異世界アイテム無双生活 第31話 報い
街の外。
草原。
呼吸する度に蒸発した蟻酸が喉を焼いていく。
動き疲れた身体からの要請に従って、大きく息を吸う度に大きく咳き込み、喉が痛む。
より深刻なのは「魔法使い」であった。
人間達は妖精族のように意識しただけで魔法を行使することはできない。
攻撃する場合は魔法を発動する媒体である杖に魔素を移動させ、魔力と呪文によってそれを破壊のための力へと変換させねばならないのだ。
また一人、擦れ声の「魔法使い」が呪文の詠唱を完遂できずに、アリ達に引き倒され、群がられる。
その悲鳴だけは、小さいのに何故か草原の人間達によく聞こえた。
「ぃだぁぃ……。ダズヶ……テ」。
応えられる人間は、いなかった。
「……こん……な……俺は……ドラゴンを倒すために……冒険者に……なったのに……」。
そしてまた一人、黒い胸当て鎧の男が倒れた。
周囲のアリ共は立っている人間への攻撃を中断して、一斉に倒れた者へと向かう。
それが皮肉にも他の人間に、つかの間の休息を授ける場合もあった。
「ボリス !! 」。
仲間を救うためにキャスの槍が狂ったように群がるアリ共を貫いていく。
恐らくスキルを発動したのであろう。
彼の突く槍は三本に分裂して見えた。
それだけ高速で突いたのだ。
だが、一瞬で三匹のアリを突き刺しても、次の瞬間にはすぐに新たなアリ共がボリスに群がる。
赤黒いアリ達の隙間から、顔の肉を食いむしられて真っ赤に染まった髑髏が、ちらりと覗いた。
それはキャスに何も訴えかけもしない。
言葉を発するわけもないし、言外に何か伝えてくるわけでもない。
あのやかましかったボリスが、ただただ無言であった。
キャスは嗄れ声で懸命に雄叫びを上げる。
その死の静けさに抗うように。
バキン !
大軍アリの固い外骨格と毒腺の蟻酸によって疲弊していた槍の穂先は、とうとうへし折れた。
(ああ、もう終わりだ……)。
目の前の地面はアリの黒味を帯びた赤に埋め尽くされている。
茫然と立ち尽くすキャスの脚に大軍アリの平均的サイズである体長一メートルのアリが取り付いた時、彼は思い切り襟元を引っ張られて、後ろに引きずられた。
視界のアリ達はどんどん遠くなっていくが、食べ終えたアリや、後ろから来たアリは、追走を始める。
丈夫な革ズボンですら引きずられている尻と脚が擦り切れそうだった。
「大丈夫ですか !? やるだけのことはやったんだし、逃げますよ ! 」。
自らに「敏捷強化魔法」を限界までかけたタオの擦れ声だ。
「なあ、タオ。本能の命令に逆らうこともできずに、炎の壁に突っ込む大軍アリと、「聖女」の命令に抗えずに無謀な迎撃戦を実行した俺たちと、どっちが愚かなんだろうな ? 」。
「……私達には枠組みを変えることはできません。その中で、できることをやるだけです。街の皆が避難する時間は充分とは言えませんが、稼げました。後は仲間のあなたを連れて逃げるだけです」。
噛みちぎられたのだろうか、脚からとめどなく血を流すキャスを引きずりながら、タオは大軍アリの進路から外れるために街とは別方向に草原を走っている。
ほとんどのアリは依然、街へと進攻しているが、獲物と定めた数十匹がタオ達を追う。
「……やっぱり人間族に恨みを持つ奴が大軍アリのメスアリを街に持ち込んだのかな ? 教会の方針とは言え、俺達人間は他の種族にひどい扱いをしているから……その報いなんだろうな……」。
力なく、キャスが言った。
「そうだとしたら、この街で一番に報いを受けなければならないのは教会の『聖女』のはずです ! 教会のせいで…… ! 」。
段々とキャスの視界に映るアリ共が大きくなっていく。
タオの速度が落ちているのだ。
「……タオ、俺を置いて行け。俺が餌になっている間にお前一人で逃げるんだ」。
「……ダメです。私は『人間』として戦うために、ある人の手を振り払って来ました。あなたを見捨てるなら、最初からここへ来ていません ! 」。
タオは前を向いたまま、言った。
数十匹の大軍アリの先頭はもう二、三メートル後方まで迫っている。
キャスは深く溜息を吐いてから、思い切り身体を回転させた。
それによって、襟元を掴んでいたタオの手が振りほどかれて、キャスはその場で転がる。
「キャス !? 」。
「行くんだ。これが俺の……『人間』としての在り様だ……」。
数メートル先の驚いた顔のタオに、キャスの無骨な顔は穏やかに笑んだ。
そしてすぐに六本の脚をシャカシャカと動かして追いついたアリ達が、大顎を限界まで開き、そこから汚らしい蟻酸を垂らしながら、彼に取り付こうとして、死んだ。
草原の地面から生えた数えきれないほどの茶色い槍に貫かれて死んだ。
大軍アリの外骨格は確かに腹の部分が薄いのだが、それでも数十匹のアリが、直径五センチくらいで長さは一メートルほどの土の槍にその身体を穴だらけにされて、その死骸を槍の群れに掲げられていた。
タオとキャスは、呆けたように、まだ脚だけは動いている大軍アリの死骸とそれを空中に支える土製の槍を見やるばかり。
「……間に……合った……」。
息を切らせた声の方を彼らが見ると、そこには茶色の外套に身を包んだ土妖精の少女が蹲っていた。
恐らく彼女が土の精霊魔法を行使したのであろう。
「……コウさんに言われて来たんですか ? 」。
タオがすぐに彼と友誼を結んだ四月の女神の「ヒモ」だが、「御使い」として動いている青年のことを思い出して、問うた。
「いいえ……『御使い』様が命じられたのはチェリー姐様の指示に従って大軍アリの街への侵入をなるべく遅らせることだけでした」。
まだ整わない息で、苦しそうに少女が答えて、顔をあげた。
キャスはその幼いけれど、整った顔に見覚えがあった。
「お前は……」。
「あの時、助けてくれてありがとうございました。……だから今度は私があなたを助けてあげます ! 」。
土妖精の少女、ドナは主に街でゴミ拾いをさせられていた。
朝の飲み屋街エリアは、そんな美しい少女に優しくはなかった。
何度か朝まで飲んだ酔っ払いにからまれ、時には路地に連れ込まれそうにもなった。
そんな時、たまたま通りかかった冒険者のキャスが彼女を助けてやったことがあったのだ。
何か打算があったわけでも、特別に他の種族に優しかったからでもない。
ただ少女を見捨てることができなかったからだ。
それがキャスの人間としての、男としての在り方だった。
あの時は礼も言わず、卑屈な笑みを浮かべて足早に去っていった少女は、こぼれんばかりの笑みを浮かべていた。
土妖精達は他のペットとして飼われている妖精達と違い、家族や仲間と固まって住まわされ、街で働かされていたため、比較的多くの同胞と人間と触れる環境にある。
よって土妖精の中にもアゼルの父親のような酷い者がいるし、人間の中にも時折優しさを見せる者がいることを経験していた。
「キャス……報いは悪いものばかりじゃありませんね。あなたの行いが、あなたを救ったんです」。
そう言ったタオに、キャスはほんの少しだけゴツゴツした厳つい顔の片頬をあげてみせた。
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