第30話 裏方の戦い
「……姉ちゃん、またチーちゃんと喧嘩したのか ? 」
昼間からリビングのソファーに寝っ転がり、一心不乱に携帯ゲーム機の画面の中をペンキで塗りつぶしている姉に、コウが問う。
「ああ、でももう仲直りしたよ。今回は私が許してあげた」
視線を画面から外さずに、姉が答えた。
「本当、よく喧嘩するよな……。その割にすぐ仲直りするし……」
「……人は間違いを犯す生き物だからね。私が許してもらったこともあるし……」
「まあそれだけ許し合えるってのはやっぱり仲がいいんだな」
「そうさ。私とチーちゃんは親友だしね。それに……誰かと喧嘩する度に許さずに縁を切っていったら……いつか私は独りぼっちになっちゃうからね……。それはとても寂しいことだと思わない ? ……あっ !? 」
姉はむくりと起き上がると、恨みがましい目でコウを睨む。
「もう…… ! コウ君が話しかけてくるから負けちゃったじゃない…… ! 」
「え ? ごめんごめん ! 」
「……許して欲しかったらコンビニでアイス買ってきて…… ! これから遊びに来るチーちゃんの分もね」
わかったよ、と苦笑いを浮かべながら、コウは玄関へ向かう。
「……姉ちゃん……」
半開きの瞳に、天井の白いファンがくるくると回っているのが見える。
どうやらマラヤをドアの向こうの寝室に送った後、彼はソファーで寝てしまったようだ。
コウは起き上がって溜息を吐く。
今、彼が見た夢は過去の一場面。
決して戻ることのできない場面。
きっともう会うことのできない人との。
彼の仲間は皆、就寝した後の広く静かな部屋、それはどうしてか彼の胸の内を掻きむしるような寂しさを感じさせた。
胸を片手で抑えながら、コウは起き上がる。
そして、衝動のままに動き出す。
「……それって本当なの !? 『聖女』様が蟲人になるなんて……」
メイド服の少女、ブリジッタが目を丸くして言った。
「本当だって ! 明日礼拝堂を見て来いよ ! 蟲人の攻撃で滅茶苦茶になってるから ! それに蟲人の光線が俺の肩をかすめていったんだぜ ! あと少しずれてたら大怪我したところだぜ ! 」
パオロは昼の興奮が蘇ってきたのか、大声で捲し立てた。
「……悪魔の使いと言われる蟲人を『御使い』様が倒したんですよね…… ! すごいなぁ…… ! やっぱり『御使い』様は勇者なのですか ? 」
この群島の気候を考慮してか、上着は羽織らずに白い綿のドレスシャツに黒い蝶ネクタイ、そして黒いズボンの小さな執事見習いジョナタがクリクリとした瞳を輝かせてパオロに問う。
「ああ、稲妻を放っていたから、きっとそうだろ ! 最強の種族、竜人を従えていたしな ! 」
「……私もこの館でその竜人をちらりと見たけど、顔は人間の女の子みたいなのに体は鎧みたいな鱗で覆われてて……なんていうか……圧がすごかった……自由に動けない海中でシードラゴンに出くわしたような……絶対に勝てない存在みたいな……」
ブリジッタはぶるりと身を震わせる。
「いいなぁ……。僕も見てみたいです ! 」
爬虫類人族以外の異種族が珍しいこの群島において、竜人はお伽話で聞くくらいが関の山であった。
「それなら貴賓室に忍び込んで夜這いでもしてみたらどうだ ? お前なら受け入れてくれるかもしれないぜ ? 」
「そ、そんな恥ずかしいこと……言わないでください…… ! 」
パオロの下卑た笑みに、ジョナタは赤面を返した。
「もう ! 子どもをいじめるんじゃないの ! それで……『御使い』様ってどんな方なの ? 」
パオロを窘めたブリジッタはさらに問うた。
「兜で完全に顔を隠してたから、どんな顔してんのかはわからねえけど……案外、器は小さいかもな」
「えっ ? なんで ? 」
「『御使い』様の命令で俺達は礼拝堂から退避したのに、戦闘が終わって礼拝堂に戻った隊長に向かって『退避しろと言われて本当に退避する奴があるか ! 貴様の勤務評定を最低にしておくように領主に言っておく ! 来月の給金がどれだけ下がるか震えて待っていろ ! 』なんて怒鳴りつけるんだぜ…… ! あの隊長の青褪めた顔は傑作だったぜ ! いつも俺達に理不尽な命令ばかりするからバチが当たったんだよ ! 」
パオロはククッと嗤いを噛み殺す。
「……あんたねえ……。逆でしょ。いくら『聖女』様に命令されたとはいえ、『御使い』様に刃を向けたんだから……隊長を首になるどころか、斬首されて首だけになってもおかしくないのよ ? それだけで済ませてくれたんだから……」
ブリジッタは呆れたように溜息を吐く。
それに対してパオロが何か返そうとした時、扉が開いた。
「……パオロ、ここはメイドと執事の控室なのだから、みだりに来てはならぬと言っておいたでしょう」
いかにもメイド長といった雰囲気。
この群島の民特有の銀髪のおかげで分かりづらいが、髪は白い。
皺の刻まれた顔で、背筋のまっすぐな凛とした女性だ。
この群島の王島の領主の館で裏方を長年取り仕切ってきた女性だ。
この館の主よりも格上の人間を迎えるという、本来であれば数ヶ月前から準備をしなければならない大仕事が急遽飛び込んできたため、いつもより少し、いや相当ピリピリしているようだ。
「伯母さん……まあいいじゃねえか。たまには幼馴染の顔も見たいし……」
パオロはバツが悪そうに頭を掻く。
メイド長が眉間の皺をより深くして、口を開こうとした時、再びドアが開いた。
先ほどと違って勢いよく。
「メ、メイド長 ! 」
貴賓室の前を警護している二人の兵士の内の一人だ。
「何事です ? そんなに焦って……」
メイド長は威厳たっぷりに向き直る。
「いえ……その……『御使い』様が……」
先ほどの勢いはどうしたのか、兵士は口ごもる。
「お夜食でも御所望になられたの ? 」
「いや、そうではなく……『自由に使える者を部屋に寄越してくれ』と……」
瞬間、室内に緊張が走る。
「メイド長……それって……でも今日は手配してないですよね ? 」
ブリジッタは少しだけ頬を朱に染めて、確認するように問う。
「ええ……すっかり失念していたわ……。まさか『御使い』様が……」
メイド長は唇を噛みしめた。
最上級の貴賓室に宿泊されるクラスの賓客が、時に夜のおもてなしを求めるのは、ままあること。
そういうケースに備えて賓客が宿泊する際は、この王島の最高級娼館の女性を待機させておくのが常であった。
「ど、どうすんだよ !? ここから娼館までは走っても一時間はかかるぞ ! 」
パオロまでもがその空気に飲まれ、焦った声。
「……手元にあるカードでなんとかするしかないわね」
メイド長はどこか諦念まじりの声。
そしてブリジッタは身を固くする。
「まさか……私が……」
「そんな…… ! ダ、ダメです ! 」
ジョナタの悲鳴のような声。
「安心なさい……。大丈夫よ」
いつも厳しいメイド長が優しく微笑んだ。
その表情に、ブリジッタは緊張を解く。
そして次の瞬間、別の種類の緊張が彼女を捕らえた。
「……私が行きます ! 化粧箱を持ってきなさい ! 」
この部屋は賓客へのおもてなしの前線基地。
メイド長はそこから単騎、出撃する決意を固めたのであった。
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