異世界アイテム無双生活 第30話 女王蟻
窓のない廊下。
部屋以外には照明用のアイテムを設置する習慣がないのであろうか、昼間でも暗いそこから陽の光が窓と壁に開いた大穴から降り注ぐ部屋へと足を踏み入れたそれの動きは素人の扱うマリオネットのようにぎこちなかった。
その動きの不自然さの理由の大部分は右半身と左半身の意志の疎通がとれていないことであろう。
右半身はコウ達との戦闘の継続を思い、左半身はエルフの女を欲していた。
「……クソ野郎が ! よくもやってくれたな !! 」。
「食べたい ! 食べたい ! 食べたい ! 柔らかい女食べたい ! 」。
顔の右半分のエルフの口が悪態をつくのに合わせて、顔の左半分の牙のような大顎が動き、左半分が妙に甲高い声の人語で鳴くと、右半分の口もそれに同調して動く。
その左の口からは常に液体が垂れており、強酸性なのか床に敷かれた絨毯からは煙が上がる。
ローブに覆われていない左半身は深紅であった。
硬質な外骨格に覆われて、つるりとした頭からは触覚が生え、黒一色の大きな瞳。
左腕の形状は人間とさほど変わらないが、それも深紅の外骨格に包まれている。
コウはその左半身からある生物を連想した。
最近図鑑で見たやつだ。
「大軍アリのメス…… ? 」。
コウがそう呟いた時、今まで泰然と推移を見ていたエルフの女、アデリエンヌが哄笑した。
「アハハハハハ ! さっきまでまるでエルフ王のような物言いだったけど、違ったんだね ! あんたはアリの女王様だ ! 散々私達のことを下賤だなんて言っておきながら、あんたもその身体でオスアリどもを誑し込んで、この街を襲わせてるんじゃないか ! 」。
「俺を侮辱するな !! 」。
「食う ! 」。
ジャメルの周囲に浮かんでいた五本の矢は、ソファーの腰掛けるアデリエンヌに向かって放たれた。
「アデリエンヌ様 !! 」。
驚きと恐怖の交じった水妖精の悲鳴が響く中、アデリエンヌはふわりと羽のように空中に舞う。
後ろ向きに宙返りをして回避しながら、いつの間にか手にしていた小ぶりな金属製の弓に矢をつがえ、須臾の間に魔素を込めて、放った。
「そんなもの ! 」。
「食い頃 ! 」。
左腕が自ら放った矢に比べれば随分と速度の劣るその矢を払い、動きが止まった。
「ガッ ! 」。
「グイッ ! 」。
そしてエルフの女が矢を放った瞬間から動き始めていたコウは、左拳の竜の爪を、ジャメルの外骨格に覆われていない右の胴体へと突き立てた。
嫌な感触が左手から伝わってくる。
「……下賤な女エルフには『弓矢魔法』は使えないと思った ? 」。
アデリエンヌが無表情でジャメルに言った。
矢に付与した魔素が様々な効果を発揮する高位の「弓矢魔法」。
彼女はその中で矢に電撃を加えて撃つ魔法を行使したのだ。
「アデリエンヌ様……。戦うのが嫌いなのでは…… ? 」。
茫然としたように、水妖精が問うた。
「……私が戦わないのは、戦わないことが生きるための戦いだったからよ。今は戦わないと生きられないと判断したから戦った。ただそれだけのこと」。
コウがようやく何かを飲み込んで、左拳の爪を胴体から抜くと、ドサリと床に倒れこむジャメル。
みるみるうちに高級そうな絨毯は血で染められてその等級を落としていく。
それを見下ろすアデリエンヌの顔は無表情なのに、どこまでも妖艶なものであった。
「……こいつは一体何者なんだ ? エルフか ? それともモンスターか ? 」。
コウがアデリエンヌに問いかけた。
「さあ ? でも……」。
ゴン !
「……」。
「食いたい ! 」。
転がったまま振り回した左腕が石壁にぶつかった音だ。
「……まだ生きてるのか……。人間なら致命傷だぞ」。
まるで動かなくなった右半身とは無関係とばかりに、左半身は床に背をつけたまま腕と脚を滅茶苦茶に振り回し始めた。
それは異形の駄々っ子のよう。
「……」。
「食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたい ! 食いたいいぃぃぃぃっぃぃっぃいいいいいいい ! 」。
左半身だけで立ち上がろうとまでするが、右半身の協力が得られないため、転倒する。
そして苛立ったように腕と脚を振り回し、また立ち上がろうとして、転ぶ。
それを何度かくり返した後、異変が現れた。
「……」。
「食いたい ! 」。
「……たい」。
「食いたい ! 」。
「……いたい」。
「食いたい ! 」。
「食いたい ! 」。
「食いたい ! 」。
動かなくなっていた右半身がゆっくりと左半身に引っ張られるように動き出した。
同族のエルフの女に向かって。
彼女以外は見えないかのように。
コウは右拳の甲の赤い魔石に魔力を通した。
魔素が魔石を光らせ、魔石が魔素を炎へと変換していく。
構えた右手から炎が上がり、天井を焦がした。
その膨大な熱量のすぐ側をぎこちなく通っても、ジャメルは何の興味も示さない。
そして隙だらけの右半身に、コウは燃える竜の爪を静かに撃ちこんだ。
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