異世界アイテム無双生活 第66話 それぞれの女の情念
「なに放心してんだい ! そのエルフの言う通りなら『勇者』様に触れている今が攻撃のチャンスなんだろ ! 」。
輝く朝日の中、鎮火したとはいえ焦げた木々は焦げ臭い臭いと煙をあげ、女の情念が凝り固まって形而下に顕現したかのような黄金の雌蟷螂が四匹、男の四肢にそれぞれむしゃぶりついている異様な雰囲気に当てられた皆をおばちゃんの檄が現実に引き戻した。
そしてそれに一番早く応えたのは意外にもエルフのセレステだった。
「……焔降り矢」。
瞬時に矢を弓につがえ、空に向かって放つこと三回。
朝空は撃ちこまれた矢の返礼に焔の雨を降らせた。
「焔」と「貫通強化」と「増殖」を矢に付与した「弓矢魔法」によってほぼ同時に数十本の火矢が激しい雨音のような音を立てて空気を揺らす。
矢は時間差はあれど、平等に降り注ぐ。
四匹の蟲人にも、その真ん中にいる「勇者」にも。
身体から生えた矢の焔が蟲人達を内部から焼いていく。
「あんた……『勇者』様ごと !? 」。
おばちゃんの悲鳴のような非難の声。
そして光が煌めいたが、輝く黄金の外骨格は光の精霊魔法をあらぬ方向へと反射した。
光妖精の悔しそうな声が漏れたが、すぐにそれは続く爆発音にかき消される。
こちらに迫りくる爆風と爆炎を風妖精のラナがいなし、爆煙に遮られた視界も風の精霊魔法によってすぐに良好なものとなった。
煙のはれたそこにはバラバラと散らばる金色の外骨格が朝日をはね返しながら落ちている。
その中、一匹の蟲人だけが両手の鎌で何かを大事そうに抱えながら、立っていた。
そして彼女がそれに愛おしそうに口づけした瞬間、瞬時にその両腕の中のモノは消える。
自分の時間を速めた彼女が、それを一瞬でお腹に収め、こうして「勇者」カーティスの肉体はこの世界から完全に消え失せたのだ。
「……死体や千切れた他者の肉体の一部に触れていても、自らの時間を速める「時空魔法」は使えるようね。そういう意味じゃもう少し生きたまま齧られてた方が良かったかもね」。
ちらりとセレステを見て、チェリーが言った。
「す、すみません……。マイアルペリ様の分霊様が授けた『恩寵』を試してみなさい、とおっしゃるものですから……つい……」。
恥ずかしそうに下を向くセレステ。
そこに人間族の「勇者」を巻き込んで攻撃したことへの何某かの後悔の思いは、なかった。
それは「ゴールドコレクター」とも呼ばれるほど金髪女性に執着する「勇者」が基本的に黄金色の髪を生まれ持ち、しかも被支配層であるエルフの女性に、その人間族としての、「勇者」としての立場を利用して行ってきたことをセレステがよく知っていたことと無関係ではないのであろう。
空気を切り裂く鋭い音がして、つい一瞬前まで黄金の蟲人がいた空間が切り裂かれた。
ラナの舌打ちとともに、瞬間移動したかのように離れた場所に姿を現す蟷螂人。
まだゆっくりと両開きの大顎が開閉を繰り替えている。
そんな彼女に食後のコーヒーを勧めるはずもなく、再び不可視の風の刃が迫り、その後を遅れまいと一本の矢が追う。
風切り音に、何か物体を切った音が混じり、その場に黄金色の触覚を一本残したまま蟷螂人はまた消えた。
「……仕留めきれなかった ! 時間を速めていられるのはそんなに長くないはず ! 距離をとって ! 」。
ラナの警告に一人逆らって、コウは一番前に出る。
「コウ !? 」。
「……一番防御力が高い俺が壁になる ! 俺に攻撃して動きが止まった時を狙ってくれ ! 」。
真紅の竜人の鎧を纏った彼は胸に嵌め込まれた二つの魔石の許容量限界まで魔素を通して、外骨格の強化エネルギーへと変換されたそれを全身に巡らせる。
その言葉に従って、皆は彼の後方へと移動し始めた。
蟷螂人はまだ姿を現さない。
知覚の限界を超えた速度で動き続けているのだろう。
(……頼むから俺に攻撃してくれよ……。さっきあいつの攻撃を受けてわかった。どれだけ「恩寵」を授かっている人間でも、生身であいつの攻撃を受けたら即死する…… ! 他者に触れた瞬間に時空魔法によって速めた自分の時間の流れは元に戻るとはいえ、それまで加速された運動エネルギーによる威力が消えるわけじゃない……あいつが直接相手と接触する攻撃手段しか持たないようなのが不幸中の幸いだった……もしあいつが超加速された魔法を放ってきたら対処できなかっただろうな……)。
「さあ ! どっからでも来やがれ ! 」。
自らにその黄金の鎌をふるわせるために挑発的に大声をあげるコウ。
そんな彼を嘲笑うかのように、はるか遠くに姿を現す黄金の蟲人。
「どうした !? 怖いのか !? 」。
何か反論しているのか、ずっと大顎を動かしている蟲人を遠目に見ながらコウは挑発を続ける。
しかし再び消えた雌蟷螂が姿を現したのは彼の目の前ではなく、まるで明後日の方向。
さらに森の奥だ。
そして相変わらず動き続ける大顎。
「くっ…… ! まさか蟲にバカにされてるのか !? 無脊椎動物が調子に乗りやがって…… ! 背骨が一本、肉体だけじゃなく精神にもしっかりと通った脊椎動物を甘く見るなよ ! なあポケッ……」。
コウはこの世界に転移してきてから、常に腰のウエストバッグ型のアイテムボックスに宿っていた者の名を呼びかけて、やめた。
そして小さく首を振って、改めて前を見据える。
それだけの仕草なのに、それを見ていたチェリーは彼女自身にも、どうしてだかわからないけれど、胸がどうしようもなく締め付けられた。
(……「ポケット」さんに何かあったの…… ? )。
「……コウ様、あの蟲人……段々消えている時間が長く、つまりは『時空魔法』を発動している時間が長くなっていますわ…… ! それに一度発動した後のクールダウンの時間は短くなって…… ! 」。
光妖精のゾネが異変を報告した。
「なんだと ? 」。
「それに……ずっと何かを咀嚼していますわ……。何と言うか……石のような……」。
光妖精の視力は猛禽類に伍するほど。
百メートル以上の距離にもかかわらず、その瞳がわずかな大顎の隙間から雌蟷螂の口の中の物体を見ていた。
「石 ? ……もしかして、爆散して死んだ蟲人の魔石を取り込んで……自分を強化してる…… ? 」。
そう推論した彼の眼に一瞬金色が映り、すぐに消える。
残ったのは真紅の竜人の鎧の右肩から左下への袈裟切りの痕と割れた魔石の破片。
そこから内部の衝撃緩衝用のスライム液が漏れだし、傍目には真紅の竜人が蒼い血を流しているかのようであった。
片膝をつくコウ。
攻撃によって彼に触れた瞬間、確かに雌蟷螂の時空魔法は解除された。
しかしそれはほんの一瞬にすぎず、姿を現した彼女に対する攻撃が届く前に再び彼女は時空魔法を発動させて自分だけの時の流れに逃げ込んだのだった。
そして次の瞬間、彼は仲間達から引き離されるように森の奥へと吹き飛び、着地する前に再びすさまじい打撃音とともに飛ばされる。
「ダメ ! 姿を現してから消えるまでが速すぎて私じゃ攻撃を当てられない ! 」。
ラナがすがるような目でゾネに訴えた。
どれだけ自らの時間の流れを速めて、瞳でとらえられないほどの速度で動いたとしても光の速さを超えることはできない。
ゾネもそれをわかってはいるのだが、黄金の外骨格が光を反射してしまい、光の精霊魔法の効果が薄いのだ。
(光の精霊魔法にこんな単純な弱点があるなんて……どうしたらいいの !? )。
ゾネはラナの大きな若草色の瞳を悲痛な顔で見返す。
そしてあることに気づき、再び前を向いた。
(クソッ ! 最初の一撃で胸の魔石を一つ割られたのが、まずかった ! ドラゴニュートスーツのパワーも強度も半減してる ! )。
空中を自らの意志に反して仰向けに飛び続けたコウは、久方ぶりに背中から地面に着地できた。
すぐに彼の首に衝撃が走り、外骨格と衝撃緩衝液と内皮を切り裂いて、軽く彼の生身の首に鎌が触れると同時に黄金の蟷螂が姿を表した。
仰向けのコウの頭をまたぎ黄金の大きな目の中の小さな黒い瞳孔で彼を見下ろす彼女は真紅の竜人の首にめり込んだ鎌を素早く抜く。
他者に触れたままでは「時空魔法」を発動できないからだ。
だが誰とも接触してはいないのに、いつまで経っても蟲人は「時空魔法」を発動しない。
ポタリ、と液体が落ちた。
血だ。
血の涙だ。
立ち尽くしたままの蟲人。
その黄金の両の瞳から赤い血が溢れていた。
「コウ ! 大丈夫 !? 」。
ラナとゾネが彼の元へ全速で飛んでくる。
「あ、ああ。なんとか無事だ……。助かったよ」。
コウは首の大きな亀裂を撫でながら言った。
「危なかったわね……。ゾネのおかげよ。ゾネが光の精霊魔法をこの蟲人の黒い瞳孔に撃ちこんでくれたから……」。
黄金の外骨格を持つ蟷螂型の蟲人の唯一の光を反射しない箇所、それが真っ黒な瞳孔だった。
ゾネはそこを狙い、見事に打ち抜いたのだ。
「ありがとう、ゾネ。ゾネは俺の命の恩人だな」。
「当然のことをしたまでですわ。あなたも私の命の恩人なんですから」。
すこしだけ頬を朱に染めるゾネ。
コウはゆっくりと起き上がり、「瞬着」によって真紅のドラゴニュートスーツをアイテムボックスに収納する。
「…… !? その髪、どうしたの !? 」。
「みんなからすれば一瞬すぎて気づかなかっただろうけど、あの悪魔に閉じ込められていたんだ。その空間内での千年が外での一秒だなんていう滅茶苦茶な時間の流れの異空間に。幸い一年もたたずにそこから脱出できたけど、そのせいで『ポケット』はしばらく帰省しているんだ」。
コウは昨日よりも明らかに長く伸びた髪で少しだけ寂しそうに笑った。
(散髪する余裕もなかった ? ううん、そんなはずはない。髭は綺麗に剃れているもの。きっとこれは示威行為。自分はこれだけ長い間、コウと二人で過ごしたっていう「ポケット」様の……)。
なにか凄まじい情念のようなものを感じて、ラナは思わず怯んだ。
そんな彼女達を瞳から血涙を流し続ける雌蟷螂が無言で見つめていた。




