異世界アイテム無双生活 第72話 交渉
「……午前二時か……変な時間に目が覚めちまったな……」。
コウは腕時計の光る文字盤を見て溜息をついた。
「……一体どういう状況だ…… ? 」。
箱庭テント内の円形ホールのソファーに座っていたところまでは覚えていたコウだが、その後がわからない。
現在の彼の居場所はビジネスホテルの一室を思わせる簡素な自室の広いベッドの上。
いつの間にか寝間着の浴衣に着替えている。
そして問題なのは、女性が彼の隣で大きめの寝息を立てていること。
枕元にある明かりを絞り気味につけて、彼は彼女を眺める。
肩まではないくらいのブラウンの髪。
あまり日本人受けはしないような、とても目鼻立ちのはっきりした彫りの深い顔。
パジャマを纏った三メートルほどの大きな身体をすこしだけ丸めてベッドから足が出ないような姿勢をとっている。
そしてあるところで彼の視線は固定される。
(巨人族とのハーフだから身体が大きいのはわかるけど……胸も特大だな……)。
コウは寝ころんだまま、もう少しだけチェリーに身体を寄せた。
(さ、さわっても大丈夫だよな…… ? チェリーの方から迫ってきたこともあるし……)。
薄明かりの中、コウは恐る恐る横たわる大きな山に手を伸ばすが、その緩やかな動きは途中で止まってしまう。
(ダ、ダメだ…… ! 寝てる女の子に何をしようとしてるんだ俺は…… ! )。
頭を軽く振って手を引っ込めようとする彼に、ふいに声がかけられた。
「何を躊躇っているのですか…… ! 勇気を出して揉んでしまいなさい…… ! 」
「ぐおっ !? 」。
口から心臓が飛び出そうになったコウが声のした部屋の暗がりを見ると、そこには魔法人形のぺぺが立っていた。
「何だ……ぺぺか……びっくりさせるんじゃねえよ……」。
「……さっさと触ればいいのに……この臆病者が…… ! 」。
無機質な音声がコウを非難する。
「何言ってるんだ……ちゃんと許可をとらないと……」。
「あなたこそ何を言ってるんですか ? チェリーに『おっぱいを揉ませてください』とでも言う気ですか ? そんな交渉術では許可されるはずの案件も許可されませんよ ? 」。
「……じゃあ文書で許可をとるのはどうだ ? 」。
「稟議書でも提出する気ですか ? 件名はどうするんですか。『性欲充足のために貴女の胸を揉ませていただく件についての許可願い』とか ? 」。
「いや……件名はもう少しシンプルにした方がいいな」。
コウはベッドに胡坐をかき、腕を組んで思案顔になる。
「……どうでもいいけど、私の前で私の胸を揉むか揉まないかで議論するのやめてもらえる ? 」。
「ひぃっ ! 」。
コウの口からは心臓ではなく、情けない声が飛び出したが、慌てて平静をとりつくろう。
「お、起きてたのか……」。
「……ええ。あなたが私に手を伸ばしてきた時くらいからね……」。
ゆっくりと大きな身体を起こすチェリー。
「ごめん……」。
「……別に触ってもいいけど……その代わりに……私の欲しいものをくれたらね」。
チェリーは真剣な顔で、コウを見つめる。
「……何だ ? 」。
彼女は一度深呼吸してから、再び話しだす。
「……私が欲しいのは……『ここ』よ。今みたいな……この場所が欲しいの」。
「ここ ? 『箱庭テント』が欲しいのか ? 」。
首をかしげるコウ。
チェリーはゆっくりと首を横に振る。
「今は『箱庭テント』のベッドの上だけど……明日はきっと街道で、明後日は妖精の国で、時には戦場だったり、食卓だったりすると思うわ……。あなたが居る場所よ……。私は……ずっとあなたの隣に居たいの……。あなたの隣が……私の生きていく場所なの……」。
到底、躱すことのできない純粋でストレートな想いを突如告げられて、コウは彼女の真っすぐで力のこもった大きな瞳を茫然と見つめ返した。
彼の視界が思いつめた顔だけになるほどに迫る彼女を抑えて、それからこの場においては確実に惨劇を招くであろうその場しのぎの言葉を発しようとして上げた彼の両手が、何か柔らかくて温かいものに触れる。
「あ……」。
「……交渉成立ね……」。
「…… ! 」。
コウは何かを言おうとしたけれど、その口を塞がれて果たせなかった。
魔力以外の身体能力はごく普通である彼では本気になったジャイアントハーフの女を止めることなどできるはずもない。
重なる二人を魔法人形のガラス製の瞳だけが、無感動に見ていた。
妖精の国。
ライノはいつものように朝日が昇る前に目を覚ました。
今日も晴れか、と窓の外を見た少年は心の中で呟いて納屋を出る。
そしてバスタブのような大きな木の箱を載せた大八車の先端にある口の字型の枠の中に入り、それを牽いて彼は進む。
暗い道をゴトゴトと大八車の行く音によってか、小さな動物達が慌てて茂みへと隠れた。
ライノはそれを愛おしそうに見つめるが、仕事が優先だ。
やがて道の先に幅二メートルほどの浅い川が見えてくる。
彼は大八車を川べりに置いて、荷台に積んだ大きな木の箱から桶を取り出し、川の水を荷台の箱に汲み始めた。
素早い動きによって、程なくして木の箱は水で満たされると、その手の桶を箱の中の水に投げ入れて、再び少年は大八車を牽く。
次の目的地は花畑だ。
太陽を存分に浴びる頃には満開になる花達も、この時間はまだ眠っている。
今の内に水を撒いてしまわねばならなかった。
ライノは川から汲んだ大量の水を今度は桶を使って花畑に撒いていく。
雨ならば必要のないこの作業も一週間以上続く好天とあっては、毎日やらざるを得ない。
何度か往復して、ちょうど広大な花畑の半分ほどを潤した時にはすでに朝日が昇っていた。
(あとの半分は日が落ちてからにしよう)。
そう思って、彼はしばし花畑の傍で佇む。
開き始めた色鮮やかな花々を眺めるのは、彼の少ない楽しみの一つであった。
しばらくすると花畑の上を何かが飛び回り始める。
それをきっかけにライノは再び川へと大八車を牽いて向かった。
次の仕事は作物の畑の水やりだ。
花畑に比べれば、そこまで広くない畑とはいえ、作業が終わった時は昼前だった。
(後は草むしりと薪の用意か……。でもその前に食事にしよう……。お腹がペコペコだ……)。
少年は手ぶらで畑の奥のまだ開拓されていない深い茂みへと向かう。
そして姿勢を低くして動きを止めていたかと思うと、何の躊躇もなく茂みへと頭から飛び込んだ。
しばらくして茂みから出て来た彼の手には血まみれのウサギが握られていた。
(近くに獲物がいて良かった……。探しに行く手間が……)。
ガン、と不意に彼の頭に何かがぶつけられる。
慌ててライノが辺りを見渡すと、十メートルほど離れた場所で身なりの良い少年が何かを投擲したままの体勢で、怒りの表情でこっちを睨みつけていた。
ライノの足元に転がる拳大の石は彼が投げたのだろう。
「おまえ……ウサギになんて酷いことをするんだ ! 」。
溢れる正義感によって興奮気味の少年はライノに詰め寄る。
すぐにライノはその場に跪き、人間の少年に弁明をなさねばならなかった。
「モモウシワケ……ゴゴザイマアセン……。デデススガ、ボクハナマニクシカ……」。
言葉を話すには不向きとしか思えない、鋭い牙の並んだ口を懸命に動かして弁明するライノの様子は、人間の少年の怒りに油を注いだだけだった。
「言葉もまともに喋れない劣等種族が…… ! 懲罰をくれてやる ! ペイン !! 」。
少年が叫ぶと同時に首に撒かれた黒い鎖から火花が飛ぶ。
「ギャ !! 」。
ライノは短い悲鳴をあげて転がりまわる。
「ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! ペイン ! 」。
最初の義憤はどこへやら、少年は痛みにもがくライノの様がひどく滑稽に思えて、その嗜虐的な欲求を満足させるために、彼の首に巻かれた奴隷用のアイテムを発動させ続ける。
しかしその少年の快楽は長くは続かなかった。
「こおおぉぉぉぉぉぉおおおらああああぁぁぁぁぁああああ !! うちのライノに何してくれてんのおおおぉぉぉおぉおおおおお !!!!!!!!!!」。
虫取り網をもった活発そうな少女が二人の間に土煙を上げる勢いで割り込んだ。
「……お前のところの奴隷がウサギを残酷に殺していたから、仕置きをしてやってただけだ !! 」。
「はあ !? 何を寝ぼけたこと言ってんの !! あんたの家で食べてる料理されたお肉はこのウサギと何が違うって言うの !? 」。
ギャンギャンとまくし立てる少女の勢いに押されたのか、少年は負け惜しみを残して去っていった。
「アアリガトウゴゴザイマス……ベス……サマ」。
焼け焦げた首元の鱗をさすりながら、ライノはゆっくりと起き上がった。
「大丈夫 ? あんな奴、ぶっ飛ばしてやれば良かったのに…… ! 」。
少女は心配そうに海のように深い青色の鱗に纏われた竜人の少年を灰色の瞳で見上げた。




