異世界無人島生活 第9話 海に生きるもの、陸に生きるもの
薄くなった月明かりがわずかに黒い海中を白くぼんやりと和らげる中、シーラは気もそぞろに泳いでいた。
どぷん、と上から音がして、二人の海人族が海上の岩から、ゆらりゆらりと下りてくる。
下半身が蛸の女と、下半身がウツボの男だ。
女の方はシーラに気づいて、二言三言、男に何やら言うと、男の方は巨大な蛇のような下半身をうねらせながら、独り海底へと消えていった。
「シーラ、どうかした ? なんだかふらふらと泳いでるけど……」
「……リュース、今日さ……」
恐らくは岩礁の上で、綺麗な月でも眺めながら恋人のウツボ男と絡み合い、イチャついてきたであろう赤い髪の豊満な女にシーラは今日の出来事を語った。
「……わざわざ黄金マグロを狩れる遠洋まで行って今日中に帰って来るなんて……さすが鮫の海人ね」
あきれたようにリュースは言った。
「……せっかくだから美味しいもの食べさせてあげたくて……」
シーラのはにかんだような口元から、鋭い歯がのぞく。
「それにしても数多の海人の男からのお誘いを断って来たシーラが、そんなに尽くす女だったとは思わなかったよ」
「私は……あまり海人族の男と合わないのよ。パパが人間だったからかもしれないけど……」
「へえ ? 例えば ? 」
俯くシーラにリュースは面白そうに問いかけた。
「この前、声をかけてきた男は……結構カッコよかったけど……結婚してるのを隠して近づいてきたわ」
「腐ってるわね。多分、鯖の海人よ ! すぐ腐る魚だけど、中味もそうなのね ! 」
リュースは憤る。
「その男の前に友達に紹介してもらった男は……他人の悪口ばかり言って……嫌な人だったわ」
しかめっ面のシーラ。
「毒のある魚……。結構候補があるわ……」
「自分の思い通りにならないと、すぐにふくれっ面になってた……」
「フグで決まりね」
リュースは確信を持ったのか、納得したような顔となる。
「それから……出会ってすぐに抱き着いてきた男もいた」
「……それも鯖ね。腐りやすいから足が早いって言うけど、手も早かったのね」
「まだあるわ。数年前に叔母さんから紹介された男は二十五歳だって聞いてたのに、実際に会ったらどう見ても四十台のオッサンだったのよ……」
「年齢のサバを読んだわけね。……でも当然断ったんでしょ ? 」
「もちろんよ。すげなく断ってやったわ ! そうしたらその男、なんて言ったと思う ? 」
「……お前みたいにサバサバした女はこっちからお断りだ ! とか ? 」
「ちがうわ。『殴ってやろうか !? 』って脅してきたのよ。冗談じゃないわ。叩くのがうまいのはカツオかアジでしょうに」
「とりあえずあんたは鯖の海人と縁がフカいのが良く分かったわ。鮫だけにね」
リュースは大きく首を横に振って、肩をすくめた。
シーラは憮然として友人を睨むが、それでも言葉を続ける。
「……そんなことはどうでもいいのよ。私が五歳の頃、ママが人間の男を虜にする方法を色々と教えてくれてたんだけど……」
(五歳の女の子になんてこと教えてやがるのよ…… !? )
懐かしそうなシーラの顔に、喉まで出かかっているツッコミをリュースはなんとか飲み込んだ。
「ママがパパと結ばれたのはそれを実践したからって言ってたから……私もジョンにその方法を試してみたの……」
「ふーん。で、それは効果あったの ? 」
「……わかんない。でもその時のジョンは……なんて言うか、無表情で……わざと感情を出さないような感じだった。でも……ママの教えを破って……彼を心配して陸に上がったり、一緒に美味しい魚を食べた時は……笑ってたの…… ! その笑顔を見てたら……なんだか私も嬉しくなっちゃって……」
シーラは海中を揺蕩うワカメのようにその身をくねらせ、言葉をつづけた。
「だから……おかしいのよ。ママの教えに反した時の方が……ジョンと近づけたと言うか……仲良くなれた気がして……」
「……つまりあんたは絶対であるはずのママの教えが間違ってるんじゃないかって言いたいの ? 」
シーラは躊躇ったものの、小さく頷いた。
「なるほどね……。じゃあとりあえずそのママの教えとやらを言ってみて」
リュースの言葉に従ってシーラは、つらつらと母の教えを述べていく。
次第に体色を自在に変化させることのできる蛸の海人である彼女の身体は、その感情に呼応して、青くなっていった。
「……もういいわ。大体わかったから」
「え ? まだあるんだけど……」
不思議そうなシーラに、リュースは盛大に溜息を吐き、大きな泡がゆらゆらと海上に向かって浮かんでいく。
(シーラのお母さんの「虜にする方法」ってのは、女の子が男をメロメロにして自分のわがままをなんでも聞かせる小悪魔的なものじゃない……。島から逃げられないように虐待を繰り返し、心を折って自らに服従させて虜囚とする悪魔的なもの……)
「ねえシーラ。例えばだけど……あんたが人間族の男に陸地に攫われて、大きな水槽に入れられたとするじゃない」
「いきなり何 ? 」
「いいから最後まで聞きな。それでその攫った男はあんたが気に入らないことを言ったりしたら、機嫌を損ねて食事を減らしたり、食事に毒を混ぜたりするの。それだけじゃなくて、あんたがその水槽から逃げ出そうとしたら、うまく動けない床の上のあんたを捕まえて、お仕置きとして剣で切りつけてくる……そんな男のことを好きになれる ? 」
「何バカなことを言ってるのよ ! そんな男のこと好きになれるわけないじゃない ! せいぜい油断させるために媚びを売って、それから逃げ出してやるわ ! 」
想像してみて、怒りが湧いたのか元より気の荒い鮫の海人であるシーラは両手を大きく振って憤った。
「うんうん、そうよね。それが正常な反応よね」
「当たり前じゃない ! 最低よ ! そんな男 ! 」
「……その男と同じことをあんたはジョンにしようとしてたんじゃないの ? 」
「違うわよ ! ママの教えは…… ! 」
「その教えの一つ、島を脱出するために筏を作り始めたら罰として食事にフグしか持っていかないってのは ? 自分で勝手に食料調達しないように釣りをし始めたら、こっそり海中で釣り針をちぎりとるっていう地味に頭にきそうな嫌がらせは ? 」
「それは……私達の縄張り以外の海にはモンスターもいるから……危険な目に遭わせないためよ…… ! 」
「そう ? じゃあ万が一、筏で海に出たらお仕置きとして海中に引きずり込んで身体を噛みちぎるっていうのは ? 」
「優しく噛むから大丈夫よ…… ! 」
「……噛みちぎるのに優しくも何もないと思うけどね……それに……あんた達、鮫の海人がちょっと噛んだだけで我慢できるとは思えないわ」
「でも……」
シーラは黙り込む。
自らの身に置き換えてみると、確かにリュースの言う通りであるような気がしてきたし、自分が人間の血の匂いを嗅いで正気を失ってしまう可能性も否定できなかったからだ。
「……あんたのママの教えを実行すれば、ジョンを……人間を島に縛り付けておくことはできるかもしれない。でも……それは幸福な在り方じゃないと思うわ。ジョンにとっても……あんたにとってもね……」
「じゃあ……どうしたらいいの !? 何もしなければ彼は出て行ってしまうのに…… ! 」
「仕方のないことよ……。私達が陸上で生きていけないように、人間も海の中では生きていけない。そう定められているの。そうできているの。それを無理に一緒になろうとすれば、どちらかが酷い我慢を強いられることになるのは自明の道理よ。私達と人間とは……あまりにも違いすぎる。……少しの間、一緒に過ごして、思い出をつくるくらいにしときなよ……」
「そんな……でも……でも……じゃあ……ママとパパは…… ? 」
その問いに、リュースは答えなかった。
彼女が薄々、気づいていたことではあったが、幼い時に帰って来なかった母を想い続け、それゆえその言葉を絶対視していたシーラには言い難いことを色々と勢いで言ってしまったが、それでもそのことだけは言えなかった。




