第21話 再会
軽鎧が動き、擦れ合う軽い金属音を退却のマーチとして奏でながら、兵士達は出口へと流れていく。
その奔流に乗るためにメイド服の女はリンに肩を貸し、なんとか立たせた。
白い荘厳な鎧の男は天井画付近にホバリングしている蟲人から視線を逸らさないまま、アイテムボックスから取り出した瓶を彼女に投げ渡した。
「…………御使い様 ! 」
女はそれをうまく受け取り、男の視線を向けさせるために鋭く叫ぶ。
左手の人差し指を上に軽く動かし、続けて中指もあげた。
男が軽く頷くのを見て、女は右手の瓶の中味をリンに注ぐ。
この群島の、エメラルドグリーンとサファイアブルーを4:6で混ぜ合わせたような海よりも美しいその液体はリンの身体に刻み込まれたものを綺麗に洗い流していく。
どうしてか、女は男の名を呼べなかった。
男の名を七月の女神の恩寵の力で忘れなかったライノから聞いていたのに。
女にはその名が生まれて初めて聞いたように実感が持てなかった。
少し前、一瞬だけ眼の変化を解き、本来の黄金色になった瞳に気づいた男は女にしかわからないように指示を出した。
白い絹の上で、睦言の代わりに二人で考えた、二人だけが知っている指での符丁。
女はそれに従って動いたというのに。
男の頭部を全て覆う白い兜。
女にはその中の顔が妖精王ハイラムとして想像されてしまう。
今この瞬間だけではない。
男との記憶、全てがハイラムと過ごしたものとなっていた。
その逢瀬でさえも。
そしてその拒絶も。
(……どこからがハイラムだったのでしょうか ? もし……あれがハイラムと入れ替わる前なら……いえ……そんなこと……)
戦争が終わった後、事後処理に忙殺されていた男に、ハイラムとして記憶が再生される者に、久しぶりに撓垂れ掛かった時、まるで汚いもので見るかのように睨まれ、振り払われた。
(あれがハイラムならいい。でも……もしそうでなかったら……。戦争が終わって利用価値が無くなった私を捨てたのが……ハイラムと入れ替わる前だったら……)
女は少し前、群島の子島に懐かしい顔を見つけて降り立った。
そこで男の現在の居場所と、群島の爬虫類人族、そして爬虫類人族と人間とのミックスがその想い人に利用され、酷い拷問を受け、泣き伏しているのを見た。
教会に潜入し壁と同化して様子を窺っていた女は、尖塔から降りて来る男が何度か襲われた際、隙を見てメイドと入れ替わった。
そして女の親族であり幼馴染でもあるリンがこれ以上なく人間に利用された惨状を目撃した。
それが、今までは希望で押し込めていた不安を零れさせる。
丸太一本を抱えて、疲れたら空から海に降りて、これに掴まって寝る、という百円均一ショップで購入したキャンプグッズだけでエベレスト登頂に挑もうとする者よりも大自然を舐めくさった竜人の少女の無謀な計画に乗ってまでこの群島に来たのに。
海のモンスターや巨大種に何度も襲われそうになりながらも、女が生成した猛毒によってなんとか追い払うことができたが、もう二度とあんな無謀なことはしたくない。
そこまでして男に逢いに来たのに。
(さっきは爬虫類人族を讃えていましたわ……。でもそれは再び始まる戦いに備えて……また私を利用するためだったら……)
傷は癒えても、未だにふらつくリンに肩を貸しながら、女は出口へと向かう。
人間達は、誰も爬虫類人族に肩を貸す女を手伝おうとはしない。
それほど筋力が弱いわけでもないのに、どうしてかやけにリンが重かった。
不意に礼拝堂の中がステンドグラス越しの陽光以外の光に照らされる。
空中の蟲人が光の矢を放ったのだ。
その蛍光イエローの光は男の頭をぶち抜いて、大理石の床を溶かす。
男は意にも介さずに雷で反撃。
すると蟲人はまたしても黒い蟲の群体へと変貌し、雷光を避ける。
その内の何割かはその余波を受け、黒く小さな外骨格をさらに黒く焦がして落ちていくが、再び集結し、蟲人となった時その体積を減らしているようには見えなかった。
女がようやく外へ通じる扉をくぐった時、何かが割れる大きな音が響く。
赤、青、黄、橙、緑、紫の様々の色が陽光を反射して、綺羅綺羅と落ちてくる。
ライノが天井付近のステンドグラスを何の遠慮も無くブチ割って礼拝堂に突入してきたのだ。
ライノがその鋭い爪で蟲人の背を切り裂いたの背中越しに見て、女は外へと出る。
まず目に入るのは正方形に切り出された白い石を綺麗に敷き詰めた参道。
幅は三メートルほど。
どこまで退避したのか、「聖女」も兵士の姿もない。
参道の両脇には豊穣を司る人間の女神を表しているのか、低い木が並び、色とりどりの果実をぶら下げている。
女はその中でも葉の多い辺りへと侵入し、リンを地面に横たえる。
虚ろな瞳で何かを呟き続けるリンから礼拝堂へ視線を戻すと、男が飛び出してきた。
「誰か、誰かいないのか !? 」
男は周囲を見渡す。
鎧は風穴だらけ。
指先は欠損さえしている。
それがただの鎧ならば確実に中身は生きていない。
「クソ ! 退避しろと言ったら本当に誰一人残らずに退避しやがって…… ! あいつらは死ねと言われたら本当に死ぬのか !? 」
生徒を叱る際、帰れ ! と怒鳴りつけておきながら本当に生徒が帰るとより激昂する理不尽な教師のように男は叫ぶ。
大陸にいた時もそうだった。
その男は時にとんでもなく間の抜けた失態を犯す。
どうしてか女はそんな時の男が可愛らしくて、愛おしくてならなかった。
瞬間、女の背に悪寒が走る。
それは女に授けられた恩寵が何かに抵抗している証。
女はそれに突き動かされるように、ふらふらと参道へと出た。
「ああ……いてくれて良かった ! さっきは助かったよ ! この鎧、一人じゃ脱げないんだ ! 早く装備を変えて戻らないと…… ! 」
女は言われるがままに、誰かが傍にいないと風呂にも入れないであろう欠陥品の鎧を剥いでいく。
左腕の肘から先の手甲を有らん限りの力で苦労して左に回転させると、中身が入っているとは思えないほどに回り、数回それをくり返すと、やがて生身がむき出しとなる。
女の記憶の中のハイラムの嫋やかな手と違い、ごつごつした手だ。
女の寒気は強くなる。
取れた手甲の中味は、どういう仕組みなのかとんでもなく広い空間が広がっていた。
「アイテムボックスを応用して、鎧と身体の間に亜空間を作って、攻撃が届かないようにしてみたんだ……」
男がなにやら仕組みを説明しながら、生身となった左手で細やかな操作を鎧に加えていく。
人間サイズとなっても、背中の翅で飛んで移動していたハイラムの細い脚とは違う脚が露わになる。
傷一つ無かったハイラムの身体とは違い、傷だらけの上半身がむき出しとなる。
もちろん女が過去に穿った二つの刻印。
今は余計なものが付け加えられてハート型となったそれも。
もはや女は震えていた。
「どうした !? 大丈夫か !? 」
「いいから…… ! 早く…… ! 」
待ちきれなかったのか、女は震える両手で男の兜を挟み、ゆっくりと持ち上げる。
記憶の中の顔とは違う。
瞳の色も。
髪の色も。
瞬間、女の中で何かが弾け飛んだ。
女の大切なものを歪に矯正してしていた何かが。
「あ……ああ…… ! また……あなたに逢うことができましたわ…… ! コウ…… ! 」
「俺も再会できて嬉しいよ ! マラヤ ! 」
男は、コウは爽やかに笑う。
女は、マラヤは変化を解き、黄金色の瞳から翡翠色の肌に涙が零れた。
そして小さく首を横に振った。
「いえ……いいえ……私にとっては……この場で再び逢えたというだけではないのです……。記憶の中の……私の大切な思い出が……帰ってきた…… ! 思い出の中のあなたに……また逢えた…… ! 」
マラヤの記憶は全て真実のものに回帰する。
本当に同じ時を過ごし、想いを紡いだ者との。
マラヤを拒絶などしなかった者との。




