第29話 エピローグ・プロローグ
重厚でありながら、鎧戸の羽板によって風通しがよくなるように工夫された黒いドアが開く。
高い天井から伸びる短い支柱の先には四枚の白いファンがゆっくりと回り、魔道具が生み出す冷気を床まで届けていた。
既に閉められたカーテンは太い横縞模様。
淡い色が使われてはいるが、賑やかしい。
白い壁の際には、 波のうねる様子が表されたように見えなくもない、理解できない割に高価なオブジェやシードラゴンの幼体の剥製、それに観葉植物等々。
どれもこの館の主の力の一端を形にしたものだ。
部屋の中央あたりに設置された赤いソファー。
広く、長く、人一人は簡単に寝そべれそうだ。
そこに女が一人、背筋をピンと伸ばして座っている。
束ねられた黒く長い髪の流れが別れる所に、うなじが見えた。
緑色だ。
肩から下は上質な白いシルクの寝間着。
これも館の主人が用意させたものだ。
この群島の気候は蚕の飼育に向いていない。
大陸からの輸入品だ。
「……寝かしつけ、ご苦労様」
女がその凛とした姿勢とは裏腹に、いたずらっぽく隣に座った男に言った。
「大陸からこの群島まで自力で飛んでくるなんて無茶をした後、さらに一戦交えてるから疲労困憊のはずなのにな……」
「『一戦』ね……。どっちのことかしら ? 」
「……蟲人との戦いに決まってるだろ」
コウは恥ずかしそうにマラヤの黄金の瞳からプイっと顔を逸らす。
そして話を逸らす。
「リンの具合はどうだ ? 」
「身体は大丈夫ですわ。ただ……ずっと恨み言を……人間と……あなたに。どうして人間を皆殺しにしなかったのか、とね」
そんなコウの反応に慣れているのか、マラヤは何事もないように返す。
「……そんな復讐の仕方は……ダメだ。きっと禍根を残す。俺もあの場では暴走しちまいそうだったけど……マラヤのおかげで大陸でのことを思い出して、踏みとどまることができたよ」
「……あの時のことね」
コウの謝意を告げる黒い瞳を見つめ、マラヤは過去を思い出す。
かつて大陸で異種族連合軍とでもいうべき団体で行動していた、ある時、一人の純血の風妖精がベースキャンプから遠出し、殺された。
正義感あふれる人間の村人に。
まだ幼い彼女は、少しばかり好奇心が旺盛だったのかもしれない。
その時の光妖精ハイラムの怒りは凄まじいものであった。
そして彼は独断で純血の妖精達を率いて復讐に向かう。
コウはそれを黙認してしまった。
彼自身の怒りが、そうさせてしまった。
結果、その村の人間は全て惨たらしく殺された。
幼い子どもまでも。
それからその話が人間の間に伝わり、人間は降伏しなくなっていった。
どうせ降伏しても無残に殺されるだけなら、最後まで抵抗するのは必然であった。
そして双方に無駄な血が多く流れた。
「……どんなに赦しがたいことでも、赦さなきゃならない時がある。戦争が終わった後……この世界で再び共に生きていかなきゃならないんだから……」
男はそう呟いて、天井を見上げた。
彼は気づいていないが、バートとの戦闘後、それが癖になっていることを女は知っていた。
「……あなたの仰りようは、後世の歴史家が無責任に記す評論のようですわ。その暴流の真っただ中にいる者達には……そんな冷静な判断など難しいことですわ」
「それでも……この世界を正しく導くためには……」
「……まるで神のようなことを仰るのね。そんなことまであなたが心配する必要はありませんわ。今日一日だけでも処理しきれない務めを抱えたのに……」
戦闘後、コウは自らクラムスキー商会の本部に向かった。
イマコラータが自白した協力者、ヒューゴ・クラムスキーを拘束するために。
なぜなら彼が悪魔憑きである可能性が高かったから。
「……悪魔に憑りつかれたわけでもない合理的で、優秀な人間が……あんなことを仕出かすとはな」
男は上を向いたまま、溜息を吐く。
「それが人間の本性なのかもしれませんわ。良くも悪くも知恵を働かせて……最大限の利益を得ようとするのが。そこに歯止めとなるものがなければ……どこまでも残酷になれるのが……」
「その歯止めの一つが神であるはずだったんだ。でもこの百年、女神は……女神に憑りついた悪魔は歯止めとなるどころか、それを推奨してきた……」
「本性のままに生きるにも、共に生きる他者……他種族との折り合いが必要なのでしょうね。自分一人だけで……人間という一つの種族だけで生きるのでなければ……」
そう言えば、と女は話題を変える。
上を向いたままの男に横を向かせるために。
「竜人の本性に従って生きることをやめたライノみたいな存在もいますわ。だから人間も……きっとそうなれますわ」
「そうだな……。でも、時折不安になる。俺は確かにライノの首に掛けられた『隷属の鎖』を解いた。だけど……何か別のものであいつを縛ってしまったんじゃないかってな。あの時あいつを連れて行かないで……本来の竜人のままに生きた方が良かったんじゃないかってな」
「……いつの間にそんなに心配性になったのかしら ? あの子はあなたと戦って負けたわけでもないのに女の子になって……それは本来の竜人の在り方ではありませんわ。でも、あなたと共に在る時のあの子を見ていると……きっと竜人の本性に従って、戦いに明け暮れて、打ち負かした竜人でハーレムを作るよりも……幸せなのだと思いますわ」
クスクスと笑いながら、マラヤはコウに顔を近づけ、続ける。
「確かにライノも……私も目に見えない鎖に縛られていますわ。けれど……それによって私の魂が歪められているわけではありませんわ。むしろ私が自らの想いに従って……自ら首に掛けた鎖なのです。それはあなたに繋がっている鎖だから……」
そう言ってマラヤは、かつてのようにコウに撓垂れ掛る。
(あなたは……悪魔……そして女神を打ち倒したあなたは……ひょっとしたら天上に昇ることができるのかもしれない……。神になることができるのかもしれない……。そうすればこの世界はよくなるのかもしれない……。でも……そんなことはさせませんわ。私を……私達を縛る鎖は……同時にあなたを縛る鎖でもあるのよ ? だから……もしあなたが私達を置いて天に昇ろうとするなら……その鎖を牽いて……引きずり下ろしてみせますわ…… ! )
そしてこの群島の気候に向いた、麻張りのソファーが静かに二人を受け止めた。
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