも『見た』と言われるのはなぜなのか。
「さっきから、みんな何の話をしているんだ……?」
「まあまあ。気にしない気にしない」
正面に座っている信濃がスマホをいじりながらそんなことを言っている。
この反応は、何か知っているんだろうな。画面を見ながら「いい感じに燃えてる燃えてる」と笑っている。……一体何を見ているんだこいつは。
D組との戦いに勝利した俺たちB組は、教室に戻ってきていた。
バレーコートは他学年も使うので、その兼ね合いだ。コートが空き次第、校内放送がかかって呼び出されることになっている。
そんなわけで今は昼食中。俺は白乃が作ってくれた弁当を、信濃は購買で買い込んで来たらしい大量のパンやおにぎりを口にしている。
「それにしても、教室はいいねえ。冷房あるし」
「まったくだ」
信濃の言葉に同意する。
今日は雲一つない晴天で、最高気温は三十度以上。
熱中症になる生徒が大勢いると見越して保健室は封鎖され、グラウンドの日陰になっているあたりに救護テントが設置されている。さっき通りかかったときには、多くの生徒がテントの中に収容されているのが見えた。
「当然対策もしているがな。レモンのはちみつ漬けと塩飴を持参している。食うか?」
「相変わらずマメだね。……レモンのはちみつ漬けちょうだい」
レモンのはちみつ漬け入りの瓶を保冷バッグから取り出し、信濃に渡す。どうでもいいが、せっかく作ったのに白乃には受け取ってもらえなかったためやや数が多い。
「まあ、ボクはありがたいんだけどさ。こんなの用意してくるってことは、」
信濃はそれをぱくつきながら――
「……やっぱ千里、お母さんのことまだ気にしてる?」
普段の悪戯っぽい雰囲気を引っ込め、静かな笑みで信濃がそんなことを聞いてきた。
俺は一瞬言葉に詰まったが、苦笑する。
「……、考えすぎだ。単なる気まぐれだよ」
「そう? ならいいけど」
それきり信濃はその話題には触れなかった。
ところで、B組を含む二年の教室は、グラウンドと通路を挟んだ校舎の二階にある。その窓際に座る俺たちからすれば、これから試合に向かう生徒たちの姿が見える。
窓の外を見る信濃が、あ、と声を上げた。
「白乃ちゃんみっけ。これから試合かな?」
信濃の視線を追うと、校舎とグラウンドの間の通路に見慣れた白乃の姿があった。周囲にはぞろぞろ生徒がいるので、信濃の言う通り、これから試合なのだろう。
「観戦しに行く?」
「行きたいが、見つかったら怒られそうだからな……」
今朝の白乃の運動音痴っぷりを見る限り、俺に観戦されて嬉しいとは思うまい。
などと話していると――いきなり。いきなりだ。
ふらり、と白乃の体が揺らいで、倒れた。信濃が驚いたように席から立ち上がる。
「うわ、白乃ちゃんどうしたんだろう。何かに転んだってわけでもなさそうだけど――」
ここで俺は勢いよく窓を開けた。
ここは二階だ。高さにしておよそ三メートル。問題ないだろう。窓枠に足をかける。
「ちょっ、千里!?」
慌てた信濃の呼び声を無視して、飛び降りた。
「……っ」
だんっ! と音を立てて着地。白乃のいるほうに走り出す。
目的地までかかった時間はおよそ十秒。
その十秒で、俺の脳裏にいくつかの光景が浮かんだ。目の前で女性が倒れるというのは俺にとって最大級の地雷だ。冷静さが失われていくのが自分でわかる。
「白乃!」
いきなり駆け寄ってきた俺に、白乃を取り囲んでいたクラスメイトらしき生徒たちが驚いたように道を開けた。
呼びかけても、白乃から返事はない。意識はあるようだが……
(――焦点が曖昧。脱力。著しい発汗)
おそらく日射病だ、と結論付ける。
「あの……白乃ちゃん、ずっと体調が悪そうにしてて。けど、大丈夫って言ってて、それで」
内巻きの茶髪を伸ばした女子生徒が顔を真っ青にして言ってくる。
白乃は今すぐ救護スペースに連れて行くべきだろう。だが、とても歩ける状態にあるようには見えない。……となるとこうするしかない。
内心で白乃に謝って、ぐったりした白乃の体を抱き上げた。
こんなに汗をかいているのに、白乃の体は不自然なほど冷たい。
途端に周囲にいた白乃のクラスメイトらしき男子が止めにかかる。
「ちょっ、何してるんすか!? 神谷は男に触られるのが苦手って――」
「――そんなことを言っている場合じゃないだろう! 白乃が今ここで死んだら、お前に責任が取れるのか!?」
……やってしまった。
俺が怒鳴ったせいで、周囲の生徒たちが全員言葉を失っていた。くそ、何をしているんだ俺は。こいつらも、悪気があったわけじゃないだろうに。
「な……何すか、急に」
彼らには、俺の反応が過剰に見えただろう。
目の前の人間が『死んだら』なんて、本気で考える人間はいない。実際に体験でもしない限り。
「……白乃には、後で謝るつもりだ。声を荒げたりして済まなかった」
「い、いえ」
呆然としている白乃のクラスメイトたちの前で、白乃を横抱きに持ち上げる。
それからさっき声をかけてきた茶髪の女子に「次の種目、白乃はメンバーから外してくれ」と告げ、俺はその場を後にした。
お読みいただきありがとうございます。
この日から千里の通り名が『シスコン眼鏡先輩』になったのは別の話。




