第25話 背負わされたもの
広い大陸は南北で気候が驚くほど違う。
幼いビーネは冬になれば一面が雪に覆われる寒村で育った。
育ての親とその家族の分、そしてようやく自分の獲物を狩り終えて、彼女は雪山から村へと帰る。
その帰路の途中、おかしなものを見た。
黒い革製の外套。
それはこの白一面の世界と対になっているかのようでもあり、雪が全てを包み込む中、唯一の異物のようでもあった。
その外套の中は、絹であろうか、滑らかな深い紺地の上に金糸で綺麗な模様が描かれた上着。
首元にはふわふわとした白いスカーフ。
脚は長い革製のブーツ。
白い髪は真ん中で分けられ、両端は綺麗にカールしていた。
そして口元には白いカイゼル髭。
話に聞く人間の貴族様、そのものであった。
なんでこんなところに、と幼いビーネは茶色がかった黄金の目を丸くする。
「……お前が我が友、メリー・ミルフォードの忘れ形見の一人じゃな」
「え ? ……忘れ形見…… ? な、何ですか……それ…… ? 」
「フハハ ! いや、すまんすまん ! 子どもには難しい言葉じゃったな ! 簡単に言うと、ワシはお主のお母さんの友達でな ! その子ども達がどうなっているか見にきたんじゃよ ! 」
中年男性らしく、豪快にツバを飛ばし笑いながら男は言った。
「……お母さん !? じゃ、じゃああなたは私のお母さんがどこにいるか知ってるんですか !? 」
ビーネは膝まである粉雪を蹴散らしながら男に駆け寄った。
「……残念じゃが、メリーはもうこの世にはおらん」
「……嘘……でしょ……」
先ほどまでの勢いは消え失せ、ビーネは雪の上に立ち尽くす。
「ええい ! 泣くな ! お主には最強の竜人の血が流れておるんじゃろ ! 」
今まで一度も女の子を慰めたことがないのが瞬時にわかるほどにデリカシーの欠片も無い慰め方だ。
「だって……だって……いつかはお母さんが迎えに来てくれる……そう信じてたから……だから……我慢して……生きてきた……のに……」
(まったく……メリーの奴め…… ! )
バートは深く息を吐き、白く立ち上る細いものの先を見つめた。
おそらくは天ではなく、地獄にいるであろう魂を思って。
神の器たり得る強靭な肉体と魔力とを供えた存在。
それを生みだすために、いや産みだすために、女の取った手段は常軌を逸していた。
特殊な魔法で無理矢理に外見以外の若さを保ち、巨人族や竜人族の男と交わり続けたのだ。
産まれた子に人間の恩寵である「魔法」スキルが備わっていれば、彼女が才能を認めるほどの「魔法使い」に育てさせたし、備わってなければ少しでも人間に恨みを持つように、わざと他種族とのミックスにひどい偏見を持つ者に大金を施して育てさせた。
魔人としてこの世に蘇ったバートがメリーの残した書付によって、その子達の存在を知り解放者である自らの仲間に加えようと企てて旅をしていたが、ビーネ以前に訪ねた子達は、皆死んでいた。
それが虐待であったのか、無関心であったがゆえに事故にあったか、病気になっても治療費がもったいなくて医者に診せなかったのか、まではわからない。
「それにしても……いくら竜人が風邪を引かんとはいえ、娘っ子を裸で雪山に行かせるとはのお……」
さすがの厚顔無恥のバートでも眉を顰めるほどの仕打ちであった。
ビーネはまだ泣きながら、羞恥心のために俯く。
彼女はいつも寒さを感じていた。
それは物理的なものだけではなく、村にいる子ども達の中で彼女だけが服を与えられていなかったから。
人間の血の影響からか、本来竜人に生える鎧のような硬質な鱗はまだ生えてこず、外見のシルエットはさほど人間の子と変わらない。
いつも裸のビーネは、そのことでもバカにされていた。
「まったく…… ! やはりこの世界は解放せねばならぬな ! ビーネ ! 今からお前はワシと一緒に旅に出るのじゃ ! この世界で苦しむ者達を救う旅にな ! 」
「え…… ? なんで……ですか ? それに……帰らないと……また……叱られて……」
驚いて顔を上げたビーネはまた俯く。
「いいんじゃ ! 一生帰らなければ、一生叱られることもあるまい ! 」
滅茶苦茶なことを言いながら、バートは自らの高級そうな黒いコートを脱ぐ。
そしてそれで裸のビーネを包んだ。
「さすがにサイズが合わんか…… ! まるでマントじゃな ! 喜ぶがいいぞ ! この革は特別性じゃ ! 気に食わない金持ちのワイン工場におびき寄せ、そこに貯蔵されたワインを文字通り浴びるほどに飲んで酩酊した隙に討伐したブラックドラゴンの革じゃからな ! あの工場の損失はすごかったぞ ! さすがの金持ちも泡を吹いて倒れておったわい ! 」
バートは、とてつもない迷惑行為を自慢気に話しながら、ビーネの小さな手を引いて歩き出す。
ビーネは混乱しながらも、バートについていく。
その包まれた手と、身体の温かさが、それを拒ませなかった。
「いっぱい食べるんじゃぞ ! ブタになるくらいに ! ……なんでイヤそうな顔をするんじゃ ? 」
「お主の人間の恩寵は『テイマー』じゃな ! 動物やレベルの低いモンスターなら意のままに操ることができるぞ ! ……今、ワシを操ろうとしなかったか ? 」
「『テイマー』なら動物やモンスターの知識を持たねばならん ! この素晴らしい名著である『モンスター図鑑』を読むのじゃ ! 情報だけではなく著者の体験談も記されていて子どもでも読みやすいぞい ! ……何 !? 勉強にはなったが、著者はロクな奴ではないじゃと !? そんなわけないじゃろうが ! 」
「解放のためにまずは『種』を大量に作らねばならん ! 明日からお主の訓練も兼ねてこの平原をすべて畑にするぞ ! ……まあ少しくらいなら野菜や果物を育ててもいいぞい ! 」
「おお ! あったあった ! 久しぶりじゃ ! ここは限られた者しか知らん秘湯中の秘湯なんじゃぞ ! ……何 !? 別々に入るじゃと !? これが噂に聞く反抗期というやつか…… !? 」
「其奴も逝ってしもうたか。初めてお主がテイムして八年にもなるからのう……。寿命だったんじゃろう……。何 ? 死んだものの魂はどうなるかじゃと ? ……この世界で生まれ、そして死んだものはこの場と断ち難い縁が結ばれておる。じゃからいずれ再びこの世界に生まれ変わるそうじゃ。其奴ともいずれ別の形で再び出会うこともあるじゃろう」
「ビーネ……もしワシが負けた時は……いや、すまんすまん ! 少々弱気になってしまったわい ! 皆を解放するためにも負けるわけにはいかんな ! 」
(クソ !? なんで戦闘中にオッサンとの思い出が…… !? )
「うわぁぁぁぁああああ !! 」
ビーネは叫び、無理矢理に身体を回転させてライノの両脚から、ようやく逃れることができた。
「オッサン !! 」
彼女からの距離はすでに五百メートルほど。
ライノが「重力操作」を解除し体勢を整える間に、ビーネは何かを口に放り込んだ。
バートと対峙する金色の鎧が消えた瞬間、彼女も消える。
(しまった !! )
「種」は摂取した者の願いを聞く。
それを反映した蟲人となる。
この時ビーネが願ったのは、一瞬でバートの元に辿り着く速度と彼を護るための盾。
その結果、瞬時に太もも部分が異常に発達し、背には甲虫を思わせる外骨格が出来上がる。
蹴った大地に爆発のような痕を残し、彼女は跳んだ。
自分以外がゆるやかに流れていく中、コウは右腕を進行方向とは逆に伸ばしたままに飛ぶ。
魔素を通し、円錐状の細く長い槍へと変化させた右腕を少しでも相手の目に触れさせないため、そしてその間合いを掴ませないためだ。
ふと視界の右端におかしなものが映る。
彼以外の刻の流れが緩慢であるはずなのに、それは彼と同じかそれ以上の速度で動いていた。
(あのコースと速度なら……俺がバートに到達する前に、通り過ぎるはずだ。あの速度で急制動は不可能…… ! )
超高速での移動に慣れている男は、そう算段をつけて再び右腕に力を込める。
今彼の右腕に嵌められている蜂蜜色の魔石は巨大なハチ型モンスターのものだ。
その巨大なハチは巣に近づく者を命を賭して撃退する。
他のモンスターのどんな固い鱗や皮膚をも絶対に貫く毒針をもって。
その代価は命だ。
一生に一度だけ、その絶対の致命の針を使うことができるのだ。
(貫ける装甲は魔石分の四枚……。もしあいつの外骨格が複層構造だとしても……届く…… ! )
そんな皮算用をしているコウの進路上に、爆発が起こった。
ビーネが跳んだ時と同じように地面を蹴り、無理矢理に止まったのだ。
バートの目の前で。
「なんだと…… !? まずい !? 」
もう止まれないのは彼の方だ。
ゆっくりと舞い上がる土砂の中、コウはランス状の右腕を前に構え、突撃した。
甲虫を思わせる外骨格に向かって。
彼の魔素を「絶対貫通」の力へと変換し終えた四つの魔石が同時に砕け、ランスの先端が何か固いものに衝突して、止まった感覚がした。
(止められた !? どこまで貫けた !? )
加速した時が戻り、舞い上がる土煙の中、コウは自身の右腕の先を確認する。
その先端がぶつかったのは、バートの背中側の外骨格であった。
(通った…… ! ここしかない ! )
「うおおおおおぉぉぉおぉぉぉおおおおお !!!!!!!!!!!! 」
相手の体内へ侵入したランスがまた変形する。
表面からいくつもの棘状の刃が飛び出し、体内を縦横無尽に切り刻む。
そして右腕の砕けた魔石は瞬時に換装され、彼の魔素を雷と炎へと変えて、それをランスから放つ。
体内は切り刻まれ、雷と炎に焼かれる。
全てが致命の攻撃であった。
しばらくしてコウが右腕を抜くと二人の蟲人は重力に従って、折り重なるように倒れた。
「……ビーネ……もしワシが負けた時は……身を隠して機を窺うように……言っておいたじゃろ……。まったく……言うことを聞かん……奴じゃ……」
「ケッ……あんたの……育て方が……悪かったんだろ……オッ……サン……」
「クク……そうかもしれん……何しろワシが人間だった時は……好きな人にフラれてから……ずっと純潔を護っておったから……子育てなどしたことがないからのお……。じゃが……お主と生活して……まるで……娘ができたみたいで……楽しかったわい……」
「なんだよ……急に……恥ずかしいこと……言って……」
「いいではないか……最期なのだから……。すまんかったのお……。皆を……お主を……解放して……救うことが……でき……なくて……」
「おい……オ……サン…… ! ダメだ……ダメ……ダメダメ ! お願い…… ! 死なないで…… ! あんたがいたから……私は……生きてこれた……寒くなかった……温かかった……私も……あんたといて……楽しかった……幸せだった…… ! あんたはもう私を……救ってくれてたんだよ…… ! 死なないで…… ! お……さん……お父さん…… ! 」
ビーネの悲痛な叫びに、懇願に応える者はもういなかった。
いつの間にか振り出した雨が二人と、傍らの二人を濡らしていた。
「おい……人間…… ! 」
ビーネは息も絶え絶えながら、振り向いてコウを見据えた。
「背負え…… ! 父さんと……私の命を…… ! そして……私達に代わって……この世界を解放しろ…… ! いつか……父さんと……私の魂が……再びこの世界に生まれた時……生まれて良かったって……思える世界にしてなかったら……絶対に……許さ……ない……か……ら……」
固く手をつないだ二人から目を外してコウは深く息を吐き、天を仰ぐ。
ライノはどうしてそんな彼の背中に声をかけることができなかった。
「……勝手なもんだ……」
しばらくして、誰に言うとでもなく、コウは独り言ちる。
「勝敗が逆だったら、お前らは俺の思いなんて微塵も気にしなかっただろうによ……」
雨水が流れ落ちる金色の鎧の背をライノは、赤紫色の鱗の竜人の少年は黙って見つめる。
「……この世界は……どうして……こんなにおかしくなっちまったんだ……」
その視線は空の、その先の神域を見ているようであった。
やがて彼は軽く首を振ると、ライノに向き直る。
「ライノ、怪我はないか ? 」
その時、割れた兜の中の顔が見えた。
そしてライノはどうしてコウがたまに情けない顔で笑うかがわかった。
それは、本当は泣きたいのに、無理矢理に虚勢を張って笑っていたから。
彼が背負った、いや背負わされた命のために。
「…… 210 …… 211 ……」
(……あの時、ボクはコウのために戦う剣になりたいとは思わなかった……。どうしてだろう ? ボクはあの時、コウを護り、支える盾になりたいと思った……。それがボクがコウに膝を屈して……変わってしまった時……)
ライノは、竜人の少女は自身の真紅の鱗を眺め、少しだけ恥ずかしそうに、懐かしそうに笑んだ。
そして見上げた天井では、残った顔の下半分だけで空々しく女神が嗤っていた。
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