第19話 赦しの対価
もし今彼が所持しているアイテムボックスが四月の女神謹製の「ポケット」であったなら、すぐさま装備している鎧を「瞬着」により一瞬で脱ぎ捨て、この状況を乗り切る最善の装備に切り替えることができたであろう。
だが未だ彼の作成したアイテムボックスは女神のものに及ばない。
確たる作戦もないまま、人質の安否に確証も持てぬまま、ただただ怒りが命じるままに足を踏み出そうとした男は、彼女の願い通りにこの群島の人間全てを殺す力を持つ男は、不意に動きを止めた。
彼の頭部全てを覆う兜の中を見ることのできる者がいれば、その表情がありえないほど混乱していることが分かったであろう。
「さあ ! どうします !? この蜥蜴を殺せないなら、あなたも共に死んでもらいますわ ! 」
イマコラータが高らかに男に選択を迫る。
コウはどうしてか、つい一瞬前の彼とは違い、落ち着いた声で返す。
「……貴様らの罪は三つだ」
白く美しい金属製の手甲に覆われた指が三本立つ。
「まずはミシュリティー様の託宣に従わない罪……」
薬指が折られる。
「二つ目はこの世界の同胞たる爬虫類人族を不当に傷つけた罪……」
「そして……最後は……『御使い』を傷つけようとした罪……」
立てた指は折り曲げられ、拳へと握られる。
「以上の罪に対して罰を与える ! 今からミシュリティー様の名において貴様たちを処刑する ! 」
宣言とともに、彼の身体から虹色の煌めきが湧き上がる。
可視化するほど濃密な魔素だ。
それはこの人間の神ミシュリティーを祀る礼拝堂において、まさしく神の代行者たる者の威容を彼に授けていた。
礼拝堂の中、全ての者の眼が彼に奪われる。
「……光るだけなら蛍にだってできますわ ! ただのコケ脅しに過ぎませんわ ! 」
その荘厳さに静まり返った礼拝堂に彼女の金切り声が響き、普段は讃美歌を心地よく反響させる白い壁を不愉快に震わせた。
その声に、兵士たちは我に返り、剣を握り直す。
「……『聖女』イマコラータ、なぜミシュリティー様の託宣に逆らう ? 」
コウが静かに問いかける。
「何度も言わせないでください ! 私は過去のミシュリティー様の託宣に従っているだけですわ ! 」
先ほどと同じ答えだ。
「……質問を変えよう。今もミシュリティー様の声は聞こえているのだろう ? なぜそれに逆らう ? 」
「ええ ! 聞こえていますとも ! 耳障りでヒステリックな金切り声が ! そうとうあなたがお気に入りのようですわね ! 勝手なものですわ ! 今さら全ての種族と仲良くしろだなんて……今まで他種族を虐げることを是としていて……だから私は懸命にこの群島唯一の他種族、爬虫類人族の劣等性と人間が奴らを利用することの正当性をこの王島で説いてまわったというのに…… ! そして最高の理解者と出会えたというのに…… ! 」
「その理解者というのは ? 」
「クラムスキー商会の跡継ぎ、ヒューゴ・クラムスキーですわ ! 彼は素晴らしい仕組みを考えてくださったの ! 弱まったミシュリティー様の恩寵を補うために爬虫類人族を家畜とし、『錬金術師』にその絞り出した毒から人間を強化する薬を作り出させるの ! これこそが本来在るべき形…… ! 」
「他に協力者は ? 」
「なんと言ったかしら…… ? 名も覚えてないけれど、愚かな蜥蜴の大臣よ。自らの同胞を攫い、私達に差し出したの ! おかげで手間が省けましたわ ! 」
「……その見返りは ? 」
「『錬金術師』を極秘で何人か蜥蜴の大臣に貸し出しましたのよ ! おかげで彼だけが蜥蜴の集落で文明的な暮らしを享受できているのですわ ! 」
そんな……と擦れた声でリンが絞り出す。
コウは軽く首を振った。
彼のいた群島の子島。
そこで「錬金術師」が行方不明になっていたのは、彼ら自身の意志か、強制かはわからないが、極秘でクラムスキー商会へ協力していたからであった。
「お前以外の『聖女』もお前に同調しているのか ? 」
「いいえ ! 彼女達は愚かにもミシュリティー様の現在の託宣に従ってあなたを『御使い』と認めるつもりでしたのよ ! だから薬を飲ませたの ! この場で何も喋れないように ! 全てが終わって、あなたを始末してしまえば彼女達も黙認した共犯者ですから ! 」
明らかにおかしな状況だった。
コウの問いかけに対して、イマコラータはどう考えても自分に不利なことを自白していく。
現に兵士達はざわつき始める。
彼らがイマコラータに、「聖女」に従うのは彼女が彼らの神であるミシュリティーの言葉を正確に代弁していることが前提だからだ。
「そんな……」
「イマコラータ様……どうして…… ? 」
聞こえてはならない声が彼女の耳に届いた。
「信じられない」という言葉を具象化したような顔で、イマコラータゆっくりと振り返る。
「あなた達…… !? 」
彼女の視線の先には、この群島特有の日焼けした小麦色の肌を青褪めさせた二人の少女。
その眼は弱弱しく怯えてはいたが、光があった。
つい先ほどまではなかった意志の光だ。
「え…… ? あれ…… ? 私は何故こんなことまで喋って…… ? 」
大きな頭を両の手の太い指で抱え込んで、女は混乱する。
「さて『聖女』様、私達は一体どちらの言を信じればよろしいのでしょうか ? 」
いつの間にか二人の「聖女」達の後ろに佇んでいたメイド服のハイーナがこの場に似つかわしくないほど落ち着いた声で問う。
いや、それは問いではなく、確認であった。
「……あの方はミシュリティー様の『御使い』様です ! 『聖女』ニルダが正式に認めます ! 」
「『聖女』ピアも認めます…… ! 」
最初にやや年上の少女が、続いてまだ幼さの残る容貌の少女が、彼を「御使い」だと認めた。
「そんな……嘘ですわ ! そうよ……きっと薬か何かで……操られて……」
自らが他者を陥れるための手立て。
だからこそ彼女はまっさきにそれを思いつく。
それは当たらずとも遠からず。
コウは異様な空気の中、ゆっくり歩を進める。
兵士達は彼を止めない。
「……お前も『聖女』ならば知っているだろう ? 『御使い』にのみ与えられた特権を。ミシュリティー様の代行者である証を…… ! 」
その言葉にイマコラータは限界を超えて眼を見開いた。
「い、いや…… ! やめて…… ! 近寄らないで ! 」
彼女は大きな身体で後ずさる。
「ミシュリティー様 ! 私はあなたの過去の託宣に忠実に従ったまでです ! どうかお赦しを ! 」
そして天に向かって、神域に向かって懇願する。
それはまるで優しく微笑む女神ミシュリティーの天井画に赦しを請うているかのようであった。
「『聖女』様、『御使い』様は何をなさるおつもりなのでしょうか ? 」
落ち着いたハイーナの声。
「……恐らく、イマコラータ様の恩寵を召し上げるのでしょう。ミシュリティー様に代わって……」
「聖女」ニルダの硬い声。
「聖女」でなくなればイマコラータは今までのように『王族』を超える権力を振るうことはできない。
その恩恵の源に逆らったのだから、こうなっても文句は言えないはずであった。
それはどこか日本の自衛隊に否定的な文言を思う存分書きなぐりながら、いざ有事が起こると彼らにすがりつくであろうマスコミ関係者のような滑稽さがあった。
ドン、と重たい音がして彼女の背中が礼拝堂の壁につく。
「……赦しにはまず罰が必要だ。ただそれが過剰であれば復讐となってしまう。逆にそれが不足すれば禍根を残すことになる」
コウは自分に言い聞かせるように呟く。
それは彼が大陸で経験した苦すぎる経験に基づくものであった。
そのことを思い出させてくれた。
彼女が。
さて、日本で大ヒットした忍者マンガにおいてよく俎上に載せられるテーマが、主人公の親友がなぜ赦されたのか、ということだ。
とんでもない罪を犯しながら、その功績によって罪は不問となった。
それに納得できない読者は多い。
きっと功績は赦しの対価ではないのだろう。
罰こそが赦しの対価なのだ。
罰によって罪を贖うことで赦しへの道が開かれる。
「なぜ……どうして…… !? 全てうまくいってたのに…… !? 」
「……お前は爬虫類人族をただの少し知能のある蜥蜴と思っているようだが、そうじゃない。爬虫類人族に毒を扱わせたら人間は足元にも及ばない。お前を自白させ、『聖女』達を瞬時に解毒した」
「え…… !? 」
「それにあいつらは無表情に見えて、意外に純情で、恥ずかしがりで……一途なところがある。だから大陸から遠く離れたこの群島まで来てくれた」
いつの間にか横たわるリンを抱きかかえているハイーナの黄金色の眼が細められた。
「お前は爬虫類人族を舐め過ぎたんだ。それがお前の敗因だ」
彼の右手がイマコラータの頭上にかざされる。
彼女の身体全体から光が放たれ、上に向かって流れていく。
そしてその光は彼女の頭上に集まり、形となる。
それはまるで天使の輪。
彼女の神が彼女に授けた恩寵の光。
暖かで柔らかな黄金の光。
それが、砕けた。




