第22話 Please call my name !
「……行ってあげて」
幾星霜を経てようやく回帰することのできた温もりが彼女に伝わる間もなく、マラヤは顔を上げた。
「ああ」
コウの身体は虹色の光に包まれていく。
「あの子は……あの子だけはあなたのことを忘れていませんでしたわ。だから……あの子が一番寂しい想いをしていたのかも……」
「……そうだな」
大量の魔素が集まり、物質へと成っていく。
量子に、原子に、分子に。
内皮に、人工筋肉に、外皮に。
それは光が人間を竜人へと変身させたように見えた。
この群島のギラギラとした陽光を反射する純銀の竜人となった男は、ウエストバッグ型のアイテムボックスから白い魔石を取り出すと、胸に空いた穴へと嵌め込んだ。
そして魔石は白く輝き始める。
それは男の魔素をエネルギーへと変換している証であった。
コウは振り向き、礼拝堂へと走り出す。
礼拝堂の中では、幾条もの光の矢を赤い甲冑が飛び回り、回避していた。
その鎧のような鱗はあちこち下手なプラモデラーが施した、わざとらしすぎるウェザリングのような焦げ目ができている。
それに対比して、蟲人の方は先ほど彼女が背後から気前よくくれてやった爪撃の後もない。
どうやら形成は不利のようだ。
数日かけて大陸からこの群島まで飛んでくるという無茶をしたばかり。
体調も万全ではないどころか、疲労困憊。
それでも彼女の心は晴れやか。
(……久しぶりに……本当に久しぶりにコウにボクの名前を呼んでもらえた……)
戦いの最中だというのに、ライノの心は過去へ飛ぶ。
あれは大陸で「百年戦争」が佳境に入った頃。
ライノはコウと二人で対峙していた。
解放者を騙るバート・マンスフィールドとその相棒ビーネと。
「……なぜ分からんのじゃ ! 知っているぞ ! 貴様の世界の神も知恵の実を食べた原初の人間を楽園から追放したというではないか ! それは知性こそが罪である明白な証ではないか ! 知性があるから人間はどこまでも残酷になれる ! 全ての人間が知性を捨てて本能のままに生きれば……己が命を繋ぐ以外の殺戮も起こらん ! 悩むことも苦しみもない ! それこそが楽園に生きるということじゃ ! 」
白いカイゼル髭を震わせて、口角泡を飛ばして、バートは主張する。
「貴様がどう反論するかもわかっているぞ ! 愛や友情、絆の素晴らしさを説き始めるのであろう !? それすら苦しみのもとであると言うのに ! 」
どうしてか、バートの顔は悲痛に歪む。
「我が友人、大賢者メリー・ミルフォードは狂ってしまった…… ! 同じく我が友人であり彼女の伴侶であったサムが殺されてから……ただあやつが人間ではなくエルフであるというだけで…… ! 『貴族』であるワシも……大賢者と讃えられるメリーもそれを止めることができなかった…… ! 」
胸の辺りを押さえながら、男は訴える。
人の愚かさを。
知性の残酷さを。
だからこそ彼は魔神の手先、「魔人」となってこの世界の知ある生き物全てを蟲人へと変えてしまおうとしているのだ。
それが彼にとっての解放であり、救済。
「貴様も今までの旅路で散々見て来たであろう ! 聞いたであろう ! 人間以外の種族の苦しみを ! 」
バートはライノを見やる。
花蜜農家の奴隷であった竜人種を。
「……確かに知性は両刃の剣だ。だから俺は今の支配構造を引っ繰り返そうとしている」
反論する必要もないのに、コウが静かに言った。
「そんなことをしても無意味じゃ ! 今度は別の種族が支配するだけにすぎん ! それに過去はどうやっても……過去の悲劇は取り返しがつかん ! 貴様に苦悶の内に……そして復讐に狂って死んだサムとメリーの魂を救えるとでも言うのか !? 」
「正しく導くさ……。いい世界にな。もし過去に死んだ者の魂が再びこの世界に生まれ変わった時……この世界に生まれて良かったって、幸せだって思うくらいに…… ! 」
「ククク……驕り高ぶりもここまでくると嗤えてくるわ ! 神にでもなったつもりか !? 」
「俺は神じゃないが……女神様に強いコネがあるんでね」
「たかが女神の情夫が ! 世界を自ら背負う覚悟もないくせに理想を語るな ! 」
「……俺に覚悟があるかどうかは……今から試してみればいいことだ…… ! 瞬着…… ! 」
コウは須臾の間に、金色の鎧を纏う。
バートはどこからか取り出した種を数個、口に放り込む。
(あのバートという男……そしてビーネ……本当に強かった……。コウが言うには……十月の女神様よりも強敵だったって……)
この戦いの直後、ライノは少年から少女となった。
自分より強い相手に心から負けを認めた時に起こる竜人特有の身体の変化だ。
(あの時……蟲人になって自分から知性がなくなったらどうなるか考えてみた……)
頬を掠める光線。
ライノは身体を回転させながらも、思いにふける。
(多分世界はとても曖昧な一つながりなものになるんだと思う……。知性が無くなって、言葉がなくなるんだから……)
ライノは喋るのにはまったく向いていない竜人の口のせいで、言葉を操るのが苦手と思われがちだが、実は誰よりも言葉というものの本質を掴んでいた。
(だってボク達は言葉によって……何かに名前を付けることによってそれを別のものから切り分けて理解しているんだもの)
ライノの爪が届く前に、蟲人の身体が群体へと変わる。
(だから……コウがボクの名前を呼ぶ時は……世界からボクだけを切り分けて……ボクだけを認識している時なんだ……そう思うと……なんだか……)
「ライノ ! 大丈夫か !? 」
戦闘中にも関わらず、彼女は思わず微笑む。
彼女が直接負けたわけでもないのに、唯一敗北を認めた男に向かって。




