第23話 三途の川の渡し賃
ライノは奇跡的に破壊を免れた重厚な木製の長椅子に座り、天井を見上げた。
そこに描かれた人間の女神、ミシュリティーは蟲人の放った熱線に焼かれ、残った顔の下半分だけの微笑みがどこか白々しかった。
普段は静謐を湛える礼拝堂は、至る所に残る破壊の爪痕によって、いつもと違ってどこか空虚な静けさに満ちている。
白かった床は至る所が焼け焦げているが、その上を彼女が値段も製作者の労苦もまるで忖度せずにブチ割ったステンドグラスの破片が落ち葉のように、美しくもどこか儚く少女の足元を彩っていた。
この常夏の群島に、不思議なことに秋を思わせる風景。
ライノの呟くような声だけが、その場に響く。
「……90……91……」
少女となってから、彼女の容貌は少し変わった。
鱗の色が燃えるような赤になったのを始めとして、顔は人間寄りになり、竜人の鎧を纏う少女のようにも見える。
また中空をほんの少しの寂しさと、抑えきれない期待を持って見つめる黄金の瞳はどこか初めての待ち合わせに早く着き過ぎてしまった少女のようでもあった。
数に合わせて、トントン、と長椅子に横たえた尻尾を上げては下ろしてリズムを取るさまは、時計の無い時に人間が指で時間をはかる時のよう。
そのまるで物を持つのには向いていない、長い三本の爪の内側には人間のような手。
鉄爪をつけた手甲を装備しているかのよう。
竜人の女性だけに現れる特徴だ。
竜人の男はただただ戦いに特化した身体の機能を持ち、負けて女となった者は彼女を打ち負かした男に仕えるために細やかなこともできるようにするためだ。
そんな地球ではポリコレ団体が激怒して決して映像化されることない設定を運命として背負ったライノは、その外装にくらべて柔らかな両手で白いウエストバッグ型のアイテムボックスを抱くように持つ。
二分ほど前まで、コウの腰に巻かれていたものだ。
彼女の心は少し前に飛ぶ。
「……埒が明かないな……」
たった一匹、討ち漏らした蟲が分裂し、群体となり、蟲人へと再構成されていく。
ちょうど存在が許された五分間を過ぎて、仮初の物質が魔素へと戻り、男を包む鎧が陽炎のように消えていった。
ようやくコウの顔を直接見ることのできたライノは、どう甘噛みしたところで出血間違いなしの鋭い牙を並べた口と、どう手加減した所で、骨を折りかねない力を供えた腕で彼に飛びつきたいのを我慢して、言う。
「……ドウスルノ ? 」
彼はその問いに答えず、彼女をじっと見つめた。
鱗と同じく赤みを帯びた頬に変化はないが、ライノはそこが熱くなるのを感じる。
コウは満身創痍のライノを見て、どこか情けなく微笑んだ。
ライノは大陸でその笑みをよく見た。
それは彼が何か覚悟を決めた時の顔だった。
「……創着」
コウは再び虹色の光に包まれる。
そして魔素が物質へと変換されていく。
内皮に、衝撃吸収機構に、人工筋肉に、耐熱機構に、外装に。
そこに現れたのは真紅の竜人。
外皮のカラーリングは、先ほどの純銀色のように相手が光を攻撃手段とする場合、反射によるダメージの軽減を狙う実用的な意味以外に、仲間にどのような攻撃を行うかを暗に伝える符丁の意味があった。
「ヒヲツカウノ ? 」
「ああ……」
「デモコレダケヒロカッタラマタニゲラレチャウヨ ? 」
「……大丈夫だ」
ライノの問いに答えながら、コウはウエストバッグ型のアイテムボックスから急いで数個の魔石、そしていくつかの高級そうなアイテム、そして回復薬と思しき瓶を取り出していく。
「……ここまでか…… ! 」
再び漆黒の蟲人が空中に構成され、その腕が光り始める。
コウは右腕に外皮と同じ真紅の魔石と灰色の魔石。
そして胸に白と灰色の魔石を嵌め込むと、蟲人と同じように左腕を光らせる。
蟲人が光の矢を放つために上げようとしていた腕がピタリと止まる。
「ヒカリ…… ! ヒカリ…… ! 」
「お前が欲しいのはこれだろ !? 」
それは先ほど彼が「聖女」から召し上げた恩寵の輝き。
コウは腕を左右に振る。
それに合わせて蟲人の顔も左右に揺れる。
「欲しけりゃ取りに来い ! 」
「ヒカリィィィィイィイイイィイイ !!!!!!!! 」
蟲人が空中から彼に向かって突進してくる。
「ライノ !! こいつを広げて、あいつが飛び込んだら閉めて…… 200 ……いや 230 秒たったら開けてくれ !! 」
そう言ってコウはライノにウエストバッグ型のアイテムボックスを手渡し、その中へにゅるりと飛び込む。
唐突な指示にも関わらず、彼女は瞬時に彼の意図を理解し、突っ込んでくる蟲人に向かってウエストバッグの口を広げた。
さて初めてクレジットカードを持った者が考えなければならないことがある。
それはカードを普段から持ち歩くか、どうか、だ。
買い物に使うのだから当然持ち歩くだろうと思うかもしれない。
だがキャッシュカードと違い、クレジットカードはそれ自体に記されてる番号さえあればネット上での買い物ができてしまう。
悪意ある人間の手に渡った時に危険度が大きいのだ。
たとえ紛失にすぐに気づいて利用を停止したとしても、もしそのカードでスマホ代や家賃、ガス・水道・電気等々の支払いをしていたならば、それらの支払いに対して様々に手続きをしなければならない。
その煩雑さを考えた時、携帯せずに家に置いておこうという発想になるのだ。
だが家も完全に安全かと言われるとそうでもない。
火事や泥棒、そして彼のように引きこもりの姉がいる場合は家の方が危険となる。
よって彼はいつも貴重品は身に着けるようにしていたし、この異世界でもそうだった。
そしてそれが完全に裏目に出た。
この礼拝堂に比べれば、アイテムボックスの中に創られた空間は狭い。
その中を炎で満たせば、蟲一匹残すことなく焼き尽くせるだろう。
彼が群島の子島の貴族や商人から徴収した数億ゴールドは下らない貴重なアイテムや金品とともに。
ライノが 100 を数えた頃、ウエストバッグ型のアイテムボックスの中はその外部の静けさに反して、地獄であった。
密閉された空間の中、炎がその生息域をどんどん広げていく。
コウの右手の灰色の魔石は酸素を絶えることなく供給し、隣に嵌め込まれた赤い魔石が炎を生み出すのを献身的にサポートしていた。
「数億ゴールドのお宝を薪にした火で火葬されるなんて、どんな王族でも体験できないことだぞ !! 代金は俺の奢りだ !! 三途の川も豪華客船で渡れるぞ !! どうだ !? 嬉しいだろ !? なら喜んで死ねえええぇぇええええ !!!! 」
数億ゴールドは地球で言えば数億円に当たる。
炎の中の男は、まるで金に憑りつかれた地獄の鬼が見せる的外れな最後の慈悲のようなセリフを吐く。
そんな金色の業火に煽られて、一匹、また一匹と蟲が焼かれていった。
「…… 105 」
彼を待つ間、ライノの心は再び過去へ飛ぶ。




